ツインレイの縁を結んでいる糸のこと。
Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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自分のなかにある不安が結ぶ相手がいる。その相手と結ばれるとき、必ず裏切りがやってくる。それは「別れのある縁」である。
だけれど、裏切りあっているふたりが自立して繋がり続けることも出来るんだとは思う。それは自分のなかに不安があり続けているからこそ繋がり続けている。これをもしかしたら依存的関係性と呼ぶのかもしれないんだけれど、この縁は、心の繋がりがない。
しかし現実的にどんな裏切り行為をしようが「別れのない縁」がある。
それは、本当に相手のことが好きってことみたい。
正直、私たちはトラウマを持っていないような人の方が少ないような人類なんだけれど、それが裏切りのように映ることもあるけれど、でも、トラウマがでてしまうことは安心があるからこそ。
安心があるからトラウマがでてしまうけれど、不安があるからこそ繋がった縁はトラウマがでた際に縁が切れるのである。それは相手のことが本当に好きってことではないから。
トラウマを見ないようにするために依存しているだけの相手だから。
別れのある縁・・・・・・不安により繋がっている縁(不安によりトラウマがでる)
別れのない縁・・・・・・安心により繋がっている縁(安心によりトラウマがでる)
現実的に、どのような行動や発言があったとしても、それが安心によりもたらされたトラウマの噴出であるならば、それは「別れのない縁」なのだと思われる。
なんとなく心の感覚で「繋がっている」と「繋がっていない」の体感がわかるようになった。
不安によって繋がっている相手は、私にとって「繋がっていない」のである。そして、私を道具にすることにより繋がっている相手もまた「繋がっていない」のである。
そして、彼だけれど、彼だけは未だに「繋がっている」のである。糸がまだ繋がっている感覚がしている。
それは、不安な状態から安心の状態に今移行しつつある。
安心の状態に移行すれば移行するほど、彼との糸を自覚することができるんだと思う。
そして、自分のためにもたらされている縁を、私はひとつずつ切っているんだなと思った。
自分の為だけに繋がっている縁は、私でなくてもいいのである。ほかの誰かが不安の解消や道具の役割を担うことも出来る。それは私である必要性はなく、そこには必ず最後に「裏切り」が存在している。また、それは裏切り続けているようなものなのかもしれない。
もし、裏切られたならば、同じように自分自身のなかにも裏切りが存在している。それに気づくことができると、自分が向き合わなければならない課題がわかってくる。
裏側で切れてしまった縁を再び結ぶことは出来ても、そこには遺恨が残るものだと思った。
不安や道具にしたいっていう理由で結びついた縁が裏切りによって断ち切られたとして、次に再び、糸を結び付けても、そこには結び目がある。いつどこで、この結び目がほどけるのかはわからない。
つまり、結び目がある再会もあれば、結び目がない再会もある。
元々トラウマにより繋がっている縁が、裏切り合い、次に結び目を結びなおして結ばれること。
元々安心により繋がっている縁が、表面的には裏切り合っているけれど、内面的には一切裏切っていないふたりが再び再会すること。
縁とは、このようなものなのだなと思った。
ツインレイ、その縁が「どのような縁なのか」は、みな違う。再会する理由も、みんな違うかも。
縁のカタチが、結びなおした人もいれば、結びなおす必要性がない人もいるんだと思う。そもそもずっと繋がっているんだけれど、その糸に気づかない人たちもいる。
でも、ずっと繋がっている糸がある。それが小指の赤い糸だと、私はそう思う。
そして、裏切ったことで切れてしまった縁を結びなおしたところで、再びいつか解ける。
そもそも「切れている」のである。切れていることを受け入れられないからこそ、結びなおしているのかもしれないんだけれど、切れているものは切れている糸を受け入れられずに結びつこうとする人たちもいる。
それは理に準じることが出来ているのかな。私はそれ、違うと思うけどな。
切れてしまったものは戻しようがない。
そして、切れる縁が人の縁だと思う。魂の縁は切れることがそもそも不可能なんだと思う。
できないものはできない。
縁とは「切れ目がないこと」なのだと思う。
つまり『〇』なんだと思う。
切れ目がないことが縁であり、一度、裏切りの経験があるのであれば、それは切れ目があると思う。
でも、これは心の話だし、眼にみえて分かることではないから、他人がどうこう言える話でもないなと思った。
人は自分のことしかわからない。