私は彼くんが好きなのだ(自覚)。自分軸の樹立。

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Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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今まで、ずーっとこんだけ書き続けてきたんだから、そりゃ好きなんだろうなと。
さすがに理解はしていたんだけれど、自覚はしていなかった。
つまり好きって言う自覚がないから、理解はするけれど、状況的には苦しい・・・・・・みたいな。
この『好き』っていう気持ちが封印されていた。
共感性のない父。
支配欲求の強い母。
何かについて否定してくる姉。
こういう状況で、私は家族を嫌いになることも好きになることも出来なかった。
でも、嫌いな存在を好きにならなきゃいけなくて(子供は親に捨てられたら死ぬからね)、それが逆に、私の好きとか嫌いとか。
そういった主観がすべて封印されてしまったようだ。
私が好きになることがすべて家族に破壊されてきてしまい、私は好きなメンズに対して「好き」とすら感じられないレベルに分離しきっていたようだ。
おかげで人を好きな気持ちはわからない感じ。
この好きっていう人格は、よく私に話しかけてくれていた子だと思われる。
たぶん、分離が甚だしく、また解離にまで至ったんだけれど、その個体は私に友好的だったんだと思う(´-`).。oO(
で、その心を統合していったら「好き」を受け入れていくことになった。
私は彼くんが好き。
それを認めているようで、無意識では封印している葛藤によって私は苦しんでいるようだった。
意識では理解出来ていても、無意識が理解出来ているかは別の話だった。
徐々に許可を出して言ったっぽい。
好きになってもいい状況に既になっているのだ。
もう共感性の欠落した父はいない。
もう支配欲求に囚われた母はいない。
もう否定しかしない姉はいない。
私の好きな物を奪う人はいない。
もう、いないのに無意識は未だにいると思っていて、好きを封印していた。
そう、結局はここに尽きる。
私は好きなのだ。でも、それを無意識は封印して認めようとしない。
頭で理解はしていた。でも、心で自覚していたわけではない。心は分離しているから好きを理解できない。
今回はこの好きっていう感情を回収した。
これから、私は誰かを好きになることが出来ると思う。
好きな人を探し出せると思う。
とても大事な主観レベルのものを私は喪失していた。
好きが分からないっていう原因は人それぞれあるけれど、大抵は家族関係の幼少期に好き嫌いに関することで、とても厳しくされたり、否定されたりしたことで喪失すると思う。
最後には「誰が好きなのかが分からない」になって、好きな人と結ばれることすら出来なくなる。
よく毒親とも言えるし、親を許すことができりゃ、そりゃいい子でもあるし、でも、無意識で許し切ることは、はっきり言ってほぼ不可能だと思う。
許すんじゃなくて、自分が幸せになることが一番の許しに近づくことだと思う。
自分が不幸であることが人を許せない気持ちを彷彿とさせる。不幸である原因に腹を立てない人はいない。でもそれは現状不幸だからなんだよな。
無意識って結局は私たちの無自覚なるコントーラーでもあるから、この無意識を信じたらいけない人は多くいるんだと思う。
ひたすら選択ミスをし続けるっていうか。
結局はすごく単純で、分離意識を自己統合していけば、どんな感情も取り戻すことが出来る。
取り戻せるまで、苦労しかないわけなんだが、個人的にこの苦労に意味は無いと思う。
分離したら再結合すりゃいいだけで、再結合方法がわからないからまごまごする(まごまごしてるときに苦労が生まれる)し、好きって言う感情が分離してたら、逆に分離していることに気づくことの方が難しくもなる。
ないものがないって気づく人は少ない。元々あったことを思い出すしかない。あったから失ったのだよ。
無くし物を探さない人はいないよ。だから、無くしたことに気づいたなら、もう探し始めてる。
人は分離している感情をほぼ自覚しないから、わかっていないことがわかっていない状態になる。
だから私たちは分離している部分を指摘されて、ようやく自覚するのだ。無くしたものに気づく。
他人ってそういう意味で大事だと思うよ。
人から指摘されてようやく自分のなかで分離している感情を教えてもらえる。
その経験は嫌な思い出にしかならないかもしれないけれど、それでも、そこから得られるものはでかい。
私は、彼くんとの経験をひとつも取りこぼさずに、すべてを回収し尽くすつもり。
ただでは起きるつもりは無い。ないからブログやってるし、自己分析しまくってる。
誰から見ても無様だと思う私を、私さえも無様だと思う私が、私は嫌いじゃない。
好きなんだよ、私は私が。
私は全力で生きてる。私を全力で生きてる。
そんな私を私が嫌いになるわけがないし、私を好きにさえしてくれる。
私はずっと私が好き。たぶん、この世界で誰よりも、私は私が好き。
だって、私だから。
これがブレない自分ってやつだと思う。
いわゆる自分軸ってやつ。
全力で他人軸にシフトしたなら、次に自分軸が構成されちゃうんだろうね。
私の中では『好き』が循環している。
私は私が好き。他人軸が私のなかにあり、また、他人軸の私が私を好き。
自己循環させるのに、五年の月日が必要だった。時間を生み出さなければ、十年以上かかったと思う。
彼くんと出会った当初、意識レベルではできてた。でも無意識レベルでは出来ていなかった。それが出来るようになった。