人柱と罪悪感「存在してごめんなさい」を解消する。罪悪感の共同幻想世界の脱却。
先日、人柱について書いたんだが、その話の続編。
人柱とは、家族のなかで必要な犠牲という宿命を持つ子として定義する。
ではここからいかに人柱が犠牲者という立場から脱却するのか。やり方はあるのか? について考察してみる。
人柱が生まれる家系は、優劣意識がある。身近な親族との比較されて育つことになる。
優劣のうち、優位側が多数。そして劣位をひとり作ることで家系を精神的な維持を生み出すことになる。
なので、家系的にコンプレックス意識があればあるだけ犠牲の子が必要となる。いわゆる犠牲者作って自分のコンプレックスカバーしようぜっていう話。
ゆえに、人柱の子は『劣等感』『幸福恐怖症』『罪悪感』『被暗示性』『他者奉仕』『自己犠牲』みたいな人生になる。
ツインレイだと、ほとんど優位勢は結ばれたと思う。だから「なんか違和感があるな」とツインレイに対して懐疑的になるのが人柱側の人たちになる。
特にツインレイへ精神的充足感を求めるのも人柱のツインレイたちかな。
理由だけど、人柱たちは自己犠牲と他者奉仕することが多い理由はそれだけ精神的な視点を重要視している精神主義者だから。
でも、このままじゃ絶対に幸せにならないよ。これはマジ。精神の支配受けてるから犠牲の概念を自分のなかで壊していかないと結婚しても、自分が満たされる結婚はできない。
なんなら自分の幸福を壊していく人生になる。
根底にある感情は『罪悪感』なんだ。
自分が存在していてごめんなさい。
これを生まれて三歳までに叩き込まれた子が犠牲の子。何人か犠牲の子が出来たら、そのなかでいちばん弱い子に対して「あれよか自分の方が価値がある」と思った子が支配の子。
ふたつの意識の根底には「存在してごめんなさい」っていう意識で存在していることすら自分に許せない。
自分の存在が許せないから、犠牲の子は自分の人生を他者奉仕、自己犠牲という贖罪的な人生をあゆむ。
根底には存在することへの罪悪感。
支配の子も根底には存在することへの罪悪感を、すべて犠牲の子に背負わせる。自分の罪悪感をなかったことにする。
だから支配の子は私から見て、鈍感、、かな。人の気持ちがわからない人ってイメージ。同時に自分の気持ちにも鈍感。
『自分に鈍感』になる。その分だけ人に自分が背負うべき感情や罪悪感を人に押し付けた結果なんだと思う。
犠牲の子(人柱)は『自分に敏感』になる。人に押し付けられた分だけ、感情とかも強く認識しやすいし、なんなら感情を押し付けてきた人と癒着してるから、その人の感情を体現したりすることにもなる。
自分のものでもないものが自分のなかに常にある状態だから自他認識はあんまり持っていない。(から共感指数が高い)
支配の子も同じように自分の感情を押し付けている手前、自他認識があまい。(から他人を自分、または自分の道具と認識する)
単純に理解するなら、存在してごめんなさいっていうのをダイレクトに背負って贖罪の道をあゆみ、自分の人生を破綻させることで誰かに許されたい犠牲の子(人柱)。
逆に、自分の存在価値はてめえよかあるから存在してもいいと思い込むために犠牲を常に必要とし続ける支配の子。(慢心が強い)
犠牲の子(人柱)は常に自分を蔑み、蔑ろ等されていくために、自分を大切に扱ってくれる人とは結ばれにくい。(典型だとDVとかな。)
支配の子は常に他人を蔑みながらの人生になるから、最後は相手に逃げられる可能性たかい。または相手が頼りにならないと言い続けて本当に『犠牲』を生み出す。
とかな人生になる。
どっちも不幸やで( ˇωˇ )
潜在意識、こっわいね。
何とかするには、根底にある「存在してごめんなさい」の感情を処理すること。
支配も犠牲も、どっちも「存在してごめんなさい」っていう罪悪感に対して『人のせいにする』『自分のせいにする』っていう2種類のアクションがある。
ここでひとつの驚きなんだが、その罪悪感。そもそも存在しないからってこと。
罪悪感に対して「人のせいにする」わけなんだが、そもそもそこに『罪や悪』はないんだよ。ないものを人に押し付けてる。
「自分のせいにする」も同じ。罪や悪はそこにはない。それを背負ってる。
ないのよ、そこには罪も悪み、因縁も、因果もないの。
あるのは「自分が何をしたのか」の現実だけ。「自分がどんな発言をしたのか」の現実だけ。
そこに罪悪感があるから行動したとしても、罪悪はフェイク。残るのは「行動」や「発言」なんだ。
つまり罪悪感に駆られて自分の問題を人のせいにした。この場合「問題を人のせいにする人」って事実が残る。
同じように罪悪感にかられて人のやらかした問題を自分が背負った。この場合「人の問題をかばった人」って事実が残る。
