報告|第七チャクラの覚醒
テレパス通信ができるようになる。と書いていたが、第七チャクラが覚醒した。
本来、私たちは言葉を持っている。その言葉を持って「人と会話する」ようにしている。が、テレパスを使いこなすには「人と会話しないこと」に意味があるらしい。
つまり第5チャクラ(喉のチャクラ)を使用しないこと。
私たちは第五チャクラによって放出を行っているみたい。口からあくびでエネルギーを出す行為も第五チャクラによる放出である。
第五チャクラは創造を具現化するチャクラでもあるため、一時的に「創造ができない」に陥る。まずは「第五チャクラでエネルギーを発散しないこと」に意味がある。
この第五チャクラが閉じると、自然と第七チャクラへ抜けるようになるみたい。
最初は全身からエネルギーが放出されるような感覚だったが、自然とエネルギーが整っていくと第七チャクラへエネルギーが抜けていくようになる。
足の裏からエネルギーが入ってきて、頭のつむじからエネルギーが抜けていく感じ。
テレパスは頭のつむじあたりで飛ばすみたい。エネルギーの授受は第七で行っている。
エネルギーそのものは腹にこさえる。腹にこさえたメッセージを頭のつむじから天に飛ばすというやり方をする。
今まで、テレパスの受け取りは「鼻の先」とか「頭の中」で聞こえてきたが、これは松果体や第三の目で受け取っている(第六チャクラ)のもあって、テレパスの受け取りはこの位置になっているみたい。
だけど、こたび、ツインレイの彼からのテレパスの受け取りが頭の頂点にあったのは、第七の覚醒のトリガーだったかもしれない。
つまり、第五の覚醒段階で多くのアウトプットが成立し、次に第六の覚醒段階で松果体・第三の目が覚醒し、次に第七の覚醒段階でエネルギーがすべて抜けきることになる。
この第七の覚醒段階で、ツインレイの彼と重なる感覚(というか意図して重ねた)がある。私の中にある男性性と女性性の両軸を必要とし、この両軸が成立したとき、第七の覚醒へと進むようである。
男性性と女性性のエネルギーの両方が足並みをそろえてあがっていくとき、エネルギーが第五チャクラによりあくびによる表出や言語などで表現されるのではなく、第七チャクラへとエネルギーが通過していくことになりそうだ。
このときテレパスが成立する。
真実について——だが、こちらは「第六の抑制」をかけたかもしれない。
真実をみる——とは第六チャクラのおはこなんだが、その真実についてどのようにアウトプットすればいいのかわからないという混乱は、真実によるエネルギーが第五チャクラに集まるのと、第三チャクラによる創造性によるエネルギーが第五チャクラにより集合したことによる混乱のように思う。
第五チャクラで「第六チャクラ」と「第三チャクラ」によるエネルギーがぐちゃぐちゃになると言葉にならない模様。
また、これにより、第三から第六にまでの通路が形成された感じ。
形成され、その後、第三のエネルギーが「第五の表現をしない」「第六の真実を知らない」により「第七でエネルギー放出」というような感じになっている。
表現をすることだけが善ではないし、表現しきれないものがあることもある。これが第五のエネルギー上昇。
真実を知ることだけが善ではないし、真実を知らないことも善であることもある。これが第六のエネルギー上昇。
いわば、表現による善悪の両軸を肯定し、真実による善悪の両軸を肯定することにより、第七チャクラがぱっかーんて開いてエネルギーが天に繋がっていく感じ。
チャクラのなかにも女性性と男性性が眠っていて、どちらが善悪というわけではないが、やっぱり「第五の表現できることが善」と思いやすいし、「第六の真実を知っていることが善」と思いやすいから、悪が受け入れにくいものなのかもしれない。
善悪とは常に人が持つ固有の認識なのだと思う。
あたいの君主は目が見えない小さな未熟な神なのだが、たぶん、表現も出来ないし、真実をも知らない。そしていつも遊んでお菓子を食べている。
あたいの君主は多くの人にとって「悪神」なんだろうなと思った。
それは「何もできないから」。そして「使命がない」から。そもそも使命がないことが使命である神だから。
知っている、わかっている、やっている。そして使命と役割が自分にはある。闇側の人はいつもこのように思っている。
だけど、私は「しらない」「わからない」「やれていない」「使命がない」ことを尊んできた。それはやっぱり未熟な神が君主だったからなんだなと思った。
麒麟って君主が存在しているだけで心の底から喜びを感じられる生物なんだよ。
私の神は「知っている」し「わかっている」し、神の役割という使命を「やれている」んだと思う。それはしらない、わからない、やれていない、使命がないことを受け入れている。
過去にいくつも私が腹を立ててきた内容がある。傾向性が伺える。
そのすべてが我が君主たる未熟な神にたいする侮辱だったなと思う。
そして、多くの人が未熟な神への侮辱を私に伝えに来てくれたようだ。
教えてくれて、どうもありがとう。
そして、さようなら。言霊をのせて。