私がツインレイの再会をしないだろうと思っている理由
私は彼の前で、どんどんと精神を壊していった。
最初に「一緒にいることで、私がどんなことになっても彼くんのせいではないってことを受け入れられるなら、一緒にいる」と、約束をした。
私はどんどん私ではなくなっていった。
もし、私が壊れていく過程を彼が自責と感じているのであれば、彼とは再会することはないと思う。
自分のせいでこうなったなら、一緒にいない方がいいと考えるだろうからな。
だが、最初に私はちゃんと言っている。
何があっても、あなたのせいではない――と。もし、私が死んだともしても彼くんのせいではないんだよ、と。
当時、コロナうつになってて、記憶障害起こしてて。正直、メンタルは絶不調だったから、そばにいることはあまり褒められたことではなかったと思う。
他人の問題は他人の問題である。
自分の問題は自分の問題である。
私と彼の課題。
私と彼は、兄と妹だし、姉と弟だった。
だから家族だった。私はブラコンだし、彼はシスコンだった。
それは『甘え』がそこにあったからだ。
天照と素戔嗚のふたりが誓約をしたとき、ふたりは姉弟の自立の儀式をしていたのだなと思った。
天照はお姉ちゃんとして素戔嗚を大事に思っていたし、素戔嗚は弟として姉のことが大好きだったと思う。
素戔嗚が黄泉にいくと駄々を捏ねたのも、素戔嗚のひとつの自我の芽生えだったのかもしれない。
ここにある依存の断ち切りは、ふたりの関係を悪くもさせたように思うけれど、ふたりはそのとき甘えをやめて自立した。
天照と素戔嗚のうち、弟の方が『鬼役』をしたのだと思う。
弟が鬼となり、姉を怒らせることで姉の自立を促した。
姉が持つ弟への依存を断ち切ることが、なかなか出来なくて、弟は多くの暴挙にでたのかなと思った。
それが天照の天岩戸開きの神話に繋がっている。
天照は弟が自立した(鬼になった)ことが受け入れられなかったのかな、と。すると多くの神々により、表にでてくるように強制される。
このときの素戔嗚は神々に罰せられ、鬼として処理される。
だけれど、本当は『自立した天照は自分で天岩戸からでてくる』んだと思う。
このときの素戔嗚は姉を自立させた存在だと思う。敢えて悪者になるというか、鬼ではないよね。
すごく優しい弟だったと思う。自ら鬼となって姉へ甘えを許さず、自立した大人になるように促している。
この神話のお話を書く理由は、私がサイレントに入るとき。敢えて私は彼にとって悪者をやったところもある。
彼も同じかもね。なんとなく「わかってた」と思う。
モメるだろう、反発するだろうってことがわかってて、これは母子の分離かなって思ってた。
でもこれは他にも、姉と弟の分離が関係していたんじゃないかって思っている。
愛している、だからこそ、さようならなんだよ。それはやっぱり家族だから。
ここに甘えられる人がいる限り、人は大人にならない。だから、敢えてお互い、相手を追い立てる鬼役をやったんじゃないかと思っている。
私は姉として弟がいなくなったことに耐えられなかった。彼くんがいないことに耐えられない気持ちはやっぱり依存だったような気がする。
甘えがあった。
彼もそうだと思う。甘えたくなかったんだと思う。
私は、多くの人に外へ出るように――と言われていたような気がする。あれやこれや、自立しきらない状態で外にでていけば、彼は罪に問われることになる。
私は天岩戸の引きこもりとして粛々と自立していったんだなと思う。
天岩戸を開くとき、それは私の中で自立が成立しきったとき。
天照と素戔嗚のお話は姉と弟の自立の話の失敗談だと思う。
多くの神々が自分の失敗を書き残してくれたのかなって思ってる。
私たちは失敗する。でも、先人と同じ失敗をしてはならんのだと思う。
天照は素戔嗚を疑ってはならないし、素戔嗚から自立しなければならない。
素戔嗚は天照に疑われるようなところがあってはならないし、天照から自立しなければならない。
姉と弟の関係が『信頼』であり、『自立』となる必要性がある。
信頼し合う中で私たちはサイレントに入り、自立したんだなって思った。
甘えがないってことなんだと思う。
個人的な感覚だけれど。
自立しちゃったら、再会することはないんじゃないかなって思っている。
それこそ、奇跡みたいなものが起きれば可能なんだろうけれど、そんな奇跡、今更誰が信じますか。
自立した時点で、奇跡を信じる、運命を信じる。(ヾノ・∀・`)ナイナイ
それから彼の面影を探すこともなくなると思う。
私は弟の彼くんが大事だったし、大好きだった。その気持ちには嘘はなくて、だからこそ自立できたんだなって思います。
奇跡なんて存在しない。
奇跡的な再会も存在しないし、待たない。
だから私は自立して生きていると実感している。