でも別に、罪悪感を人のせいにしたわけでも、罪悪感を背負ったわけでもないんだ。
問題を人のせいにして、問題を背負っている。
精神領域の見えない世界観ではこの共同幻想のやり取りが行われる。だから「存在してごめんなさい」っていう概念を持っている人達だけが理解できる罪悪感のやりとりがある。
でも、罪悪感っていう概念がなければ、この罪悪感のやるとりは成立しない。
話を暴投に戻すが『優劣意識がないこと』によって罪悪感のやりとりはなくなる。
でもたいていみんな優劣意識持ってるから罪悪感の取り引きが行われているってことなんだ。
でも、そもそも「存在してごめんなさい」の贖罪って何? 意味わかんなくない? ってこと。
存在してごめんなさい、だから死にますっていうのが人柱。
存在したらいけないのはお前だ、だからお前が死ねっていうのが支配の子。
でも、そもそも「存在してごめんなさい」も意味がわからないし「存在したらいけない人」ってどんな人だよ・・・・・・って思う。
つまり、フェイクなんだよね。『意味無いことに振り回されている』ってこと。
だからこの罪悪感のブロックを解除してあげれば、罪悪感により生まれる優劣意識っていうのは解消されると思われる。
最近、罪悪感のやりとりを引っ掛けられたんだが「ふーん。」で終わったので『存在してごめんなさい』を解除すると人が何言ってても「なんだコイツ、不躾な人間だな。」と心で思いながらニコッと対応してスルーが出来るようになる。
過剰な感情もわきあがらなくなると思われる。
度々、相手に自分の感情を押し付けてしまう感じの人は犠牲の子(人柱)を嗅ぎ分けるらしく、めっちゃ突っかかってくる感じのセリフが多い。
理由なんだが、根底に「自分の優位性を示したい」っていう自分が優位じゃないと存在が許されず自分が殺されるぐらいの勢いで皆生きてる。
だからあんまり非難してやるなよ、とは思う。根底には同じ罪悪感抱えているって感じ。
ただ支配の子がガチでやらかすのが、この記事を読んで「自分には罪悪感がない」と思いこんで何でもかんでもやり放題になって逮捕されることになるって道がある。
罪悪感があるのに『ない』って思いこんで、反社会の道に歩むケースがある。根底には罪悪感があるから、罪悪感を否定した道を選ぶと人生が詰む感じ。
犠牲の子は精神的知性(EQ)が鍛えられているんだが、支配の子は心を認識しないような人生生きてるから自覚が持てていないケースのほうが多い。
たぶんこの記事を読んで「しっくりきた。どうしたらいいのかのヒントが見えた」と思った人は犠牲の子の気質が強いと思う。
犠牲と支配のパワーバランスがどっちに偏るのかの話でもある。
私は犠牲の育ちで自己犠牲の道へ意志を持って挑むみたいな僧侶みたいなことをやっている。だから100%の犠牲と同時にひっくり返って100%の支配をも持っている人とも言える。(だから人によっては支配されている感覚を覚えたり、私を犠牲という神だと誤認する人もいる。)
ただ支配もしないし、犠牲にもならないってことで罪悪感そのものの「存在してごめんなさい」って意識を手放すことになった。(ここまで認識できたのも、100%の振り切りがあったからなんだとは思う。)
本来、人には優劣意識が備わっている。どちらもある。優位意識もあれば劣位意識もある。
人によって態度が変わると思う。
だから「存在してごめんなさい」を解消することが大事。
チャクラとしては、背面に第一チャクラと頭周辺のチャクラとの繋がりの場所に「存在してごめんなさい」が眠ってるっぽいから、ここを浄化すればいいっぽい。
不調としては『雨の日の不調』『偏頭痛』とかがでやすいっぽい。
「ごめんなさい」についての解消は常に頭痛がつきものである。
頭痛が酷い人は謝れない人多いかもしれぬ。孫悟空かも。罪悪感があるのにごめんなさいが言えないし、自分は悪くないって思っている。頭痛になる。
でも、全力で人のせいにして解離起こして自己の記憶の改ざんを起こすタイプの自己愛者には症状でていないっぽかった。
だから「洗脳」なんだよね。優劣意識も洗脳のひとつってこと。
みんな人類、存在が許されてる。でも、許されない、許されるっていう究極の意識が根っこに住み着いているケースが多数。
あと正義感――か。
正義感が強すぎたりするのも、根底には存在してごめんなさいっていう罪悪感がある。
ツインレイの話の中にも使命のことがよく書かれているんだが、社会的な使命に燃えたり、ツインレイのことを援助したいっていう正義感とか。
自分の使命はこれなんだってやつとかも「存在してごめんなさい、役に立たなければ消される」みたいな意識が根っこにある可能性がある。
この犠牲と支配の世界線とは『罪悪感による洗脳』により成立している世界観。
人柱も終わらせてこ≡⊂( ^-^)⊃