ツインレイの最終試験ってことでいいんじゃないのかな。

| Ⓒ なとり

鳥
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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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だって「ツインレイ 最終試験」っていうワード、使ったことがなかったんだモン。書いたことがなかったんダモン。

 

ツインレイには最終試験があるらしい。昨日、たまたま知った。

ツインレイの最終テストは宇宙があなたに対して「本当に魂を結合して良いのか」という事を判断する試練です。
そのため最終テストではあなたに無償の愛があるのか、闇を克服したのかが試されます。

引用:ツインレイの最終テストとは何か?具体的な試練を解説 | フォーチュンスターブログ(ライフスタイル)

なるほど。・・・・・・なるほど?

とりま、訳してみよう。

ツインレイにはテストが存在し、神さんが「おめぇの魂を本当に結合していいのか」を判断することになっている。
テスト内容:自分が無防備に殺されても、殺人者に文句ひとつ言わずに自分の身を捧げ、殺人者の心に同化したのか。

ってことでいいだろうか。

・・・・・難易度、高すぎねえか?

 

先日、卒業する夢を見てしまった手前——。というか、卒業の夢、サイレントのはじめのときに一度目、今回、二度目の卒業なんだよなと思っている。

サイレントの初めの時は『小学(『理義』という結論が出た)』で、今回は『中学(でも、高校にも視えたんだよな・・・)』みたいな感じ。

 

ただ、これの文章についてなんだが。個人的に感じていることは、神は試練を与えてはいないが質問はしていると思われる。

これは本当に感覚に近しいんだけれど、試練という言葉には鍛錬が付きまとうというか。なんかそうじゃない、神さんがしているのは『質問』であって、試練をお与えになっているわけではない。

で、その質問に「えーと、えーと・・・・」って答えればいい。その回答をだせばいいだけなんだよね。その回答を出すだけの人生経験は与えている。それが試練のように感じられるかもしれないんだけれど、渦中は辛いけど、抜け出してしまうと「経験になった」わけで、後から、じゃあ、その経験を踏まえてあなたはどう考える? ってことを質問されている。

この質問で魂の立ち位置? のようなものが上下に別けられる。

魂にも、それぞれ経験とか理解力とかによって上下関係が明白にされている。この地上の方が上下関係がないと言っていい。向こうの世界の方が明確に上下関係がはっきりしている。上の存在はやっぱり上なんだよな。

個人的には「めちゃ目上!」みたいな神さんの領域に足を突っ込んでいる人は明確にわかるんだけど、この世に生まれきている人たちのほとんどが私含めてどんぐりの背比べみたいなもんだから、あんまり魂の差みたいなものを気にしたって仕方ないと思っている。

話を戻すけれども、ツインレイには最終試験があるらしかった。知らんかったのかというと、なんかどっかで読んだこともあったような気がしなくもない。

でも、気にも留めていなかったというか。何も気にしていなかったし、卒業の夢みたときも「運気の切り替えだな~、ようやく領域を抜けるか~」という感覚だけはあったが、それ以外は特に何も思っていなかった。

自分には関係ないのが卒業試験だと思っていた。(なぜ、関係ないんだろう・・・・汗)

卒業試験があるとかも思っていなかった。なんなら、卒業の夢を見た後に答案用紙をだすってどういうことなんだろうかとも感じながら——。

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サイレント始まりの時の試験『理義』

このとき、私の試験問題は「彼くんのもとを離れられるか」だった。

その内容的には、どんなに大好きで、どんなにいっしょにいたいと思っても「彼の為にならん」とか「私の為にならん」という視点が得られたとき、離れられるのか。

正直、共依存気味になって、お互いがお互いに疲弊しているような状態だったのもあって「いや、これは今いっしょにいるべきじゃない」って判断を私はした。

身が引き裂かれるかのような想いを経験したわけなんだが、おかげさまで離人症になり、内部にあったトラウマ人格たちがすべててんでばらばらとなって「よくわかっていないなとり」へとなっては、ツインレイの卒業を迎えたのである。

このときも卒業式の夢を見ている。卒業証書をもらっている夢って感じかな。表彰されていた。(他の人は半分以上が不幸格だった)

 

理義ってテスト用紙には書いていた。

理義字ってあるんだけど『林』とかみたいな同じ文字がふたつ並んでいることな。ツインレイっぽいでしょ。

道理と正義。

たぶん、最終試験に至るまでは『道理と正義』について学ばされていた。このふたつは両立するのが難しい。

道理だけを通してもダメだし、正義だけを通してもモメる。

彼は道理を通し、私は正義を通した。

道理と正義はぶつかるし。どちらも両立させることが出来なければならない。

彼は正しいし、私も正しいのよ。でも相容れないときがあるんだよ、絶対的に。

最終試験・最終テストについて

今回も数日前に卒業の夢を見ている。

卒業だから、なんかステージでもあがるのかな~ぐらいに捉えていたし、深くは考えていなかったんだけれど、今回は色々と決断したことがある。

とはいえ共、ツインレイのデータ、だしてる。今。

自分はツインレイだと思っている、今。

 

