創造の仕組みについて。時間の概念がぐちゃぐちゃであることについて。

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ちょっと不思議な感覚です。未来にたどり着く——とは。

過去にあるものを現在受け取る。引き寄せの行動ですが、私たちは過去に『創造』をして、未来で『受け取る』をやっている。

つまり、私たちは過去により現在を構築しているのであって、過去に生み出したものを未来で受け取り続けている。

ほかの言い方をするならば、過去に準備したものを未来で受け取る。

図の説明:過去への干渉を行い、タイムラインの統合と受け取りをする

引き寄せの構造はざっくり言うと、このような構造なんだなと理解した。

つまり、タイムラインが二本ほど自分自身のなかに認識され、もう一方に『過去への干渉』を行う。この段階で『願い』というカタチで構築するんだが『覚悟』とかでもいいと思う。

で、次に、私たちの時間軸は『現在から未来』までしか認識されない。しかし、タイムラインの統合と受け取りを行うことで『引き寄せ』となる。

たぶん、これは『引き寄せ』ではなく『創造』のメカニズムなのかなと思った。

そもそもないものを「未来に構築する」って仕組み。

ここで、必要なのが、過去へのアクセス権限。これは、過去に愛されている必要性がある。

それから、その後、未来で「統合」「受け取り」をする。

タイムラインの創造権を持っている人がいるんじゃないかなと思った。

 

創造は『過去』にしか働かない。

というのも、現在に創造が働かせられない理由だが、それは物理の法則を超えちゃうから。簡単に言えば「ありえないことはありえない」ってこと。重力を無視しているって話になってくる。

人は創造を未来にやっていると思っているかもしれないんだが、実際は過去に創造を行っている。

ここには二本のタイムラインとしたんだが、自分のタイムラインではない。他のタイムラインを創造する。これがそもそもの始まりの創造に繋がっている。

そして、この創造をした二本のタイムラインのうち、一本を『捻じ曲げる』わけなんだが、何を捻じ曲げるのかっていうと過去を捻じ曲げる。

私たちは『自分』という主観的なタイムラインからもう一本のタイムラインを認識している状態とする。

図の説明:今の自分から過去を認識したり未来を認識したりする能力のこと

私たちは『今』という自分に対して『過去』『現在』『未来』を認識することができる。ただ、私たちはタイムラインが一本しか認識できていない時、前と後ろしか感じられない。

図の説明:過去の連続性の上に今があり、現在の連続の上に未来が存在している

どっちも間違っているわけではないんだけれど、次元をひとつ上にあげた視点というのは、タイムラインを『過去』『現在』『未来』にたいして全体的に未来も過去も認識できていることを意味している。

つまり、つまり、私たちが0という瞬間に存在している時、タイムラインは1でしかないって話。

私たちの現在は、過去でもあり未来である。

自分の一生とは、今のこの一瞬にすべてが凝縮されている。

っていう感じの認識になっているとき、自分の今からすべてのタイムラインを見渡すことができる。

これが『次元が上の人の認識』ってことになる。

これはどういうことかっていうと「今時分、自分が何をしているのかを認識している」ってことに繋がっている。

今、自分がどんな感情を感じているのか。今、自分がどんな体感をしているのか。今、自分がどんな想いで生き、どんな思考をし、どんな態度をとり、どんな風に過ごしているのか。

っていう自分を客観的にみて、どのような存在であるのかを「丸ごと認識しきれている」ってところにまで至る必要性がある。

いわば、自分の認識と他人の認識が一致している。これを自己実現という言葉でも表現できるんだが、たとえば、なとりは自分が優しい人だと思っているが、あなたもまたなとりを優しい人だと認識している。これが『客観性が自らの中に存在している』とする。

人は、これを「アイデンティティ」とする。

つまり、自分のアイデンティティというオリジナリティが成立している人は、次元がひとつ上に存在している。しかし、自分が誰なのか、自分がどんな存在で、自分が今どんな感情を抱いているのかを認識できていない時の私たちは、絶対的に低次元の存在となっている。

怒っているときに怒っているとわからないとか、人を傷つけているときに人を傷つけている自覚がない、とか。

そういうった「自分」「他者」の概念による学習を終わらせることでひとつ次元があがるってことになっている。

そのとき、もうひとつのタイムラインを認識することができる。

そのタイムラインをつかって、ゴチョゴチョと創造ができるよっていう話である。

 

