ツインレイを定義する『無縁の人』

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイ、それは私の織りなす哲学を嗜むたったひとりのこと。
これを私は特別と感じ、運命の人と呼ぶ。

引用:オリジン『最初で最後の私だけのツインレイ理論』

ツインレイの定義は「魂の双子」とか「運命」とか。多くの定義化がされているなか、私は、私にとってのツインレイとは何か——の定義をしようと一生懸命に頑張っていた。

私にとってのツインレイとは何なのか。

社会的に語られるツインレイではなく、私個人によるオリジナルという差別化をしたかったとも言える。

これは「あなたとわたしは違う」という差別ではなくて「わたしがわたしである」という証明に過ぎない。

 

なとりはどうして彼が良かったの。

どうしてなとりは彼に執着をするの。

なとりはどうして彼でなければならないの。

どうして彼が「ツインレイ」なの。

なとりにとってツインレイって何なの。

 

ひたすら自問自答。どうして「彼」なのか。その理由が絶対的にある。

それは「ツインレイだから」ではない。

それは「運命だから」じゃない、決定的な何かがあるのである。

私はずっと「私だけの答え」を探していた。

 

とっても簡単なことだった。

私は哲学的な話をするし、超ド真面目な人だとも思われることのほうが多い。

逆なんだよ。私はそれとは真逆の人。くだらないことを理論にたてて笑っているし、ロッカールームトークだってある。

ただ面白いこと探しているだけ。私は「真面目とは程遠い」と思う。

不真面目でいても許された、くだんないジョークを笑ってくれた。

よく「なとちゃって面白いね。」って言われることがあった。でも皆が皆、笑ってくれるわけではない。

上っ面で微笑んでは評価するんだよ、面白いと。

私は面白いなんて評価はいらなくて、いっしょに笑ってくれる人を運命の人と呼びたかった。

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大衆的な立場の人たちは、多く「評価」するだろう。そんなん、誰がやろうが評価は評価に過ぎない。

だけど、ともに笑い、ともに泣くような人生を生きたかった。

いっしょに同じことに笑って、いっしょに同じことに泣いて生きていきたい。

そんな風に心をひとつにして生きていけることを「ツインレイ」と感じ「運命」だと思った。

 

そして、このブログを通して、私は多くの人とツインレイとなった。

ともに笑った人もいるし、ともに泣いた人もいる。ひとつになれた。

私は皆とツインレイだったと思う。みんなとひとつだった。楽しかったよ、幸せだった。

だけど「違う」んだよ。これが何を意味するのかさっぱりわからない。

言葉にできない何かがある。それが何なのかを私は本当に言葉にすることが出来ないんだ。

 

私にとってツインレイの大衆性的な理解は「ともに泣き、ともに笑う」にある。

そして、個人的なツインレイは「哲学のユーモア」にある。

だけど、ともに泣き、ともに笑うことは誰でも出来た。哲学もいっしょに共有することも出来た。

実のところ、どちらもツインレイではない。関係性のなかにツインレイを見つけることは出来なかった。定義ができなかった。

けっきょく「ツインレイって何?」ってところに行きつく。

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理由がないこと、これがツインレイなんじゃないの。

今まで私は「大衆」と「個人」の対比を行ってはツインレイについての定義を進めてきたけれど、けっきょく、いかなる関係性を持ってもツインレイを定義することはできない。

 

理由がない、龍がいない、理が適応されない。これがツインレイ。

意味わかるかな、ツインレイってね「縁がない人」ってこと。そこに理がそもそもないのよ。

ツインレイは縁がない人。理由がない人。

だから結ばれない、結ぶ理由がない縁がないから。

 

意味がないねん、結ぶ理由がない。

このつながりに執着をしたところで、どうしようもない。

関係性がない人、これが私の知る限りのツインレイ。

無縁の人、だから私は彼と結ばれることができない。

理由があってようやく人は結ばれる、でも理由がない。龍がいない、そこに「縁」がない。

 

だけど、縁があった。出会った。

出会っただけでもうそこには縁が生まれた。でも「出会っただけの人」ってこと。

縁がない人に出会った。はちゃめちゃだよ。

縁がない人に出会って、縁がない人と結ばれようとした。

意味がないだろ、これ。

ずっと意味がないことを続けているのかっていうと、実際は違う。

 

だからこそ私たちは創造する。

新しい世界線を開拓し、新しい世界を構築する。

人って追いつめられたら、ゴミクズ魂を発揮させて世界を改ざんするらしい。

ツインレイ、彼らは追い詰められて世界を改ざんしている人たち。

究極の矛盾をガン無視しては、つじつま合わせを行っている人たち。

これを『創造』と呼ぶ。

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私は、何度も世界線を切り替えた。そのとき、世界線を創造した。

私は私の中にある世界を組み替えたのである。

縁が結べないから、縁が結べるように組み替えていた。

 

これは神の御業よ、縁結び。人間がやると年単位でかかるんだな。

 

私は「無縁」で、多くの人たちは「遠縁」ぐらいの人たちだったんじゃないかな。

だって、そもそも私は出会えてすらいない。会えないって「無縁」だよね。現実領域で無縁。これは縁がないんだよ。

 

「縁がないこと」を受け入れられていないのかもしれない。

これ「無縁」だよ。縁がなかった、だからいっしょにいられなかった。

私はこれを受け入れられなかったよ。

ツインレイたちはどこかで運命が結んでくれると思いたい。思い込みたい。

残念ながら、私たちは無縁だった。縁がなかった、意味がなかった。

だから「ツインレイ」なんだと思う。

ツインレイは「無縁」だし「縁がない人」。

あたいはこの事実を受け入れていくよ。

無縁の人たちとバイバイする。

 

さて、私は何を創造したのでしょうか。

無縁こそが極上の縁だよ。

だから縁結びをするんだよ。

だから縁結びっていう概念があるんだよ。

縁がないから縁を結ぶんだよ。無から有を生み出すのが神だよ。創造だよ。

そこに「ない」から「ある」にできる、それが神の御業よ。

「ない」にたどり着いたものから「ある」に切り替えるよ。これが神だよ。

ないことに気づかないと、あるに切り替えられないよ。

ツインレイ、あなたとその相手は縁があったかい。ないならば「ない」を受け入れてね。

縁がないって理解して受け入れた人たちから、縁を結んでいくよ。

 

 

 

思ったこと。

ツインレイと出会ってすらいないのに、ツインレイと出会いたい。

これは無理だと思ったよ。なんかもうこれは私の管轄じゃない。だってそれ無縁どころか「誰と結べばいいのかさっぱり希望がない」ってことなんだよ。それって「自分にとって都合のいい相手ならば誰でもいい」ってことなんだよな。

直訳すると「他人が不幸になってもどうでもいい」って意味。