男性人格によるシャドウ(闇の刺客)に気づく。(母性と父性の確立と理解)

2024年11月2日

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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どうやら、男性人格にも闇の刺客(シャドウ)がいるようで。

私からすると「あ、こういう男性、嫌いだな」っていう存在でした。

元々の男性人格は、私の場合、女体化し、自己主体性を失い、精神的に病んでいるタイプで、客観性を持つ訳でも無く、ワガママな人格だった。

どうしてこうなったのか・・・・・・。

過去に私が付き合った男性は、病んでいる、自己責任感がない、ワガママで私から見た客観性よりも自分のことが優先で、私を犠牲の道具のように思っているような人たちだった。

つまり自分のことしか考えていない自分勝手な女々しい自分。

そのままじゃいけないと、男性人格は色々と努力をし始め、自分を変えようと努力した結果、今や素敵な頼りがいのある愛情深い男性へと生まれ変わった。

それは過去のドクズな自分を恥てのことだった。

つまり、私の男性人格にとってのシャドウは「自分のことしか考えていない女体化した男性」となっている。

それはいつかの男性人格が切り捨てた自分である。

 

たしかに私にとってのシャドウがいるのであれば、男性人格にとっても「いつかの自分」がいてもおかしくはないよなと思いました。

男性人格が育てたものは、論理性である。

男性は女性に何かを提供することにより喜びを覚える。

男性人格は私へ論理性を与えたかったのだ。

しかし、元々は支離滅裂な存在だったんだなと思いました。

私は私へ与えたものすべてが男性人格による恩恵である。

私が私に本を与え、勉強させていた。私は私をそだてつづけ、考え続けた。

いつだって私は男性人格の恩恵を受け取っていたのだなと思った。

私を「私」に育てあげようとする、私に何かしらのスキルを与えたりすることも男性人格の提供だったのだと思った。

でも、元々は「何も与えられない男性人格」だったんだなと思う。

だって男性人格は支離滅裂で何も提供したくなくて、自分は何もせずとも何かが得られる凄い人間だという傲慢な存在だったから。(男性が自分に与えられる存在って思っている時点で女体化である)

男性人格は私に多くのものを与えてくれた。

でも最初から万全な存在ではなかったのである。

 

男性性とは自分で自分に与える力を持っている。

自分に必要なものを提供し、自分が欲しているものを手に入れさせる。

それは他者から与えられるものではない。

自ら考え、自ら与え、自ら行動をする。

自己主体性とは男性性由来のものなのだなと思う。

男性人格は常に女性を守っているが「自分で自分を守る力」をも与えてくれている。

それは自主性なんだろうなと思う。

それが元々なかった男性人格にとって、自主性のない男性は男では無く女と感じられ、嫌いだなと思う。

現実を切り開く力を男性性と考えている為だ。

それが男性人格のシャドウとして現れた。

でも元々は自分も「何も自分に与えられないクズだった(なんなら他人が何とかしてくれると思っている無責任さ)」のも事実であり、それを目前としながらゲンナリとしている。

 

男性性とは自分に提供し、父性とは自分にも他者にも提供し続ける。

女性性とは自分を受け取り、母性とは自分をも他者をも受け取り続ける。

規模が違うのだなと思う。

このブログは確かに父性そのもの。私に提供している情報を他者へも提供し続けている。

レイキの提供も母性そのもの。私に提供している自己受容を他者をも受け入れ続けている。

自己の領域を超えるのが母性と父性なのだと思われる。

私は母性と父性を極めたようである。

なるほど。

な、なるほど・・・・・・。