あたいの鬼『疑心、暗鬼を生ず』鬼さん、お世話になりました。
三匹の鬼がいた。
それぞれ「人を騙す鬼」「我慢させる鬼」「慎みがない鬼」とした。
それが終わったら、今度は「暗鬼」である。
「疑心、暗鬼を生ず」の略。疑心が起こると、(ありもしない鬼の姿が見えるように)何でもない事まで恐ろしくなる。
引用:【疑心暗鬼】
なるほどねェと思ったよ。
外にいるんじゃない、中にいる。中にいるから呼び寄せる。
この暗鬼、姿を現さないが、常に己のなかにいる。
私たち自身のなかにも「暗鬼」がいるのである。
何事もないこと、平穏であること。そんなとき、暗鬼がでてきては人に疑いの目を向けるようになってくる。
そのとき必ず、自身のなかには疑心がある。その疑心をくすぐるのが暗鬼である。
疑心のために行動を起こすとき、私たちは必ず暗鬼に動かされている。
鬼には色々な種類がいるなァと思ったけれども、私に一番に近しい鬼は「暗鬼」なのかな? と思った。
自分を信じられないこと、他人を信じられないこと。
それは自分の行いにより暗鬼は生まれてくる。
自分を信じることも他人を信じることも同じことである。
自分が信じられないような行いをした人は、他人を信じることができないものである。
人とは常に自分の投影にあるがゆえに、人を信じられない人とは「自分が信じてもらえる行動をとっていない」ということ。
これが誠意である。
裏でこそこそ悪口をいったことがあるのであれば、誰かに悪口を言われているのではないかと疑心するものである。
自分の行いからしか他者の行いを予測しているとき、たしかに私たちは疑心暗鬼。
なにかを疑う心とは、自分の行いからしか生まれない。それが疑心暗鬼。
人に誠実であることは暗鬼にとりつかれないコツである。
疑心がなぜ生ずるのか——ということだ。人に誠実でないからだ。それは自分に誠実ではないということ。
「なんだこれ?」って思った。なんかむずむずする感じ。でも「原因がない」のである。
原因になる記憶がなければ、引用もされないのである。
疑心しなければならない内容がひとつも見当たらなかったもので、疑心暗鬼に憑りつかれることもなく。
面白いなって思ったのは、BLEACH見ていて。今、月島さんやっているんだけれども。
過去の記憶を改ざんされているシーンがずっと続いていて、こりゃ気が狂いそうだなと思った。
その経緯で「疑心暗鬼」に繋がった。あ、これ暗鬼か——と。
周囲の人が皆でこぞって「誰かを騙す」ことは、そんなに難しいことではない。
過去の記憶も勝手に改ざんして周囲に触れ回れば「自分が間違っている」というカタチに組み替えることも大勢では可能である。
全員一致で、その人へ嘘を吐けばいい。これがいわば、洗脳であり騙す行為にもあるんだが——。まァ、家庭内でもよく見かける「一番小さい子を満場一致で嘘を吐く」ことで騙したりとかな。(大人は楽しそうに子供を騙すが、人を騙すことを愉快と思っている心こそ鬼だと思う)
子供の時に「暗鬼の種」を植え付けることはそんなに難しいことではない。「家族に嘘つかれているかもしれない」っていう不安が疑心暗鬼の種になる。心の隙間ってこと。
で、なとりはこの暗鬼の種を植え付けられてた人だった。
家族に騙された経験がすごく多いんだよね。
なとりは「暗示」とか「洗脳」とか、ものすごく弱い。被暗示性が高い生き物。辻褄性の悪い話されると発狂しそうになってた。
これにてなとりのなかの疑心暗鬼、終いかなと思っている。
鬼さんだーれだ? って感じ。暗鬼でした。
人を騙してまわって、人を混乱させていく人がいる。
そうやって育った子は「何事もないことに不安」とか「何事もないことに疑い」を感じる心を持つようになるよ。
どうやって治すのか。気合いだよ。気合い。騙されているだろう内容も全力で信じるだけの気合い。自分の人生を棒に振っても人を信じるだけの心を鍛えるって道が「暗鬼」なんじゃないか。
疑わないことは無理だよ、でも信じることはできる。信じ切っていれば、案外それが徳になってすべてが真になるときがやってくる。
人は絶対的に騙されたくない生き物なんだよな。暗鬼は「騙されたくない心」なんだと思う。だからやっぱり騙されない人になると思う。
守ってくれているんだよな。(だから洗脳に合うと混乱してブチギレることで守ってくれている。)
だけど「騙される準備」が整った人から鬼は去っていくと思う。それは「騙されているとわかってても、それを信じる心」なのかなとは思う。
頭では騙されているとわかっていてもさ「騙されてあげたほうがいいのかな」と思うときがあるんだよな。だって、誰かが信じてやらなきゃ、人を騙している人たちって「騙した」にすらならない。価値がなくなってしまう。
で、なとりを騙そうとしてきた人たちは、全身全霊で「なとりに信じられる」をされてしまうので、騙そうとしてきた内容がすべて「なとりという真」に転換されてしまう。結果、逆さま理論ではなとりの予言者みたいになってまう。(見栄を張った内容は全部なとりのことに逆さまになってしまうとか、色々あるんや。)
なとりが信じる人は「信用に足る人」にならなきゃいけなくなる。予言者、なろう。
なとり専用予言者になるか、なとりにとって信用に足る人になるか。
精神の発達では、
1.人に騙されたくない(心理・洗脳にあいやすい状態)
2.人を騙したくない(道徳による禁止)
3.違う。人を信じる人になる、さすれば人を騙さない(神の道)
4.信じ切るとすべてが真になる(真の道)
信じ切っていると、すべてが真になってしまうんや。でも、騙してくる人たちは逆さまになってしまう。
なとりのまこりんや・・・・・・。とりあえず、全部騙されとこ。どれが本当でどれが嘘なんかも、正直わからんからな。わからんから、全部信じとこ。
さすがに嘘やろって内容も度々あるけど、「当人がそういっているんだろうから、そうなんだと思うよ」ってときがあるけれど、とりあえず、全部信じとこ。だってわからんからな。
っていう考え方が「真」になりました。なるほど。
人を騙す心があるから、暗鬼が存在する。で、どっちが鬼だった?
暗鬼はなとちゃの味方だったよ。守ってくれてありがとう。
でも、もうなとちゃは「真」を持っているから、暗鬼はいなくても大丈夫だよ。疑心で誰かをまた守ってあげてね。
真ってなに? 真剣ってことだよ。これは「剣」だよ。
真剣で切る(信じ切る)と、全部、真になっちゃう剣やねん。
なとちゃは鬼になった。真剣もっている馬鬼。フフン、チュヨイ!!ムキムキ!!
皆さんもお気をつけて。
怖い人間は「騙されない頭がいい人間」ではないぞ、「騙されるほどのバカな人間」だぞ。