じゃァ、この創造とは何か——だが。

もうひとつのタイムラインの過去に干渉ができるということ。

これは何かっていうと、私でいえば、今の私が過去の私に干渉しているってことでもある。

今の私が「子供産みたい」「結婚したい」と思っているとする。

そうすると、過去の私への干渉が生まれ、過去の私は「子供を生むから断薬しなくちゃ」と行動を始める。ほかにも「なとちゃの夫は賢いからなとちゃは今からちゃんと教養を身に着けるんだ」とか過去の私が動き始める。

過去の私からすると「よくわかんないんだけれど、そんな気がするから、準備しなくちゃ」って感覚がし始める。

これが過去に干渉が出来るってこと。

引き寄せとかの話だと、逆のエネルギーの法則も使えるから「子供産むから断薬しなくちゃ」って行動をすれば、最終的には子供を生むになる——ってことになる。

つまり、今の私は「私に創造された私」ってことになっている。

こ自分が自分のタイムラインに干渉していると分かりにくいなと思うので、ほかのタイムラインに干渉してみよう。

たとえば、私が「ムーミン展がみたいな」と思ったとする。

すると、翌日に「ムーミン展が始まった」とする。

これが創造である。でも、私がムーミン展が見たいと思った時間から翌日までの間にムーミン展が始められることはない。多くの準備が必要なわけである。

このとき、ほかのタイムラインの過去にアクセスし、ムーミン展の準備をしているタイムタインを作り、自分のタイムラインに統合させればいい。そうすると翌日にはムーミン展が開くことになる。

つまり「願いが叶う」わけである。

引き寄せは「あるものを寄せる」わけなんだが、創造は「ないものを作る」わけである。そのためにはもうひとつのタイムラインが必要だよって話になってくる。

引き寄せもほとんど同じ仕組みでも出来ているとは思うんだが、引き寄せは「現在」「未来」ででしか動かない。タイムラインに干渉しているわけではないんだよな。

引き寄せ自体は「あるものを寄せる」のだから、現在→未来の世界線だけでいい。

引き寄せは未来へのアクセス権で、創造は過去へのアクセス権ってことになっている。

現象はよく似ているんだけれど、エネルギーの方向性は全く違うものだと思う。

創造引き寄せ
図の説明:今→過去→未来
図の説明:今→未来

でもこれだと、ムーミン展のチケットを自分で買えばいいだけ。引き寄せって「あるもの」が大前提で「ないもの」を引き寄せることは出来ない。そもそもムーミン展やってなかったらムーミン展にいくことはでいないのが引き寄せ。

 

ふと「過去の私に愛されている」と実感したあと、理解したので書き残しておきたいと思う。

創造している人は『自分を認識している人』でしか出来ない。そして、同時に『社会性』を持っている必要性がある。自分と他者による相関性による仕組みの学習が終わらなければ、もうひとつのタイムラインを認識することが出来ないから。

 

そして、今回の『ツインレイ』に関することでも、たぶん、私はこの創造をやっていると思う。

私のなかに存在している尊大な傲慢な人格があるけれど、この人格が創造主ってことになる。

つまり「彼と私の縁は切れていない」と言い切った創造主の私は、過去にアクセスしている。

過去にアクセスする場合「多くを知っていると困ること」がある。これは、知っていることがタイムラインの情報を捻じ曲げることが出来なくなるから。

だから、彼も私も互いに「知っていることが少ない必要性」があったと思う。

私がたまに「知らない方が幸せなこともある」と言葉にしていたんだが、これは私が傷つくんだったら知らない方が幸せだってことの意味で使っていたんだけれども、創造主的には「知っていることが少なければ少ないほど、他のタイムラインを自由に捻じ曲げまくれる」っていう事実がある。

ただ「認識しているもの」の領域は捻じ曲げることができないから、つまり知らないでいる必要性がある。

たとえば、ムーミン展やらないかな~って思ってムーミン展やってるかな? と調べたら終わり。ここで「やっていないことが分かったら終わり」である。創造できない、知ってしまったから。

ムーミン展やってないかな~って思って調べない。そのうち、タイムラインが統合されたとき「ムーミン展やってるんだ!」ってことが分かる。

創造をするって「ノーを知ってはならない」ってことに繋がっていると思う。

 

