ツインレイのパンドラの箱理論

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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最近、パンドラの箱が気になっている。

少し前にパンドラの箱については触れている。

ツインレイは、パンドラの箱を抱えている。箱のなかにたくさんのものを入れこみ、その箱を育てている。
私はツインレイの彼を最後の最後に箱のなかへ仕舞った。

引用:ツインレイとパンドラの箱と覚醒(削除済み)

この記事を書き直しましたので、パンドラの箱についての前記事は削除されました。悪しからず。

このパンドラの箱とは何か——についてを、この記事ではあんまり明確化させていなかったな、と思う。

ぶっちゃけたところ、今のところでもあんまりよくわかっていないんだが、ツインレイたちのなかに『箱を持っている人』が多い。

それが私には『パンドラの箱』にみえている。

そのパンドラの箱の中身が『ギッチリミチミチ入っている』人もいれば『中身がスッカスカ』の人もいる。

パンドラの中身とは『闇』である。もっとも向き合いたくないものがそこなかには入り込んでいる。

私の場合、その中身は時すでに解放され、そしてその解放と共にサイレント期間へと向かうことになった。

私が向き合いたくなかったのは『私の本音』である。私自身が捨てたものがすべてパンドラの中にあり、その中身が拓いたとともに、私はサイレント期間で『私の本音たち』と向き合うことになった。

これが私の闇である。私の闇とは、私の本音だったのだ。

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ツインレイとパンドラの箱の中身

ツインレイは、片方がパンドラの箱の中身がギッチリ詰まってて、片方がパンドラの箱の中身が何も入っていないというような状態だ。

ツインレイの片方は『中身がないこと』が悩みだし、ツインレイの片方は『中身がヤバいこと』が悩みなのである。

では、それぞれのパンドラの箱のなかをみてみようかと思う。

パンドラの箱のなかに何も入っていない

さて、このパンドラの箱の中身がスッカスカの人は『無価値観』と向き合わなければならないようで、中身がなにも入ってない。

なかなかおかしな話だが、箱の中には何も入っていないのに、その箱を大事に抱えている人たちがいる。

この人たちは、自己愛憤怒を抱えている。自分には価値がない、だから愛されないと思い込んでいる。だからこそ、このパンドラの箱を開けることができないでいる。

開けてしまったら、本当に自分には価値がないのだと理解せねばならない。

つまり、パンドラの箱のなかに何も入っていない人たちが向き合わなければならないのは『なんにも価値がない自分』である。

彼らは、この箱が空きそうになると常にガルルとうなりながら、自己愛憤怒を起こしては他者を攻撃する。

そして『自分には価値がある』というカタチへ持っていこうとする。

が、彼らの心の中にあるものは『空っぽ』のようで、何もないことに向き合えないでいるようだった。

 

彼らが、ツインレイと向き合うときに表出するのは『なんにもない自分』だ。

そのなんにもない自分を愛してもらえるのかどうか——だ。何もない自分は愛されないと思い込んでいる彼らは、一生懸命愛されようとしているが、愛されていないんじゃないかという不安と恐怖と戦っている。

が、彼らは愛されている。その事実を受け取れないから、箱を開けることができないでいる。


ツインレイのうち、パンドラの箱の中身が空っぽ側は『他責』が強い。自分で自分の責任を持つことが苦手である。しかし、彼らは『責任をもって生きていきたい』と思っている。

しかし、パンドラの箱の中身が何もないことから『どうやって責任を取ればいいのか』『自分の責任を自分でとる』ということがなかなか下手である。

これは、生まれ持った性格的にはリーダー的な気質を持っているのに、リーダー的なことができないから自分のやりたいことができていないような状態となっている。

リーダーになるのに、他責していたら問題である。しかし、現段階で、人の上に立っている人がほとんど無責任的な感じになっている理由はこれにある。

箱の中身が空っぽであるがゆえに、無価値観が強い。無価値観と向き合うと絶望感が押し寄せてくるのである。その絶望と向き合うことが出来なければ、無価値観を受け取ることができない。

そして、自分の無価値観を人に押し付けることが『他責』なのである。

人を無価値化させることにより、自分を価値化させていくことがパンドラの箱の空っぽな人たちの特性でもある。

 

ツインレイたちのうち、パンドラの箱の中身が空っぽ側は『無価値観』と『絶望』を乗り越えていくことになる。

それってどういう感覚かといえば、無価値である自分を受け入れる。そんなんでも生きていけるという感覚だ。

そもそも『価値』とは流動性にあり、その価値は『他者に与えられたものである』ということに気づく必要性がある。

彼らは他人軸により与えられた価値をもとにして生きている。その価値そのものが『自分にとっての真価』ではないことに気づいていく必要性があるのである。

この無価値観こそ、幻想なのである——。

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パンドラの箱のなかがギッチリ入っている

パンドラの箱の中がギッチリ入っている人たちは、逆に持っている人たちでもある。

しかし、何を持っているのかと言えば、不安や恐怖や。多くの感情たちを抱えている人たちだ。

こちらに私も分類される。

箱のなかにはいっているものは『向き合いたくないもの』だ。

パンドラの箱のなかがはいっていない側は『何もない自分』と向き合わなければならないが、パンドラの箱のなかがはいっている側は『自分の闇深い本音』と向き合わなければならない。

