ツインレイが産む子供たち
前に、ツインレイが生まれる子供たちの話を『龍の子』として書きました。
龍の子とは神さんのお使いさんという言葉が適格かなと思います。
ほかにも、横文字にすると、レインボーチルドレンやサイキックチルドレンとか呼ばれているのかもしれません。そんな子たちが産まれやすい時代になってきたと、そのようなことがいいたいのだと思います。
私のなかで、どんどんとこの地上で折り重ねられてきた輪廻を断ち切って生れてきている子たちが生まれてくる。そんなイメージでしょうか。
インディゴチルドレン、クリスタルチルドレン、そして、レインボーチルドレン。今はサイキックチルドレンという存在まで出てきたようです。
これが年代ごとに徐々に生まれてきたと言われています。
これは私自身が見ている視点です。
Ascensionをする目的の為に——とは言われていますが、未だにドンパチやっている国々はありますので、全くもって個人的にはアセンションの影響を感じることはありません。
今日も誰が銃で撃たれて死んでいる。その死に家族が泣いている。その事実を想うと、アセンションを感じることがありません。これから「愛のある世界」になるとも思いません。残念ながら今現実では、誰かが死んでいる。そればかりが事実です。
しかし、確かに『新人種』は生まれてきています。それは確実に事実かと思いますし、私自身も、新しい新人種を産み落とすことになるかと思います。
そんな彼らに、何かしらの使命があり、宇宙からやってきた存在であり、そして、その子たちは『何かしらの特別』なものがあるとも言われています。
私自身もそんな方々に——。大人となっていますが、そんな方々と出会ってきました。
魂が大きく、向こうの世界の情報を持っている人たちでした。彼らは向こうの世界とのバイパスを強く持っていましたが、早々に母体から取り出さなければならないほどの未熟児と生まれた方々でした。
彼らは身体障害を持って生まれてきています。これが実情でした。
私たちは、母体があり、その母体のなかで育まれていきますが、魂が母体のなかにおさまっていられないとき、その魂は出産までの時間を早まらせていきます。
母体が魂の持つエネルギーに耐えられないのかもしれませんし、魂が母体に耐えられないのか。どちらも正解だと思います。
子宮には『家系の因果』が宿ります。
その因果を背負い、子供たちは生まれてきます。
そして、私たちは必ず家系の因果を抱えています。ゆえに、子供たちは因果を背負うのは当たり前のこと。親の因果を背負い、その人生を歩むことが人の在り方だったと思います。
しかし、そのなかでも『因果を断ち切っていく人たち』も出てきました。
自分が背負う因果を背負いきるとき、私たちは因果を断ち切る世界へ進みます。その世界での私たちは親の因果を断ち切った家系を抜けていく存在にもなっていきます。ですが、私たちは親の責任をとります。だからこそ、私たちは親の因果を必要としません。
みえない世界で背負うのではなく、現実世界で背負う覚悟を決めた人たちは、みえない世界の因果を終わらせていきます。
そうやってみえない世界の因果を断ち切る人たちは、子宮のなかに『繋げていく因果』を持ちません。
私たちは、我が子に因果を持たせません。家系に縛られることなく、純粋なまま、産まれ育つことを望みます。
だからこそ、そんな子供たちをレインボーチルドレンと呼んだのかもしれません。
家系の因果に縛られることがない——とは、魂にも前世がないということです。
そして、そんな土台を構築するのがインディゴチルドレンかもしれません。
私は次世代のための土台つくりをするインディゴチルドレンの世代の生まれです。私は次世代の子供たちを産むための土台つくりをしていると思います。
地上のツインレイのときにやってきました。真っ白い女の子です。
しかし、あのときの子は、神さまに私のおなかにはいりなさいと言われましたが、首を振り生まれることを拒絶しました。そのまま、私は大量の出血をしました。悪夢を何度も見ては数か月寝込みました。
まだ、母体として未完成だったのです。
そして、再びあの子がやってきたとき、あの子は私とツインレイの彼の間に挟まってにっこりとしていました。
この子を私は産みたいと思っています。
しかし、産み育てるためには必要なことがありました。
私のなかにある因果を解消すること。これは子供に因果を継承させないためです。
そして、子育てについて理解をすること。これは子供に余分か負荷を与えない為です。
新しく生まれてくる子は、私に万全の準備をさせてから生まれてくるようです。
どのように育てることがいいのか、どのように考えることがいいのか。私はひとつひとつ考えることになりました。
子育てとは何か。それは社会に適応し、社会のなかで生きることが幸福につながっている子を育て上げることだと、私自身は思っています。
チルドレンたちには、HSPやエンパスなどの才能や霊的開花をしたまま生まれてくるとも言われています。しかし、それを褒めそやしてはならない。
霊的な側面は特に、私自身は『なるべく閉じさせる』ほうへ向かわせようと思います。
もし、その子に霊的な側面が開花したのであれば、私は自分を恥じることでしょう。それは絶えられないほどの辛い思いをさせてしまい、解離させてしまった霊的部分があるということだから。
その創造性を解離させ『視える』『感じる』というカタチで保存することしか霊的開花を齎すことができないのであれば、それは私たちが子育てに失敗したと言うことです。
その子たちの創造性が分離したということは、創造性を当人が発揮させていないとも言えること。それは、彼らにとってひとつの地獄を意味しています。目的が果たされていません。
だからこそ、私たちは細心の注意を払いながら、解離させないように心をある程度までは育ててあげなければなりません。
