聖徳太子の未来記の予言を解読してみると、かなりポジティブだった件。

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さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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一千年の時が満ちれば、黒龍(黒船)が来るため、都は東に移される。
それから二百年過ぎた頃、クハンダが来るため、その東の都は親と七人の子供のように分かれるだろう
これな。まず明治維新な。黒船来航は、1853年。そこから200年後あたり。
2055年ぐらいをさせばいいのかな。だいぶ先やな(;’ω’∩)
みんなが気になるクハンダ。
あたいがよく見てた真っ黒いゴリラみたいなオーラをまとってて本性が人間だとはまったく思わなかった生物を生み出す鬼のこと。
親と7人の子について、みんなが恐れてる。
で、少し考えてみた。私はずっとこれアブラハムも話でもしてんのかなって。
でもさ、聖徳太子って仏教徒だよね(;’ω’∩)
仏教を当時のトップである推古天皇に取り入れたらどうですかと進言した人。親が漢学者って話だよ。
だから比喩技法も仏教でさぐる必要性があると思った。
つまり未来記を誰が書いているのか――をちゃんと考えてから読んだ方が良かった( ˇωˇ )
仏教を推古天皇に進言したほど仏教に傾倒した人間だよ(ΦдΦ)カッ
調べてみた。あったよ、七人の子。
たとえばある者に七人の子がいたとして、七人の子のなかで一人が病気になれば、親の心は平等でないわけではないけれど、その病気の子にはとくに心をかけます。この七子のたとえには、もっとも苦しんでいる者こそ救わずにはおれないという如来の慈悲心が表わされています。
引用:例話の紹介
じゃァ説明してみよう。
2053年とか2055年とか。大雑把にはそれぐらいになってくると、クハンダっていう仏教徒を保護する存在がやってくるようになる。
親と7人の子のように分かれるって言うのは、
- お病気の子
- お病気じゃない子
にわかれる。そのうちのお病気の子に手厚い保護がある。慈悲が向けられるようになる。
予測を立てていくと、クハンダがやってくることによって、今まで救済されていなかった子たちに向けて救済ができるような状態になるよってことかもしれん。
今までは悪人だとされてきたけれど、その子たちにこそ必要なものが慈悲であり、その慈悲を与えられるような存在が東京に生まれ始める。
なんとなく、聖徳太子の未来記の内容がすべて「悪いことを言い当てている」というような洗脳にあっていたような気がするよ。
でも本当は悪ではなくて、現象を言い当てているだけだと思うんだよな。
これから30年後には、本当に苦しんでいる子たちが救われる世界になっているんだなーって思った。
私も今、慈悲っていう学習とかやってるし、私の2代目、3代目っていう子孫になってくると、確かにそういう、慈悲深い子がでてきて、本質的に救済するべきものを見抜く力があるかもしれないね。
他人からすれば悪でも、悪になるには悪になるだけの理由がある。じゃあ、それは本当に悪なのか。
罪を憎んで人を憎まず、これが徹底できるかどうかじゃないかとは思うんだ。
結局、悪かどうかを決めつけている私たちこそ悪だと、そう思わざるを得ないよ。
生霊も悪じゃないしね。
聖徳太子の未来記。自分の中に『恐怖』とか『善悪』があると、まっすぐ読めない仕組みかも。
そら聖徳太子が誰かよりも恐怖や悪の方に意識が向かう。なんなら、クハンダが悪だってのはインドであって仏教だと、仏教徒の保護をしている神さんなんだよな。
だから迷子になっちゃう。私たちはどうしてもネガティブなほうにしか考えることができないらしい。
予言関係は、当人の視点や世界観がかなり関係性してくる(イメージの問題)から、背景を読まなきゃいけんかったんだなって思った。
それができるようになってよかったよ。゚(゚´ω`゚)゚。ピィ-
で、私が見ていた真っ黒いエネルギーに包まれたゴリラみたいな怖い人間。
あれらが救われる対象だってことをクハンダは言いたいのかもしれない。またそれをクハンダとも言う。
本当に信仰心が厚い人はまっくろくろすけの悪いクハンダになっちゃうけど、そういう人にはより一層慈悲の心が向けられる時代がくる。
慈悲を受ける子と、慈悲を受けられない子。
でも、みんな平等だよ( ˇωˇ )っていう不平等のなかの平等の世界がやってくるんじゃないかな。
いい世界になっていくんだね≡⊂( ^-^)⊃