軽蔑という感情

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Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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私は父親に軽蔑という感情があるみたい。
軽蔑がどのようにして生まれるのか。
嫌がることをされたときに「やめて」と伝えた場合、嫌がることをやめてもらえず、軽蔑という感情が生まれる。
自己主張を相手に受けいれてもらえない場合、相手に拒絶された経験から他者概念を分離させ構築する。
つまり
- 嫌だと思う自己主張
- 相手が持つ自己主張
があって、被害者意識側は相手へ軽蔑を抱くことで自分の心を守るみたい。
加害者側は「自分は正しい」への固執と「承認欲求への指摘」が入られている状態なのかな、と思う。
認められたいという承認欲求を満たさない相手を排除するっていう意識。
で、承認欲求の道具にされている側は「嫌がらせ」のように感じられる。嫌だと伝えると、相手の尊厳とかプライドが傷ついて余計に負のサイクル。
大事なのは、承認欲求の道具にされないことで、自分自身のなかにも承認欲求があるってことなんだろうなとも思う。
軽蔑とは、同一のものがあり、同一のものが自分の中にあることを拒絶するって意識だと思う。
つまり『一致――拒絶』という視点。
一致している部分を拒絶する。その時、怒りが込み上げてくる。