私たちのツインレイの子たちは『霊的に開花させてはならない』と思っています。
それは創造性を失っているからです。
創造性と霊的開花は等しいものです。しかし、創造性は現実性を齎しますが、霊的開花は現実性を齎されず、幻想世界に留まった——と言えばわかりやすいかもしれません。
現実性を持たない霊性を持たせたいわけではありません。
現実的に、彼らが霊的に活躍しやすい状況を作ってあげるべきだと思います。
なるべく、霊的世界のことは『閉じてあげる』ことで、特に創造性は高次から降ろされた素晴らしいものを構築するでしょう。
私が神と会話することがないように。そして私が神の世界についてを言葉にして説明をすることはできるけれど、それをもし『作品』というカタチに出来ることが出来たのであれば、きっと彼らは多大なる影響をこの世にもたらすことができるでしょう。
多くの人たちの心に届けられる、スピリチュアルに関心がない人たちにも、高次の世界から降ろされたエネルギーを伝えていく手段があります。
高次の愛を、スピリチュアルにつながりのない人たちにも提供することが出来るようになります。
未来の予知も予言も、子供に期待してはなりません。
しかし、もしかしたら、未来を予言したようなSF作家になるかもしれません。
それが創造性です。誰しもの手に届き、正しい、間違っている、正解、不正解、信じる、信じないだなんていう善悪二元論という世界から逃れたような存在になっていくことができるでしょう。
その作品がもし、本当に高次から降ろされたものであるならば、多くの人に認められることになるでしょう。
だから、私は霊的才能はもたせないように、最新の注意を払って育てていくと思います。解離させることがないように、なるべくならば、子供時代は創造に没頭が出来るように——。
その子が持つ幻想世界を現実に持ち込むのではなく、その子が持つ創造世界を具現化させてあげられる手段を持たせてあげること。
自分で自分の創造性を守ることができる年齢まで、私はその子の創造性を守ることができる親になりたいと思います。
もしかしたら、オーラがみえるかもしれません。
もしかしたら、未来がわかるかもしれません。
もしかしたら、私たちには見えない『なにか』が視えるのかもしれません。
しかし、その世界を閉じさせるようにして育てたいと思います。それは生きるのに邪魔なものです。人として生きてほしいです。神としてではなく、向こうの世界の住人でもなく『人』として生きてほしい。
人に共感を覚え、人と共にあってほしい。
人は未来を知らなくても生きていける雑草であることを信じてほしいです。
この世で『人と違うこと』に喜びを覚えず、共に生き、共に感じ『みんなと同じこと』に喜びを覚えてほしいです。
そして、人とは一線違う部分がもしあったとしたならば、創造性へと昇華し、多くの人に届けることができる子に育ってほしいと思います。
何か持っている子を、何も持たせないように抑え込む必要性があります。そのために心を鬼にしなければならないこともあるかと思います。親も強くならなければならないのだと思います。
生きてほしいと思います、人として。
この世に生まれてくる魂は様々です。色々な魂がいる。もちろん、器の大きな神さんの子も生まれてくるけれど、それでも、この世に生まれてくれば、それは『人』です。
どんな存在であれど、その子が『人として生きること』を助けてあげなければならない。
私は、そういう考えでやっていこうと思います。
これは私自身がツインレイの期間で、出会いから別れ、サイレント期間中に色々と『我が子の感覚』を学び、一番の最善を考えたとき、このようなことになりました。
これは、私の子が「どのような子になるのか」の指針です。
とりわけて人が生まれるかと思います。この世の一番の幸福は人であれることです。
もし、誰かに神だと言われることがあったとしても、人である自分を放棄することがない子に育ってほしいと思います。
単純に言えば、アセンションなんてどうでもいいよ。その子が「自分の人生」を生きることに意味がある。それがアセンション。それは大前提に『人であること』が大事である。人生とは人が生きることだから。
だけれど、心が繊細だからこそ解離しやすく幻想に囚われやすい。
そこから霊感や覚醒と呼ばれているものが生み出されるけど、予言者なんてものを私は産むつもりもないし、霊的なことを理解している部分をほめそやして育てるつもりもない。そんなん起きたら、自分で自分を親として恥じるし、預けてくださった神さんに申し訳が立たん。自害したい気分になると思う。
霊感と創造性は紙一重。霊感を幼少の解離と定義して、創造は幼少の人格統合の成功として考える。
子供を『人』として育て『霊性が高い存在』とか『霊感豊かな子』とか『オーラが視える』等のことがないように細心の注意をはらって、この世に縛り付けるつもり。
多くの人が忌むだろう三次元と言う物質や肉体に縛り付け、この世にある現実を受け入れることができる器に育てる。
私はこのサイレント期間、何度も何度も「お父ちゃんのところにかえりたい」って泣いた。そんなことがないようにしたいと思う。帰りたくなる。つまり『死にたい』って意味。耐えられないんだよ、この世の現実に。
だから現実に耐えられるほどの胆力や気力と信念を培わせなければならないと思う。
どんなに才能があったとしても、この世に適応できなかったらそれはないにも等しく、予言者なんてものになって人に崇められるのは違う。人の上に立つさびしさを覚えるよりも、人と共にある喜びを知ってほしいと思う。
それがこの世の素晴らしいところだから。
これから、ツインレイの子供たち——。もとい、クリスタル以後のチルドレン関係の教育論は自分の為にも立てるつもり。