だって、否定したものは肯定になっちゃうんだモン。

だって、そうなっちゃうんだモン。メカニズム上、仕方ないんだモン。

福禄はあるよ。否定と肯定を繰り返すことで『否定』『肯定』の両方の軸を獲得していっしょに自己のなかに内包することができると、もっと大きな視点で状況を判断することが出来るようになる。

自分の視点を両方で見ることが出来るようになると、客体性が持てると言うのかな。

それも私のひとつの側面性だった。その理解が出来た。

 

結論としてツインレイの再会の記録はとらない——というのだけは守ろうと思っている。これはしたらいけんなと思ったんだ。私が自制するべきこと。

人にとって知らないでいいことってあるんだよ、それのひとつとして私はこれを組み込んだ。

ツインレイのデータについては、なんかもうこれ「過去は消えないな」と思った。過去は消えないし、消せない。自分がツインレイをやってきたことは消えないし、そう思っていた自分もいなくならない。

自己承認というカタチに成立した私は『過去は消えない、過去を肯定する』という状態になったからこそ、ツインレイについて書いているのかもしれないし。

まァ、その辺はなとり。全体的にその都度の気分で決めている。理由はなとりはサイボークじゃないので完全とは言えないんですよ。だからこそ、人のことも全体的に許している人なんだろうなァとも思います。

自分がまるでなっていないことを受け入れている。矛盾を受け入れているからこそ、他者の矛盾さえも受け入れている。自己受容は他者受容かなと思う。

でも『自慢』とか。そういう気持ちとかで記事を書くのは違うなと思うから、自分はツインレイの再会をしたっていう内容は書かない。それは理解したというか、それはなんか違うようなって思う。

矛盾とは違う、意味が。矛盾ではなくて、これは慢心なんだよな。

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無償の愛という闇の克服について

最終的な結論としては、過去の記事を参照する。

私は色々な人に助けてもらった。それは、どんなに私を懲らしめる極悪人の人格だったとしても、私のなかの誰かを助けてもらった記憶がある。

(中略)

私は、私を助けてくれた極悪人を助けないのか?

引用:人格統合の本と、蜘蛛の私を助けてもらった恩義を返し始めています。

最終的な結論として、どんなに嫌なことをしてきた人でも、徳を積むようなささやかな心を感じた瞬間があった。救われた瞬間があった。

私はそれを肯定したいと思った。それが私のなかの正解だった。

悪は悪として表面的に理解することはできる。だって痛い。殴られたら痛い。私だっていたい。でも痛んでいるのは、私のエゴの部分だったというか。トラウマが刺さっているだけっていうか。

だから私が「痛い」と感じるのは、私の自己責任だったんだと思う。

 

それから彼らがどうして悪いことをするのか——についても理解した。

愛した経験が深ければ深いほど、憎しみの怒りは強い。愛よりも悲しみが深くなったということ。

最終試験後のなとりの結論

愛よりも悲しみが深い。それが今のカルマの現状なんだと思う。

だけれど、その悲しみを愛に還元していく。ひっくり返して愛を想いだす——っていう状態にまで戻したいと思った。

ツインレイっていう枠に限らず、たぶん、多くの人がカルマというものに括られて、愛するべき人と愛し合えずに憎み合っている。憎しみが深ければ深いほど、お互いに傷つけ合うしかないんだけれど、でも、本当は結ばれていたい相手なんだと思う。

 

だから、私の最終試験の結論として「愛は裏切りにより憎しみになる。ならば、裏切りの悲しみを浄化して愛に切り替えていく作業」をやっていこうと思った。

本当は愛し合っている人たちがいがみ合ったり、何かしらの精神的なトラウマというネック、悲しみに囚われてしまって、出会えないでいるのは、それは違うと思った。

人と人が再び出会うために、カルマが必要。そこにある裏切りは「本当に裏切りだったのか」については、再会してから話し合えばいいと思う。

裏切りは裏側に自分の悲しみというトラウマがある。そのトラウマがはずれたとき、人はようやくエゴにこだわらず、本当は違ったのかもしれないって感じられる感覚が得られる。

