報告|ツインレイの成人期にはいり、パートナーシップを二元性へアップデートしています。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイの経緯は青年期なのだとどこかで語ったような気がします。

私は、青年期という自分を構築していく期間で、多くの人といっしょに過ごすことになりました。

そのなかで、私は『自分とはどのような存在なのか』という自己のアイデンティティの構築に励みました。

 

私にとってツインレイは、過去の振り返りのなか、止まってしまっていた時間を動かし始める潤滑油のような存在でした。

私は、少しずつ、このツインレイの期間で『私と言う存在』を確立させながら、自己を自立させ、自分とはいかなる存在なのかを明確化させていくことになりました。

しかし、その『私と言う存在』は、従来、他人により形成されている自己を『自己』として捉えていたため、確実に客観的に捉えられた他者による自己を認識することは出来ていましたが、私は『私をどうとらえているのか』を理解していませんでした。

私は客観的に自分を分析することに長けることはできましたが、主観的に自分を分析することがなかなか難しくもあったのです。

客観を育てるか、主観を育てるか——です。

私は、主観で人を殴ることが嫌いでした。
そのために、私は優しい世界を創造しようと、客観による自己の世界を構築していったにすぎません。

人に与えられるものをすべて受け取って生きてきました。しかし、それももう青年期ではお終いにしていく必要性がありました。

私は、今、ふたたび『主観性』というものを取り戻してきています。

何が好きなのか、何にトキメキを覚え、何ならば私が生きる上で必要なのかも判断することができるようになってきました。

今までならば、客観的に捉えて判断を下していた部分も、今ならば、私がどのように感じているのかを判断材料として使いながら、受け取ることができる内容が増えてきました。

私は、自分の好きを生き、自分の世界を構築し、自分の主観を愛することができるようになってきました。

仲の良い友達がそこにいて、今度はいっしょに旅行に行くことも決まりました。楽しみでなりません。

『気が合う』とは、このようなことなのか——と知ることが出来ました。

そして、私の主観をお互いに共有することも、友達の主観を受け入れることも出来ます。

私は、客観性を活かし、また主観性をも受け入れながら、循環させるようにして友達と過ごすことができているとき、とてつもなく楽しい! と思えます。

先日も、気候の問題で一睡もできないなか都内へ遊びに出かけましたが、とてつもなく楽しくて、寝不足であることも忘れていました。

私は今まで、誰かと一緒に出掛けても心の底から「楽しい」と実感することがありませんでした。

しかし、一緒にいる友達たちが楽しかったり、満足できているのであれば、私はそれで満足だったのです。

今は、私が楽しいことは友達も楽しいこと——という両方が満足できる世界に私はいます。

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きっと、これが『成人期』にあたる生き方なのだなと思いました。

ツインレイとは、この成人期にはいる前にある青年期に出会い、魂が大人になる——というときに引き合います。

それがいつになるのかはわかりません。ずいぶん歳を重ねてからも、出会う可能性はあります。

いつだって私たちは、この地球と言うモラトリアムから抜け出すことができるのです。

私たちは、ずっと長く大人になるきっかけを探しているのかな? と思いました。ツインレイがその引き金を持ってきては、私たちを大人へと導いてくれます。

そして、成人期にあたる『愛とは何か』の追求を進めていきます。

私は二十歳そこそこから、ずっと『愛とは何か』を考え続け、私自身が愛するとは——の体現を行い続けるなか、やっぱり失敗も多くありましたが、最終的に行き着いた愛とは『循環』にあるのだなと知りました。

そして『共存』のなかにある。

二十歳からの問いかけは、早十五年の時を超えて、今、結論を出し、体現することができるようになりました。

それまでは一方通行だった私の愛も、どこかで必ず実る種となっていることに確信を覚えながら、私は青年期を振り返って思うのです。

私は『愛したいし、愛されたい』のだ、と。

愛されたいのであれば、愛するしかないと思う道にありました。しかし、愛など返ってきたことがありませんでした。愛することを実行したことがある人ならば、必ず通る道です。

人は愛など受け取ることが出来ません。人が自己都合における『奴隷』を愛だと思っている限り、私たちは罵声を浴びせられ、罪をきせられる。

同じように、私たちは自分にとって都合の悪い結果が返ってこようとも、罵声も、罪も、すべて背負ってきたからこそ、最後の『愛される』という境地にいたるのだなと知りました。

私は愛されていたのです。ずいぶん長く、いろいろな経緯を経ながらも、もうひとつの角度からは常にいつだって愛を受け取り続けていたのです。

その事実を受け取ることができるのが青年期から成人期にあがっていくときなのだと思います。

青年期のテーマは『親密性 vs. 孤独』です。

つまり、私のテーマは孤独でした。

私は今、孤独ではありません。親密な友達がいます。まだツインレイとは語ることが出来ていませんが、いつか、振り返って青年期の話が出来たらいいなと思っています。

答え合わせができたとき、私たちはもうひとつ大きな喜びを知ることができると思うからです。

そして、共存すると決めた家族がいます。孤独ではありません。

私はひとりではなく、相談できる友達や家族がいます。ずっと誰にも相談をせずひとりで決めてきたところがありました。

もうひとりではありません。

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私はもうひとつ面白い視点を得ることが出来ました。

私は自他同一化と自他分離化のふたつを持っている為か、他人の世界を認識することができるようになりました。

私は私の世界だけしか認識することが出来ていなかったのです。

しかし、私は『他人の領域』を理解し、その領域を想い馳せることが出来ます。

私は自他同一化により、他人の領域を認識します。

そして、自他分離化により、他人の領域を自分の領域から認識することが出来ます。

この認識によって、私は他人には他人の世界があるのだと、ダイレクトに理解し、自分にとって社会的な世界の広さを理解することができるようになりました。

いままで、私はとても小さな世界を守っている星の王子様だったのです。

しかし、他人には他人にとってみえている世界があり、その世界に対して排他的ではなく、もっと受容的に受け入れることが出来ます。

なぜならば『自他同一化』を起こすことができるので、相手がその世界を大事にしていることもよく理解することができるからです。

そうやって、私は『他人と共存する』ことを選んでいくことになります。

 

正直なところ、まだまだ課題はいくつもあるように思います。

だけど、ようやく成人期に入りました。

私はようやくパートナーシップの世界観を『二元性へ更新』することができました。

 

私は家族が欲しいと思っています。もう少し先の話です。