両親と和解した件

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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昨日は母に。今日は父に、姉との関係性で何が起きていて、どういうことされていたのか――を伝えました。

すると、両者とも「わかった」と理解を示してくれました。

母は「気づかなくてごめんね」と。

父は「意図して傷つけるのは間違えている」と。

ようやく自分に何が起きていたのかを言語化して伝えられて受け止めてもらえました。

これまでは実はよくわかっていなかったです( ˇωˇ )・・・・・・何が起きていたのか、どうしてそうなったのかとかも自分でもわかっていなかった。わかっているんですけど、言語化ができない。

ようやく姉による支配が外れて、姉による洗脳がなくなった感じ。

今までなんで分からなかったかって言うと、姉が分からないように隠してたからだと思います。姉にとって良いようにしていたっていうか。精神攻撃は本当に巧妙にやられます。

で、父も母も、姉を私と接触させないと言ってくれました。

 

なんていうか、初めて伝えられたっていうか。初めてわかってもらえたっていうか・・・・・・。

信頼が壊れていたものが修復できました。

え、すごいな。

壊れていた信頼関係が回復しました。

それからようやく両親に心から「今までありがとう」って伝えられました。

 

姉とは修復は出来ませんでした。ざんねんながら。

チャンスはあったと思います。でも、それを手に取ることが出来なかったのは姉だし、姉はそれでいいとも言っていた。

『それでもいい』のだと思います。私はそれでも良くなかったんだと思います。でも、姉にとってはその程度の縁なのだと思います( ˇωˇ )それを受け入れる。

姉があんな感じなのも、私には関係ないかなって思いました。

最終的に姉は「自分は関係ないや、悪くないや」って感じの解釈をして居なくなりましたが、そのように捉えて生きていくのも個人の自由なのかなって思いました。

姉が私へまともな謝罪ひとつ出来ないのも、姉の問題であり、私の問題ではありませんが、姉にとっては、自分の問題は私の問題だと思っているのだと思いまする( ˇωˇ )

姉の責任の部分を私に押し付けられてきた。

でも、なんか、どうでもいいや。自分の問題だけを私は考えれば良いし姉がどんなにサイコパスでもどうでもいいや。私がサイコパスなわけじゃないし(´・ε・`)

 

なんだろう。

辛かったし、苦しかったです。それは姉を姉だと思っていたからです。あれは姉ではありません。別の「なにか」だと思います。

父に話すかどうかも葛藤しました。もしかしたら伝わらないかもしれない、わからないかもしれないって思いました。それでも一応「信じてみよう」と思いました。

でも、意外にすんなり理解を示しました。

最初は「わかった」何度か言ってから「ようやく、何が起きていたのかがわかった」と。ボソッと「おれは精神的なことに無頓着だから( ´・ω・`)・・・・・・」みたいなこと言ってました。

父はアスペルガーっぽいんだが、祖父の目からも問題があるように感じられたのか、仏教の高校と大学に行かされております。そこで道徳を教えられてて「善悪」みたいなものはちゃんとわかっています。やったらいけないことはいけないっていうルールを守って生きています( ˇωˇ )

それから両親とも「知らないよりも知れてよかった」と言ってくれました。

私はずっと「知らない方が幸せなこともある」と秘密にしてきたことだとも思います。姉には特にそう思っていた。自分が原因だと思えば、姉が壊れてしまう気がしたから。でも、全然、そんなことありませんでした。っていうか、そんなこと気にも止めない性質だからこうなったんだと思う。

家族の幸福。私はそれを守ってきました。

大事な人のことは知りたいって思うよね。それが普通だと思います。苦しみだって一緒に感じて涙を流したいって思うよ。同じように感じたいよ。だって大切だから。

両親にはそのような良心がちゃんとありました。姉にはありませんでした。

 

兎にも角にも、両親とはわだかまりがとけて、私について知ってもらうことが出来ました。

ここしばらく、泥水部分の話が多かったなァと思いますが、読んでくれている読者の方には感謝ばかりです。

姉のように「人の苦しみは見たくない人」もいるんでしょうし、「人の苦しみにも向き合える人」もいると思います。

私は後者の方々といっしょに生きていきたいし、誰かの苦しみにも向き合いたいし、苦楽を共にしたいよね。

それが『愛』だと信じているから。

だから、もし、私の苦しみを読んでくれて受け入れてくれた方がいてくれたならば、愛してくれてありがとうm(*_ _)m