私が彼のことを知ったらいけない。彼が何をしているのか、何がどんな状態なのか。

片っ端からゼロの情報であるべきであり、彼のことを調べて「ノーであること」が明確にわかった瞬間、創造はできない。

たとえば、彼が結婚しているかどうか——について、調べること。調べて「結婚している」と認識した瞬間に、彼は結婚しているのである。この事実は捻じ曲げることができない。これはもう「知ってしまったから」である。

だけれど、調べることもなく「彼が結婚しちゃったかもしれない、モヤモヤ」とか言って、調べていなければ、わからないし事実として確定されないのである。ゆえに「結婚していないタイムライン」を創造してしまえば良くて、それを統合すればいい。

つまり「知っている、わかっている」って状態が創造の世界では悪だということ。

実は「わからない、知らない」ほうが想像の世界ではやりたい放題できる状態になっている。

だけれど、この創造は「他者にも干渉ができる」がゆえに、アクセス権利が存在している。

それが『自分と他人の関係性について』の学習が終わっていること。それは「他人を傷つけてはいけない」し「他人に迷惑をかけてはいけない」し、「他人を巻き込んではいけない」わけである。

 

つまり、知らないことは知らないし、わからないことはわからない。

事実だと知っていることは捻じ曲げることは出来ない。

わからないし、知らないから、タイムラインを創造し、統合できる。

この日本で「ムーミン展をやっていることを知っている人」と「知らない人」が分類されるわけで、知らない人たちの世界ではムーミン展は開催されていないことになっている。

で、このブログに来る人は「ムーミン展やってる」ってことを私から知らされているわけなんだけれど、それでも、知らない世界の人たちは、その記事を読むことができないし、どんなに頑張っても『無は無』。

これはすごく当たり前のことなんだけれど、このブログは「ツインレイのブログ」なんだけれど、ツインレイっていう用語を知らなかったら、このブログにたどり着くことは出来ない。これが『引き寄せ』の原理。

そして、私のブログのなかに「自分の求めていた内容」がある人は、うまく引き寄せたってこと。

引き寄せは「知っていること」により引き寄せられるのかなと思う。

だけれど、創造は逆。

「ツインレイのブログ」を私が書くにあたり、誰かが「ブログを求めていた」。そして、それを私は過去に書き始めているが、必要になるときは私が書き始めたときではなく、書きあがったときである。

つまり『今、私のブログを読み始めた』のであれば、それは、その人が求めていたってこと。

言及すると、このブログを創造したのは、彼くんってこと。

彼くんが、このブログを創造し、そして、そのタイムラインを統合させるとき、私はブログを完成させることが出来ている。そのタイミングで、彼くんは私のブログを見つけることができる。

彼が私のブログを必要としたのは「最近」であり、「最近の彼くん」が三年前の私にアクセスし、私はずっと書き続けてきた。

今の彼が望んでいるからである。

私と彼の意味を「今の彼が知りたがった」のである。

そして、私もまた3年前から知りたかったのである。

状況的に説明すれば、彼くんが最近「そういえば、なとちゃの存在って何だったんだろう・・・・・・」って考えたときに創造が始まり、3年前のなとりがブログを書き始める。(過去にアクセスする)

「そういえば、なとちゃの存在ってなんだったんだろう(過去にアクセス)・・・・・ポチポチ(タイムラインの統合)・・・・あれ?! なとちゃだ!」ってなる。これが創造。

たとえば、今の今までなとりのことを忘れていた彼くんが「そういえば、五年前にいたなとちゃ。まだ独身かな?」とか考えて創造した場合、なとりの数年前にアクセスして、なとりが独身であることが固定される。で、今、独身って状態にされる。

 

つまり、私たちの『時間』の概念はそもそも存在していないってことになる。

過去→未来っていう概念も存在していないし、なんなら、今の彼くんと過去のなとりのタイムラインが一致しているってことでもある。つまり、過去のなとりと今の彼くんが繋がっているってこと。

過去のなとりからすれば、未来の彼くんが今のなとりに繋がっているって感覚かもしれない。

図の説明:時間の概念が不一致につながる、これが創造の肝

で、私たちが今「出会う」のであれば、2025年のなとちゃと2025年の彼くんである必要性がある。