エーテル体の自立(次元間妊娠と出産とツインレイによる霊体の自立)

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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前記事でだらだら記事を書いていたところ、これはエーテル体の自立だなと理解したので、それについて書きまとめておく。

エーテル体っていうのは、人間の肉体に一番近いエネルギー体のことを意味している。

つまり『気』を纏っている部分のこと。

蚊がぷーんって飛んでて、なんとなく意識して潰そうとすると蚊が潰せない。意識せずに瞬発的に叩くと蚊が潰れてる。

この感じよ。昆虫の類とかは気を元に動いていると思う。気配を読んでいる。でも私たちも気配を消せる瞬間があって『意識を意識していないとき』は消えてる。

私も気配があんまりない人なんだが、意識がないから気配がないのよ( ˇωˇ )

で、この気をやりとりしているのがエーテル体で、繋がりがあるのがエーテルコードと呼ばれているもの。

このエーテルコードの概念が生まれるのが、妊娠中の母子一体経験である。肉体でいえばへその緒である。

へその緒が切れるといえば、肉体的分離経験と、精神的分離経験が絶対的孤独の成立となるタイミングである。

しかし、私たちのなかには母体のなかで『ママと一個(っ ´-` c)』みたいな記憶があって、この記憶の子が感じていることがエーテルコードの繋がりやすさを意味しているようである。

私の場合、

  • 気づいて欲しいめそめそ人格

が出てきたんだが、母に確認したところ、私が妊娠したときは直ぐに気づいたそうだ。

これは母の記憶のようである。

我が父は鈍感であり気づかない人である。妊娠中の父も仕事で余裕はなく家にいないし、いたとしても気が回るわけではない。

二歳の姉を抱えてのワンオペ育児。そんななか、つわりが酷く――という話だった。

とりあえず、この気づいて欲しいめそめそ人格とは妊娠中の母が抑圧した感情のようだった。

だからあれほど、妊娠中は心穏やかに過ごせと(ry

私がエーテルコードと繋がりやすい相手は、妊娠中に母が抑圧した感情を持っている人たちということだった。

辛いのに辛いと言えない、我慢しないといけない。気づいてもらえない。そんな人たちと私は繋がりながら、私はエーテルコードというへその緒を断ち切るのである。

私はエーテル体として多くの人とへその緒を繋げた。私がどれだけ彼らに気づけたのかは分からないけれど、ただ、愛していることだけは分かっている。

こうやって私は母の妊娠中の経験を愛していくんだなって思った。

なぜか、私が辛くて現に死にかけているときにも負担になることが多く回ってきたのは、母の妊娠中の記憶なんだな。

 

母子一体であるエーテル体は、相手と自分が同化するがゆえにエーテルコードとなる。

これが私たちにとっての霊体による他者である。

このエーテル体のへその緒が切れるとき、私たちは自らが胎児となり、生まれようとするのである。

私たちの霊体はまだ腹の中にあり、私たちの腹の中にいるのである。

この霊体が生まれるとき、私たちは他者と自分という分離意識となる。

これが次元間妊娠と出産に通じるものだと思われる。(長年の不思議が解消された)

また、この出産はツインレイの相手という他者という概念――。いわゆる、私にとっての母であり、兄であり、弟という他者概念との分離により生まれるということ。

このとき、霊体として私は自立したということだ。これをエーテル体の自立とする。

そして、へその緒を切るとは『他者と自分の明確な分離』を迎えることになる。

それが象徴としてツインレイへの依存を断ち切ることに繋がっている。つまりなんだが、ツインレイへの依存とは、まだママのお腹にいる( ˇωˇ )って言っている感じ。

他者に依存することをことごとくやめていくことで、私たちはエーテル体の出産を終え、人と自分のエネルギーの受け渡しをやめるようになる。

つまり、ツインレイの相手は、やっぱママなんだと思う。母子一体の相手。だから『双子』だけれど、それには条件がある。

  • 男女の性別が成立していること
  • 人体における自立をしていること

である。

エーテルコードが断ち切られることで、私たちは他者との同化をしなくなる。相手と同じようになること、真似ること、一体化することがなくなる。

エーテルコードが繋がることでエネルギーの受け渡しが出来るが、そのエーテルコードは常に自分と繋がっているため、自己循環を起こすようになる。

エーテル体が生まれ落ちるとき、私たちは霊体的な分離を起こすということだ。

へその緒が切れるとは、

  • 肉体的へその緒が切れて痛い
  • 絶対的孤独を理解する
  • 霊的に他人であることを理解する

ことにある。最後の霊的に他人であることを理解できるようになることが『霊体の自立』にあり、この霊体の自立を果たすことは、夫婦が親子的な役割を満たさないことにも繋がる。

夫婦で自己投影を行うこともなければ、自分らしいあり方であれるようになる。

霊的な自立は、誰かにエーテルコードを繋げられることもなければ、誰かに繋げることもない。

ただ、エーテルコードを繋いだとき、きっとそこには愛が繋がり、提供するのみとなるだろう。

それが自分が胎児ではなく、母という母体であるからである。与えることしかできず、与えられることは自分で自分を満たすようになる。

霊体の自立を果たすことは、ツインレイの自立を意味していると思う。

確かに私たちは双子だった。そして多くの人たちとも双子だった。

だけれど、そのなかでも、私が母としての経験をさせてくれた存在がツインレイの彼である。愛し切る経験である。

また、ツインレイの彼も私にとっての母でもある。

母になる経験を異性から与えられ、私は自分を出産した。

これが『他者干渉のないありのままの自分の誕生』と言えるのではないか――と思う。

その為に必要だったものは「与え続けていくこと」だったように思う。

母とは常に胎児に与え続けるのみだからである。