彼くんが望む私になっちゃった(愛とエゴにより才能が生まれる)

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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五年前、多くの人に私の絵を、私の小説を賞賛してもらった。

でも、私はもう描けない。

彼くんが特に関心を示してはくれなかったから。(´・_・`)ってなってた。捨てたんだと思う。

彼くんが関心を示してくれたのは、私が色々なことを説明する姿だった。色々な話を聞いてくれた。

そんなとき、心がドキドキして(*’д’*)彼くんだいしゅきって思ってた。

私は彼くんが大好きな気持ちを自分に具現化した。

彼くんは私の理論を読んで、笑いながら「書いてあることはわかるよ、でも、わかってもらう気が一切ない」って言っていた。

今も変わらない。私は誰かにわかってもらおうだなんて一切思っていない。受け入れてもらえた私。

彼くんが独り占めできなくて嫉妬したら、彼くんは嫉妬がわからないと言っていた。

そのとき、私は「嫉妬ぽい(。・ω・)σ ⌒*」した。

彼くんが受け入れてくれた私を、私は育ててきた。

今は料理したりとか、心理学に触れてたりとかする方が好き。まんま彼くんだと思う・・・・・・。

彼くんを尊敬していた部分が具現化されたような気がする。

 

私はたぶん、彼くんに喜ばれるような私になってて、多分、彼くんは私に喜ばれるような私になっていると思う。

それは「えー彼くん、なとちゃの思う通りの姿になって現れた、きゃーうれぴー‪⸝⸝> ·̫ <⸝⸝」みたいなものではない、、と思う。

この事実に気づいて、ゾッとした。

彼くん、ごめんなさいって気持ちが、とてつもなく湧いてきた。

私は私であることに、とてつもなく罪悪感があったのだ。それから、私の一喜一憂に影響されてる彼くんに申し訳がなかった。

まんま、子育てを意味していると思う。

 

彼くんが喜んでくれた私になった。

彼くんが悲しむ私は切り捨てたり、変えたりした。嫌がる私は捨てた。

彼くんもそうなってると思う。

ゾッとした。彼くんが私みたいな人間になってたらどうしよう(´;ω;`)ウッ……グスッ…ヒック

私は私が好きだけれど、私は私を愛していたわけではないのだ。親を愛して、彼くんを愛していたのだ。

それは私では無い。

だから、申し訳なくて、申し訳なくて、堪らない。

私という人間を愛せないでいる私が、申し訳ない気持ちでいっぱいになるんだと思う。

だから、ごめんねって思ってる。

これが無責任な親とも言えるのかもしれない。

たぶん、私の両親も、出来上がった私を愛せないでいるんだと思う。そして、自己責任だとも思った。

親は自己責任。自分の子供がどうしてこうなるのか。そのすべてが自己責任。子供の責任はひとつもない。

でも、私は今の私を作った彼くんを憎むことはない。

最初は優しい子。親に愛される私になること。受動的に自我形成をする。

次は創造の子。自ら愛した彼に愛される私になること。能動的に自我形成をする。

最後は、私という存在がすべてなくなり、あなたというまるで私をすげ替えたような存在になる。みんなに愛される人になる。

それは私が私を愛することなんだと思う。

親を愛して構築した人格、彼くんを愛して構築した人格。

どちらも、愛することに意味があるんだと思う。

私は私を好きになれたけれど、好きな部分は私の本質だと思う。頑張ってる私のこと。ずっと変わらない。一生懸命生きている私。

そして、私が私を愛する部分は、私が愛した親や彼くんからの影響。誰かを愛して私は私を構築している。

 

私が好きな彼くんは、頑張り屋さんだったとこ。彼くんの本質、だと、思う。それ以外の部分は、何でも良かった。

でも、なんでも良くなかったのは、私にエゴがあったからなんだと思う。

 

愛が唱えられるとき、真逆にはエゴがある。

エゴとは『能力』『才能』を生み出す。誰かのエゴを愛した分だけ、才能が生まれるし、愛されない部分は多くが失われる。これがギフト。

愛しているという言葉が生まれたのは、エゴがそこにあるから。そして、誰かのエゴを愛するとき、ギフトが生まれる。

愛の裏側にあるものがエゴならば、エゴもまた愛と同列に語られるものである。

エゴとは何か。

「愛されたい」って欲求である。

愛されたいけれど、愛されていなかったから、私たちは愛するのである。そのとき、ギフトが生まれ、このギフトは愛されないが故に生まれる。

私の絵が上手かった理由は親に愛されたかったから。

私が理論を生み出し続けている理由は彼くんに愛されたかったから。

ただ、愛されたいっていう欲求が、このブログを構築している。

ずっと枯渇しているのである。彼に愛されなかった経験が私を枯渇させている。

だから私は愛さなければならない。

私の理論を私が愛さなければならない。再び、私自身が受け取っていかなければならない。

 

私が彼を愛した総量がこのブログ。

カタチで見えるかと思う。これが私の愛した量。

愛されたいと思う欲求は愛した量に見合う。

ただただ愛されたかった。いや、違う。好きになってもらいたかった。

でも、好きになってはもらえなかった。

彼ではありませんが、みんなが好きになってくれました、このブログを。私を。

ありがとう(´;ω;`)ウッ……グスッ…ヒック

 

エゴを受け取った愛はギフトを生む。

ギフト。それは、好かれたい気持ち。

本当は、彼に好きになってもらいたかった。