でも、悲しみがある限り、私たちは裏切られたとしか感じられないし、悲しいとしか感じられない。それがトラウマになり、来世に持ち越される。

『本当は』違うかもしれない。

相手に聞いてみなくちゃわからないことはたくさんある。

本当に裏切ったのか。本当にそうだったのか。本当はどうだったのか。

確かめてみたくない? 私は知りたいと思う。

本当の相手の気持ちは、相手に聞いてみなくちゃわからない。

あなたのことを知りたいって思うことが、私たちが持つ相手への健全な愛情の示し方だと思う。

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道理と正義について

個人的に、今、彼くんになっていて『道理』を貫きながら『正義』を見ていたって感じ。

正義を貫くってただの暴力にもなりかねないんだよな。昔の私はこんなに暴力を振るっていたかなと思うんだが、その暴力を振るわんように気をつけていた人でもあったような気がする。

道理ってより現実的なんだが、正義ってより精神的だと思う。

道理は「正しい」「間違い」によって行動を起こすんだけど、正義はその正しさや間違いというものをぶち壊すところがある。

革命を起こすのが正義でもあるんだよな。その革命を自分自身のなかにある『正しい』と『間違い』という概念を組み替える時、必ず、正義を貫く革命者がやってくるんだなァと思った。

それをもしかしたら、多くの人は闇と呼ぶのかもしれない。

革命が成功したら「英雄」だけど、失敗したら「政治反逆罪(犯罪者)」なんだよね。

闇に対して、最終的に感謝ができれば革命が成功。闇に感謝ができなければ革命が失敗、なにも変わらなかった。

なにを革命したのかと言えば『道理』なんだよね。

この段階におけるツインレイの再会について感じていること

無かな。何も感じていないし、再会を目指すこともない。

ただ、今時分、するべきことが分かった。それだけでもうけもんだなと思っている。

彼に対して何か感じているのかと言っても、何も感じていない。無かな。

彼がツインレイかどうか——についても、無、、かな。何も感じない。

ほかにも、ほかの人たちがツインレイについて語っていたとしても「なるほど」としか思わない。(これはずっとそうかもしれない)

感覚的に「無」みたいな領域が増えた。今まで無じゃない部分が大量にあったからだとは思う。

再会についてなんだが「どうでもいい」とも思わない。

ツインレイなんて「どうでもいい」でもない。

どうでもよくないわけでもないし、どうでもいいわけじゃない。

どうでもいいって拒絶なのかなと思った。向き合いたくないとき「どうでもいい」ってなるよね。

 

レイキ中に「どうでもいい」と、分離人格さんが言った方がいらっしゃったんだけれど、なとりは「どうでもよくない!」って言ったら泣いちゃったんだよね、分離人格さん。

どうでもいいってことは、どうでもよくないってことなんだと思う。スネてるんだと思う。

自分がツインレイだって思った事実はちゃんと受け止めてあげなきゃいけないし、ツインレイだって思って意気揚々としていたツインレイ人格を全否定して捨てていい理由はないんだと思う。

それはそれで肯定してあげないといけない。そう思ったには思っただけの理由があったんだから。でも、それを否定していたら、ツインレイ人格はこう言い始める。

「どうでもいい(ンでしょ・・・・あたいのことなんて)。」

 

感覚的には「あるがまま」が近しいのかな。

うん、この「あるがまま」という感覚がある。

あるひとつの側面からすれば、私はツインレイかもしれない。でも、ほかの側面からすれば、私はツインレイではない。

そのふたつの側面は他者により自己を確認されているような感じ。

じゃあ、なとりはどう感じているのか? なんだけれど、このふたつを結び付けて『自分』としている。

個人的には、もはやアイデンティティが喪失しすぎて「あたいは、どんなカタチでもいいよ」って思っている。

あなたが受け入れたい姿のままのなとりでいるよって思っている。

あなたがなとりをツインレイだって思うのであれば、その姿を受け入れる。

あなたがなとりをツインレイではないって思うのであれば、その姿を受け入れる。

なんかこう「どっちでもいい」し、あなたがあるがままの視点を持って、なとりを視ればいいし、それを受け入れる。

 

再会については「未来についてはわからない」が正解かな。

こちらもあるがままかもしれない。

未来についてわからないから、再会についてももう語れない。憶測をつけることも出来るけれど、それをする意味が自分のなかから消失してしまった。また会わなければならない理由が喪失した。

また再会しなければならないと思っている個人的な動機が消えた。だから「再会したい」「会いたい」がなくなったかな。

カルマが消えた。ずっと後悔していた。その後悔が消えたから、再会してやり直さなくちゃいけないって思う理由もないし、会う意味もないっていうか・・・・・。

だから、再会したいとは思えないんだと思う。理由があるから再会したいのであって、その理由が喪失されてしまった。

だから、未来についてはわからないし、個人的には「精神的に会う理由がない」のが正解。