パンドラの箱の中身を開けることは、ツインレイ達にとっても恐怖である。開けてしまったら『なにが起こるかわからない』からである。

パンドラの箱をふと開けてみると、中身には『嫌われるかもしれない本音』や『言いたくないこと』など、多くの人を傷つけてしまう可能性がある言葉たちが並んでいる。

それを伝えることは、人を傷つけたり、ましてや自分自身をも傷つける恐れのある内容である。

パンドラの箱のなかにある本心は、怒りに満ちている。ツインレイへぶつけてしまう怒りはいつだってこの箱の中から取り出されている。

そして、その怒りをぶつけるたびに、ツインレイの相手が無価値観を感じてしまうが為、箱の中身がギッチリはいっているツインレイ側は『愛するしかない』のである。

しかし、最終的にはパンドラの箱の中身があふれ出てくるのである。それがサイレント期間である。


ツインレイのうち、パンドラの箱の中身がギッチリはいっている側は『自責』が強い。自分で責任をとるという思考回路をしている。

ゆえに、ギッチリはいっているパンドラの箱側は、どんどんと人の責任をも背負うことができるようになる。

しかし、それにも限度があるのである。責任を取らないことも重要であることに気づいていかなければならない。

箱の中身が闇深くなってしまったのは、ツインレイたちが『我慢し続けたから』でもある。

これは、ツインレイ自身の器の大きさをも意味しているが、同時に自分自身を自己破壊し続けている様でもある。

箱の中身を開放することにより、ツインレイたちは『自由』になっていく。人に縛られ、何もできずに我慢していた部分を開放していくことになるのである。

 

こちら側は『罪悪感』『恐怖』『不安』を乗り越えていく必要性がある。

そして、その罪悪感や恐怖、不安は、幻想なのである——。

ツインレイのパンドラ相関性

ツインレイの相手が持っている物に対して、ツインレイたちは悲観的ではない。

ツインレイの相手が持っている無価値は、自分にとって価値がある。

ツインレイの相手が持っている罪悪感は、自分にとって存在がある。

パンドラの箱 重点 無価値観 罪悪感
入っている
自責
精神
(心)
自分の本心に価値がない
だから本心を捨てる
自分の本音に恐怖し、不安を感じる(本音が言えない)
入っていない
他責
現実
(存在)
自分の存在に価値がない
だから自分を偽る
自分の無価値観に恐怖し、不安になる(存在を明かせない)

自分自身がどこを重点的に視点を持っているのかにより、パンドラの箱の中身が決まってくる。

どちらも無価値観が存在し、罪悪感も存在しているが、どこへ向かっているのかが違うのである。

サイレント期間では、順番が逆転している。

パンドラの箱の中身がはいっている側は、先ずは『罪悪感の払しょく』、次に『無価値観の払しょく』。(自責をやめる)

パンドラの箱の中身がはいっていない側は、先ずは『無価値観の払しょく』、次に『罪悪感の払しょく』。(他責をやめる)

 

この相関性により、箱の中身が入っている側は『なにもなくなる』状態になります。なにもないですな。なにも自分の手元には残らない。

箱の中身が入っていない側は『なにかが得られる』状態になる。それをもってツインレイのもとへ戻るという関係性にある。なぜ、何も得られなかったのか——というと、自分は無価値だという自信のなさからである。

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パンドラの箱はツインレイの未来を模す

ツインレイは、空っぽ側が『未来』であり、ギッシリ側が『過去』として考えられる。もちろん、真逆でもいい。

たとえば、自分自身がパンドラの箱のなかがギッシリ詰まっている罪悪感を抱えているとき、ツインレイの相手が空っぽの無価値観を抱えているのであれば、ツインレイの相手の空っぽの状態へ自分自身がなっていくのだということ。

自分自身がパンドラの箱のなかが無価値観により何も入っていない感覚を抱えているとき、ツインレイの相手がギッチリ詰まった罪悪感を抱えているのであれば、ツインレイの相手のギッチリ状態へ自分自身がなっていくということ。

つまり、ツインレイの相手は『未来の自分の真逆の状態』なのである。

ツインレイの相手が無価値観を抱えていたのであれば、価値ある自分になっていくことができるのだということ。(無価値であることに価値がある。)

ツインレイの相手がギッチリと罪悪感を抱えていたのであれば、自分を持つことができる自分になるのだということ。(罪悪感であることに自分がある。)

パンドラの箱が悪期間がサイレント期間であり、その期間に『なにを箱の中に仕舞うのか』は、自由である。

そして、箱の中に仕舞われるのは、ツインレイの相手を反転させたものを自分の中へしまい込むようなメカニズムをしている。