イザナギの願いとイザナミの願いと『ナギナミをククリヒメが縁結び』

| Ⓒ なとり

sponsor link

ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

kindleの読み放題Kindle Unlimited30日間の無料体験』では、ほかの三冊も同時に読み放題


冥王星と天王星によるふたつの星は、黄泉の国と高天原で、海王星がもし地球であるならば。

この海王星という「あいまいな世界」で、ふたりが別れてしまった悲しみを子供たちが叶うことができるようになっているのかもしれない。

海王星では黄泉の国と高天原のふたつの境界をあいまいにする。

イザナギとイザナミは、まだ再会していない。

このふたりは別々の国にいる。そして、それぞれの世界を守っている。

イザナギは、イザナミに会えていない。ひとりで仕事をしている。

会いたい気持ちがあるけれど、会えない。だけれど、心のなかで信じあっている心がある。

だからこそ、ふたりは会わずともいられるのである。

それはやっぱり神だからなんだと思う。

 

この世では『男女』がいる。

その男女がナギとナミとして出会うとき、神も喜んでいることだろう。

ふたりは再び出会うことはできないが、子を通して出会っているからである。

そのために私たちは地上に送り出されてきた存在である。何度だって、この地球でふたりは出会える。

ナギナミが心のなかで「会いたい」と思った数だけ、ふたりは出会う。

 

本心を語るとき、きっと結ばれることができる。

会いたい人に会いたいと思い、好きな人を好きだと思う気持ちを大事にしてね。

それがナギナミの願いだと思う。

神の願いは人が叶えている。

ナギナミの願いは「会いたい人に会いましょう」ってことと「好きな人を好きだと思いましょう」だと思う。

この地球では神の願いが叶えられ続けている。そのために人はいる、神の悲しみの為に。

 

素直になることなんだと思う。

素直になることが出来ずに、支配をすることで結ばれることもできるけれど、そうじゃない。

そのときはナギナミの願いは果たされていない。

すごく穏やかな心を持つご夫婦の神さんなのだと思う。

なんかこう「会いたい人に会いたい」のも「好きな人を好きになる気持ち」を大事にしていけば、夫婦は円満なんだなって思った。

 

冥王星はイザナミの怒りで、天王星はイザナギの悲しみなのかな。

冥王星は「好きな人を好きとも言えない苦しみ」を想っていて、天王星は「会いたい人に会えない苦しみ」を想っている。

だから、冥王星は「好き」で、天王星は「会いたい」なんだと思う。

冥王星は「好きな感情」を応援していて、天王星は「会いたい行動」を応援している。

ふたつがひとつになる海王星は「好きな人に会いたい」ってことなんだと思う。それが創造なのかもしれない。

好きな人に会いたいとき、たぶん「海王星があいまい」にして、ふたつの世界を繋げていく。

 

女性にとっては「好きな人」だけれど、男性にとっては「会いたい人」なんだと思う。

それぞれの『恋』の意味が違うような気がする。

 

好きな気持ちが海王星へ繋がって、会いたい気持ちが海王星へ繋がったとき、きっと会えるよ。

海王星では縁結びをやっている。ククリヒメがいる。

もしかしたら、覚醒ってすごく単純なことなのかも。

好きな人を好きだと思って、会いたい人を会いたいと思うことなのかもね。

でも、私たちは、そんなことすらわからないのかもしれない。

好きな人を好きだとすらわからないし、会いたい人が誰なのかもわからない。

イザナミとイザナギがふたり別れ離れになりながらも、お互いが好きで、会いたがっている気持ちを私たちが繋げているのであれば、私たちは出会わなければならない。

神の為に、そして自分の為に。私たちは、好きな人に出会わなければならない。

 

私たちは自分のなかにある冥王星による『好きになってはいけない理由』を終わらせて『好きになる理由』も終わらせていく。好きに理由はないから。好きになる理由は自分にある。すべての感情の責任を自分で背負う。

天王星による『会ってはいけない理由』を終わらせて『会いたい理由』も終わらせていく。会いたい理由も、会いたくない理由も、会ってはいけない理由も、どこにも理由はない。自信がなかっただけ。

そして、理由は「海王星」にある。

私たちは、私たちのなかで混ざり合っているからだ。混ざり合っているあいまいな部分が「縁」になる。

なにも混ざり合っていなかった私たちは、縁を生み出すことが出来なかった。

あいまいな、創造的で、夢想的な、また依存的で——。そういう、混ざり合うことからしか生まれないものがある。それが「縁」なのだと思う。

そして、それを『好き』だと思い、『会いたい』と思うのである。

 

みんなが、好きな人に会えますように(o^―^o)

会いたい人に会いにいけばいいのです。そして、好きな人を好きだと思えばいいのです。

でも、多くの問題があって、それがなかなか難しいことになっているけれど、きっともう大丈夫。

 

好きな人が誰なのかが分かっているし、会いたい人が誰なのかもわかっている。

 

ククリヒメはひとつにくくったよ。だから「ばらばらだったものをひとつ」にしたよ。離れちゃだめだよ。海王星だよ。

で、もう一回、ばらばらにしたよ。

さァ、どうする?

みんなが、好きな人に会えますように(o^―^o)

 

ククリヒメの縁結び。

統合させて、ばらばらにさせてみる。で、そこに「好き」と「会いたい」が生まれたら結ぶよ。

イザナギとイザナミの縁結びだよ。