統合とは『勝敗の結論』がでること。

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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統合ってのが、まず無理って言う話。

よく『統合』って語られる精神状態は『結合』を意味している。

統合⇒分離(対立)⇒結合(または共依存)

というような流れで、一度、分離したものが統合状態になるものを『融合』っていうと思う。

融合した物質は『別の物質』になるから、別の生命体になるって意味になる。男でもなければ女でもない、新しい『なんとか』っていう性別が生まれる。無性や両性は男女を元に足し算引き算して定義されているから、新しい『なんとか』には当てはまらない。

けっこう、日本語に忠実な理解を進めると、ヤバい内容が多いのがスピリチュアルかもしれない。

 

ツインレイで語られている自己統合(自己結合)をアニマ・アニムスの統合として定義。

ツインレイのふたりが統合することを、お互いがお互いを認識し、受け入れていることとする。

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自己統合の定義『恋を終える』

アニマ・アニムスの統合っていうのは、自らの中にある異性性を肯定的に受け入れる姿勢であり、その際においてツインレイの相手を投影に使う。

投影をせずに、ダイレクトに当人を見る際、恋ではなく愛に忠実となる。

この際にツインレイのサイレントが開始されるが為に、投影のまま「相手を支配する」という争いによって分離したとき、どちらが支配者を決める為のサイレントとなる。(相手が自分の思い通りではないことを相手に押し付けるがゆえの争い)

投影を抜け「相手を愛する」という状態が生まれた際、分離時においての争いは「自己主張」により行われる。(互いが共存するがために必要なことを提示するがゆえの争い)

  • 相手を支配するための争い(投影がある)
  • 自己主張のための争い(投影がない)

という違いが生じる。

自己統合についてだが、投影が残ってしまった時点で、アニマとアニムスの結合兼統合はできない。

自己統合の結果

自己統合におけるアニマやアニムスが自己の中に生じている人格であり、また、理想であることに自己統合段階では気づいているがため、ツインレイの相手は理想的な王子様やお姫様ではない事実に気づく。

この段階において、男性は抑圧された自分の女性性(感情)を受け入れていく必要性があり、女性は、男性性を受け入れていく必要性がある。

  • 女性性たる他者への共感力
  • 男性性たる自己責任力

これらを獲得していく必要性がある。

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統合『結論がでる』

自己統合段階では、自らの投影に気づき、他者を思い込みで語っている自分に気づく必要性があり、自らの投影に気づいたからこそ、相手の存在に気づくことができる。

相手の存在を丸ごと受け入れる為には『愛すること』ができなければならず、そのときに幻滅を起こしたり、苛立ちやヒステリーが生じるのであれば、それは自己統合が終わらなかったと仮定する。

愛することができるようになる段階において『統合』としたが、それは個性化の確立と共に、自己実現段階に差し掛かっていると考える。(それを引き寄せとか書いている方々はロゴスが未発達かもしれない、アニムス的視点があいまいで自己統合がなされていない可能性がある)

 

個人的に、この統合とは、あんまり意味が無いものだとも思っていて、最終的に『結論が出る』として考えればいいのだなと勝手に解釈している。

いわば、自己統合段階で、分離時点で『抗争』が生じている。

その抗争にも、

  • 支配領土を広げる為の争い
  • 相手と和平をする為の争い

という二種類があり、前者は優劣が生じ、後者は共存が生じる。

その為、前者の統合では男女で優劣が確定され、後者の統合では男女の和平条約が確定される。

単純に『争った結果、どのような結論を出したのか』が統合であり、各々のツインレイたちにとって結論は違うものだと思われる。

おおまかに私の場合は、優劣において男女が結論づけられるか、男女に優劣は無いという結論づけられるか――の違いである。

そこにあるのは、自己統合にてアニマやアニムスと、どのような関係性を自らの中に構築したのか――の結論に他ならない。

いわば、ツインレイ間で優劣において結論が出たのであれば、再会したものは優位ある存在として着任し、再会せざるものは劣位ある存在として支配される構造を産んでいる(ので、すごくわかりやすいと思われる)。

ツインレイとして結論がどのように出たのか――は、その人自身の思想から伺え、また、統合という結合をなしえたがゆえの貫禄もあるものではないだろうか。

 

つまり、統合とは自己統合による結論が出るに過ぎない。

いわば、自己統合内容が統合にて表面化される。

アニマ・アニムスの話でも、存在しない人物や芸能人などに投影することで自己統合を果たすこともある。このとき、投影に気づく必要性がある。

投影に気づいた人から、自己統合を進め、最終的に『結論』を得る。

いわば、私が書いてきたツインレイとは、アニムスの投影(自己統合)と、結論による当事者(統合)が同一人物であることを意味している。

アニムスの投影と、結論による結果が他者になったとしても、またはアニムスの投影が芸能人だったとしても。

最終的には結論が得られればオッケーってことである。だってハッピーだから。

でも、投影段階で詰んでいる。または結論がでない方々もいて、その方々は迷子になっているイメージ。

私は一応、和平による争いやってて『相手を認めて信頼する』っていう自分の中にある存在たちと葛藤を起こしまくっている。

いわば、自己と自我の間での対立状態をお互いがお互いの納得する位置に切り替える必要性がある。

あとは元々優劣思想ががっつり入っている出の私なので、そのあたりも禊いでいく必要性がある。

 

簡単に言えば、統合は『結論が出ること』。

その結論が得られて終わるんだが、そもそも争ってもいなければ結論はでない。統合はこない。

自己主張をし合うのか、はたまた支配による争いなのかは、それぞれ違う。