一霊四魂とツインレイとシュタイナー理論
一霊四魂の一覧表 よみがな 役割 力 荒魂 あらみたま 勇 達成力 和魂 にぎみたま 親 調和力 幸魂 さちみたま 愛 人を愛し育てる力 奇魂 くしみたま 智 悟る力
何度かこの一霊四魂について書いてきたんだが、こたびで一応完成? かもしれない。
たぶん、シュタイナーさんが話していることと私が話していること。それから出雲の神話と一霊四魂で話していることが同じ気がするので、その一件について書き纏めてみるとこんな感じ。
まず、地上のツインレイのおいて、自己が、荒魂から和魂に変化させることができると、荒魂という存在がやってくる。この相手が地上のツインレイ。最後は離別することにより、お互いのなかに存在する魂を分離させる必要性がある。
このとき、荒魂と和魂が成立するところから『達成力が得られる』のと『調和力が得られる』ようになる。
次に楽園のツインレイにおいては『調和力という和魂』が完成したときに出会う。
そのとき、自己のなかにある『自己分離』と『自己統合』により『奇魂』と『幸魂』を成立させることになる。このとき、和魂にはトラウマ人格を持つ魂となり、この人格がシャドウを引き寄せるようになる。
この奇魂を「ルシファー」とし、幸魂を「アーリマン」とする。
ルシファー意識は『霊的な誘惑にたえられるのか』というテーマ。霊的に活発化させて、自分はしゅごい! にならないかをチェック。
アーリマン意識は『物質的な誘惑にたえられるのか』というテーマ。物質的に活性化させて、自分はしゅごい! にならないかをチェック。
これが一応、ルシファーが『死を肯定する悪(地獄の概念)』であり、アーリマンが『生を肯定する悪(生きる概念)』が存在しているって感じ。あたいも最後にこのふたつはペイした。
シュタイナー | ||
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荒魂 | アスラ? | 生きる力・苦しむ力 |
和魂 | キリスト | 死と生を循環させる |
幸魂 | アーリマン | 死を肯定する悪(地獄の概念) |
奇魂 | ルシファー | 生を肯定する悪(霊的世界の概念) |
大国主神は海の彼方から光が飛んで来るのに遭遇し、その光が御身に宿る幸魂・奇魂であることに気づき、その御霊に生かされているという自覚を得ます。
この一霊四魂にも『善悪』がある。その悪を内包していくことがツインレイの課題だったのかな? と思っている。
「恐れや不安を抱いても疑うことなく、己が決めたことを貫きなさい。
それが、あなたの真の願い。
何を疑おうぞ。疑うことなかれ。
疑うのならば、己が決めた自分の意志が揺らぐことを疑うべし。
これは、道に迷ったときに誰もが抱くことであり、すべての人に通じるものである。」
私は、今回の楽園のツインレイ。出雲が関係していると思っていて。
その件は、この幸魂と奇魂による純化だったのかな? と思った。
このなかに存在している『悪』とか『トラウマ』。
たとえば、奇魂が霊感をはたからせて何かの成就をもたらす役割を持っているのに、なにかしらのネックなことがあって、それが叶わないことがある。
たとえば、幸魂が平和と幸福をもたらす役割を持っているのに、なにかしらのネックなことがあって、それが叶わないことがある。
その叶わない理由を浮き彫りにさせて、すべてを解消させること。これが悪の内包やトラウマの克服に関係しているのではないかと考える。
これが『出雲流』なんだと思う。
他者概念のなかにある悪をルシファーとして具現化する。つまり『投影同一視』により霊感が生まれる。ルシファーは勝手に思い込む。
他者概念のなかにある悪をアーリマンとして認識する。つまり『自己投影』により理論が生まれる。アーリマンは学ばない。
トラウマを持っている人格はキリスト(神)として認識する。自分が神だと思い込むのか、それともキリストのように修行に励むのか。
自分を神だと思い込むとき、ルシファーは『勝手な思い込み』とアーリマンは『学ばない』ようになる。しかし、キリストのように神ではない自覚があるとき、勝手な思い込みをやめ、勉強に励むようになり学ぶようになる。
これが『理性』や『調和力』に繋がり、勝手な思い込みは悟りに変わり、勉学は愛へと変化する。
トラウマがすべて解消されたとき、キリストとなる。
そして、このすべてが到達しきったとき『荒魂』へと到達し、達成となる。