報告│影や投影はいらないなと思いました(自己統合の振り返りっぽい)
直感的に感じた事なんですが、ふと「影はいらないな」と思いました。
つい先日、シャドウについて記事を書いて予約投稿に入れていたんですが今日は消しました。
消したら、ふと「影、いらないな。」と思った。
自分のなかに影があるのかなって思って、探ってみたんだが、特にないな――と。
嫌悪感、生み出そうとすればできる。でも生み出さなきゃできない感じ。それってないってことだよね。
色々な出会いで自己投影があったんですが、その投影が自分のなかで抑圧した自己だったりして。
そんな自分を内包することや意識したりなども必要な時期がありました。
嫌悪感が広がっていったりとかもありました。自分がそこにいました。
でも、シャドウって投影同一視的な視点を持って成立している。
投影しなくなると「すべてにおいて自己責任だよな」って感じてしまい、相手へ嫌悪感すら感じなくなる。分離しちゃう。
嫌悪感って相手を自己投影しているから生まれるのであり、わざわざ投影しなくていいやって感じ。
そもそもねえや。影が。統合しきっちゃったかもしれん。
投影をしようとしても、なぜか出来なくなった。
だから、影、いらない――なんだと思う。
表があれば、必ず裏が生まれてしまうものかもしれない。
もちろん、人格であれば、光と闇みたいな人格があると思う。
でも、どの人格になるのか? は自分で選んでいると思う。
影という存在は抑圧している自分の体現だから嫌悪感が生まれるけれど、でも、抑圧しているわけではない裏や闇っていうのは、自分とは関係がないなって思った。
そもそも裏でもないし闇では無い。別の存在って認識しているかも。
その闇や裏の立場にいる人がいたとしても(自己認識ではもういないんだけど。)、まァいいやって思えるようになった。
そもそも元より関係がないのに『関係がある』って思い込んでいたって感じ。
自分でそれを選んで生きてて、私とは関係ない人たち。
ツインレイのこともそう。
まったく関係がない相手なのに勝手に投影していた感じ。その投影に幕を閉じる。
当人がどう生きようが、どんな人格であろうが。すべては自己統合後には、まったく関係がない人たちを関係があるって思い込んでいたことを理解する。
恥ずかしいね。マジ、恥ずかしい。妄想の住人だった。
ツインレイの相手もそう。
まったく関係がない人だと思う。
それがもし、自分と鏡のような存在でも、光と闇のような存在でも。自己統合状態では、鏡には感じない。別の個体。
そこに縁があると思い込む必要性はないんだろうなって思った。思い込みのために投影しているっていうか。
縁がないから縁があるって思い込みたい。鏡だって思いたい。
それが投影でもあるのかも。
ツインレイの二人には縁がない。だから投影して縁があると思い込みたい。ツインレイだと思いたい。
でもないんだよね。ないものはやっぱり『ない』と思う。
投影が終わると「なんもねえな!」って感じれる。
なんもないものに何かを感じなければなかったって感じ。ないもんはないと思う。現実、ないのよね。
条件付きの愛ってないものをあるって認識させる力があると思う。同様にあるものをないってさせる力もあると思う。
ひっくり返しちゃう。
条件付きの愛によって育てられると、自己分離が甚だしくなると思う。影が生じやすくなる。
無条件の愛で影を内包しきると、なんもなくなる。
ねえなー!
でも、ずっとあったよ。それが条件付きの愛が教えてくれたこと。
ないものを『ある』と教えてくれたのが条件付きの愛。ありがとう( ᴖ ·̫ ᴖ )
ツインレイに出会わせてくれたのも条件付きの愛。素晴らしい恋だったんじゃないかな。
何回、自己統合を完了すりゃいいんだって思うんだけれど、もう自己統合終わってて。(水星の逆行の影響かな~)
完了による結果や現象のひとつだと思う。
自己統合を意味するものがここにあるならば、自己統合すると自己投影が出来なくなるから、ツインレイの縁はないことを理解する。
すべては条件付きの愛により生まれた幻想。自己分離によって生じたもの。
どんまい≡⊂( ^-^)⊃未熟ななとちゃ!
でも、楽しかったね≡⊂( ^-^)⊃