ツインレイの関係性によるエゴの浮き彫りとツインレイの課題
この記事の続き。
ツインレイのサイレント期間前に本音への導き出しができた。
1.突然湧いてでてくる彼くんへの不信感を吐きまくる(これは一方通行的な精神的なDVである主張)私はこれを「????」と感じている、なんだこれって感じ。
「一方通行による問題」があって、これは『与える』『受け取る』の一方通行性があったから、裏側に起きているものが何も見えなくなってしまうような状態が生じる。
たとえば、与えているときに何かを受け取っている感覚は持たない。そんな感じ。なんなら全力で差し出しているときに、何かを受け取っているとは感じられない。人の意識は常に『ひとつ』みたいなところがある。
ひとつの意識では「与える」または「うけとる」でしか理解ができない。
これが『精神的なDV』と呼ばれる、与えて受け取る一方通行により、与える側の意識が枯渇して、受け取る側の意識が罪悪感にまみれ始める——という状態になる。
つまり、与える側はどんどん自分のなかが消耗していく。受け取る側は与えられているが、どんどん与えられているのに何も返せていない感覚がして罪悪感がうまれるようになる。
最終的には「与えてもらってありがとう」ではなく「ごめんね」となってしまう。これが罪悪感。
私は彼に罪悪感を持ってほしかったわけではなかったので、私も泣きたくなるって感じ。
この循環による問題が、私のツインレイによる離別原因となった。サイレント期間に突入する原因にあたるものである。
まず「失敗失敗、仕切りなおしてもう一回」についてだが、これは仕切りなおす必要性がある。
理由なのだが、私たちは、先ず『何がわかっていないのか』『何が出来ていないのか』のホントのところを理解する必要性がある。
ゆえに、先ずは『自分自身のエゴ』により、何が問題な状態なのかを理解する必要性がある。それはエゴにしか存在していない。
エゴとは『自分の思い通りではない理由』なんだが、それを人のせいにしているとき、私たちは『エゴ』となる。しかし、その原因を己へと向ける時、私たちはエゴを成長するためのバネとして使うことができる。
まずは失敗して『何が問題なのか』を理解する必要性がある。
私の場合のエゴは、与えているがもらっていないこと——をあげている。それが問題であり、それの原因は「彼のせいだ!」とエゴは言い始める。ので、これを『彼くんのせいじゃないモン!』と抑圧し続けると、爆発して『もうひとつの回路』が発生するように扉が開くのである。
つまり、自分の思い通りになっていないのであれば、自分の思い通りになるように精神構造を組み替えたらいいじゃない~ってことになっている。
サイレントの始まりのときは『提供』ができるようになった。次に『相手も提供している』ことに気づいたのが今。エゴによりみえていなかった部分だと思われる。
不満がなくなる、与えられている実感が湧く。
だから、私の場合、ツインレイのふたりによる『循環思想』については、ずっとテーマだったんだと思う。ふたりが共存できる感じの精神構造を再構築していくこと。
今はようやく『ツインレイ中の彼くん』がいかに私に与えてくれていたのかを実感することができるようになった。
これにて私の中の『循環』が成立しつつあるのである。
与え、与えられ、受け取り、受け取られ——という双方における「与えているとき受け取っている」みたいな思想が理解できるようになる感じかな。
彼が『受け取る』が出来たものは、『差し出し』にいたるのかなと思っている。あのとき、差し出せなかったものを差し出す。