龍による火の役割と水の役割があるよ。
龍には火の役割と、水の役割があるよ。
火は伊勢神宮だよ、水は出雲大社だよ。
火は覚醒しているよ、水も覚醒しているよ。
火は起きているとき覚醒しているよ、水は眠っているとき覚醒しているよ。
この人(なとりのこと)は水の眠り龍ぞ。眠り、眠りの眠り龍の人ぞ。
火は起きているとき、みているぞ。
水は眠っているとき、みているぞ。
どちらも覚醒ぞ。
伊勢と出雲の違いは、水と火の違いぞ。覚醒の違いぞ。
どちらも人のなかにあるぞ、水の心と火の心があるぞ。
水の心はすべてと繋がる心。
火の心は独立している心。
どちらも必要ぞ、どちらも、龍の心の在り方ぞ。
すべてと繋がっているからと言って、独立していないとは限らない。
水は夢のなかで繋がるぞ。この人は眠りを支配するぞ。
火は現実のなかで繋がるぞ。その人は現実を支配するぞ。
どちらも大事ぞ、どちらも、己の在り方ぞ。
水の人と火の人、己のなかにおるぞ。どちらも重要ぞ。
このふたり、手と手を取り合わせていく必要性があるぞ。
水の人の心を理解せよ、火の人の心を理解せよ。
すべてと繋がる夢の心を理解せよ、すべてと遮断される現実の心を理解せよ。
まずはどちらかからか進んでくるぞ。
ふたつは大地で繋がるよ、あなたの表と裏の姿をひとつに統合するよ。
火の心と水の心。火の人と水の人をひとつにまとめるよ。
どっちも重要ぞ、これぞ、真実なる覚醒ぞ。
火の覚醒は現実で視えようぞ、心得よ、すべてを現実と理解する心ぞ。現実を受け入れる心ぞ。
水の覚醒は夢で視えようぞ、心得よ、すべてを受け入れる心ぞ、精神を受け入れる心ぞ。
どちらも重要ぞ、龍の心の在り方よ。
火の心と水の心をひとつにまとめるとき、真実なる覚醒が起きるよ。
このふたつを隔てたままならば、ひとつにまとめることはできないぞ。
火は火でないぞ、水は水ではないぞ、このふたつを合わせれば、なにもなくなると知ってのことか。
このふたつを合わせれば、すべてが消え、すべてが現れるのだぞ。
すべてが消えたとき、すべてが現れ、すべてを理解することになるぞ。
水だけではいけないよ、火だけではいけないよ。どっちも大事だよ。
このふたつを繋げることができるのは、玉の心ぞ。純粋なる心ぞ。
純粋なる心があれば、このふたつを繋げることが出来るよ。
みえるよ、理解するよ、繋がるよ、すべての糸が通せるようになるよ。
火の縁を結ぶ神あらば、水の縁を結ぶ神あるぞ。
水の縁を結ぶ神が結べど、火の縁を結ぶ神がいなければ結びつけぬぞ。
水の縁を結ぶとき、現実が隔てるぞ。
火の縁を結ぶとき、精神が隔てるぞ。
どちらのみならず、どちらもの縁を結び合うとき、世に龍が顕現するぞ。
火のお役目の人、水のお役目の人おるぞ。
火のお役目の人、縁結びをするよ。
水のお役目の人、縁結びをするよ。
どちらも同じことであれど、どちらもかけているよ。
眠りの縁と、現実の縁を、どちらも結び合うことができるのが玉の心よ。
心を醒ませよ、そのために現実を見よ。
心を醒ませよ、そのために精神を見よ。
どちらかが出来ても、どちらかが出来ていなければ意味がないぞ。
現実を見て精神を見よ、精神を見て現実を見よ。
このふたつを糸で結べよ、結ぶとき、火の心と水の心が繋がるよ。どちらも重要ぞ。