『ツインレイの自我』は黄泉の後悔にある話

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私たちは世界線を移行している。

そして、私たちの世界線は常に交差点をむかえている。

ひとつ結ぶこともなく、私たちは常に移行し、そして『最上の相手』に出会うことになる。それがツインレイなのだと思う。

だけど、今まで繋がってきた相手もいる。昔の恋人とか。そういう人たちも私はツインレイなんじゃないかって思っている。

つまりね、私たちは『ツインレイとしか結ばれない』んだと思う。

世界線の移行中、相手に対しての失望や受け入れられないことなど多く迎えてくる。その都度、私たちは世界線を移動しながら『器』を変えていく。

否、私たちは何度も世界線の交差を『別の人間に成り代わりながら迎えている』んだと思う。

どんな人と結ばれたいのか。その願いをツインレイは聞き届ける。

その願いの通りの人となってツインレイの相手は現れるのである。

 

過去付き合った人は、当時の彼とは違った存在になっていると思う。それはもうツインレイは『移動した世界線の相手』になっているから。

 

ツインレイはいつも嫌われたくないし、幸せになりたいと思っている。

だから、何回も世界線を切り替えて出会いなおしをしているんだと思う。

そして『好きになれる人格』となれるように頑張っているんだと思う。

 

『ツインレイ』。それは魂の霊であって、私は『人間の魂』ではないと思っている。

人の魂には、いくつもの霊が宿る。その霊が宿ることによって、私たちは『ツインレイ』になるのである。

そして、ツインレイの霊たちは、人間の器で何度もふたりが幸せになるために必要な器を探し続けているんじゃないか。

つまり私たちは『ツインレイの体現者』であって、ツインレイたちは『彼らが幸せになるお手伝い』をしたいと思っている霊にある。

その霊たちは、ツインレイの体現者となるふたりを引き合わせては幸せになるために必要なことを調べているのではないか、と思う。

私たちはツインレイという霊に振り回されている——とも言えるんだ。

そのふたりが出会うロマンスを私たちは体験することができる。それを『縁』とも呼ぶんだと思う。

霊だから、世界線の移動だって出来る。時間の概念だってない。

 

ツインレイの霊の意識は、私たちとは『別の意識』にある。いわば、高次の自我ともいえるが、これを『ツインレイの自我』としよう。

このツインレイの自我は、移動が出来る。世界線の移行さえ可能だ。

霊が幸せになれる世界線へ移動していくのである。

その霊は『どの人間のなかでも適応することができる』のだ。『霊』だから。

そうして、ツインレイの自我は『どうしたら幸せになれるのか』ということを考えている。ツインレイの自我意識は幸せになりたいだけである。

私たちはツインレイの自我と私たち自身の霊性により相談しあいながら、ツインレイの相手を定めている。

最終的に『この人だ!』と思う人にツインレイの自我は出会わせることになる。

それが私たちにとって『ツインレイ』だと思う相手である。それが『運命の相手』なのだ。

ツインレイの自我は、ふたたびこの地上で出会いたかった意識なんだと思う。地上で出会いなおし、そして、ふたりでいっしょにいたいって思っていた意識。だけど、人間はその意識に振り回されてしまうんだ。

ただ、同時に私たちも『経験』を積ませてもらえる。そうやって私たちは霊に助けられている。

ツインレイの自我は『いっしょに生きて生きたかった意識』だと思う。

でも、私たちは『生きている』から、関係がない。黄泉が拓かれた世界だったんじゃないかって思う。

黄泉のなかに多くの『時間が止まった霊』が集まっていた。それが地上に漏れ出していたんだ。日本で言うと琵琶湖だ。

この琵琶湖から溢れてくる霊が悪さすることもあるが、神は問題に思い『ツインレイ』をつくりはじめた。

魂を造るとき、ツインレイの意識を同時に差し込むことになったんだ。

私の場合、第二次のときに別れたふたりの意識なんだが。(ずっと露が攻めてくるんじゃないかって怖がっていたが、彼女のせいだと思われる。北海道が怖かった。)

彼らも『ツインレイの自我』なんだと思う。

その自我たちは再び幸せになるために、この地上で『最適な器』を探していたんだと思う。

ただの憑依状態である。

最終的に、私は『ツインレイをやめる』といっているが、私はもうツインレイの自我のお手伝いはいらないんだと思う。

操作されるのも、もう御免なんだ。

だけど、感謝している。ツインレイの自我となっていた霊が私たちを引き合わせてくれていたこと。

 

それから、そのツインレイの自我は消えるわけではない。

私のなかに内包されて消える。

いなくなるわけじゃない。ただ、吸収されるんだ。そうして私は彼らの願いを私の意志と同化させ、幸せになっていくことになる。

ツインレイの自我たる彼女の幸福は、私の幸福である。同じなのである。

 

私は、ツインレイの彼を愛していたし、大好きだったっていう気持ち。

そっくりそのまま、霊の自我意識だったのだと思う。

それはね、いつかの私たちなんだと思う。黄泉に置いてきてしまった私たちの霊の自我意識がツインレイとなって黄泉から戻ってきたんだと思う。

否、すべてが私たちなんだ。いつかのだれかも私たちで、いつかの私も自分なのだと思う。

そうやって私たちは私たちという地上の後悔をなくしていく。

私たちは、いつのタイムラインの私たちであろうと幸せになろうとしているんだと思う。それが黄泉に仕舞われていた願わない後悔もいっしょに幸せにしたかったんだと思う。

 

そうやって私は統合していく。ツインレイ。それはいつかの私の後悔の意識。

結ばれたいと思っていたけど、できなかった意識。

ひとつにまとめて幸福になろうとしている意識。

 

だけど『ツインレイの自我だけ』が幸せになるケースも確かに多かったように思う。

ツインレイを終わらせていくことが出来ずに、私たちの自我意識と、ツインレイの自我意識が統合できずに、そのままツインレイだけが独り歩きして、ツインレイの相手が別のだれかに憑依してトリプルレイを形成することもあった。

それは『ツインレイの自我』だけが幸せで、人間の私たちも幸せになるとは、また言葉が違ったりしていると思う。

私たちは、ツインレイの自我も、私たちの自我も。どちらも幸せになるっていう意識が必要なんだと思う。

 

ツインレイの自我はサイレント期間で反転し、私たちはサイレント期間でまずは『ツインレイの自我がいい』ということを選ばなければならない。

その選択をすると、ツインレイの自我はがんばって『自己統合』をしようとする。

それはツインレイの自我と自分の本体の自我を統合していく経緯にある。

私の場合、自我はもはや分裂状態にまでなり、第三の獣まで発生状態になったゆえ、その回収もせねばならなかった。

ツインレイの自我と自分の本体を統合していくことにより、私たちは『前世』も『今世』も幸せになれるといった算段だ。

自己統合の真相のひとつは、ここにあると思う。

 

相手のツインレイの自我は、サイレント期間で自身のもとに存在している。

自身のもとで『彼女を幸せにしようとしている』のである。傍を離れず、霊体として。そのときに生まれる現象が性エネルギー交流である。

だから、性エネルギー交流は終わらせなければならないし、ツインレイの自我は『帰っていただく』のが真っ当かと思われる。

ツインレイたちは、ツインレイの自我と本体の自我が何度も切り替わっていく。ゆえに、私たちは『たまに忘れること』が多くなってしまったりもして、自己統合していない状態であることが問題となって生じるのだと思われる。

自己統合していない状態だと、本体とツインレイの自我が切り替わるだけ問題が発生していくんだ。

ゆえにツインレイのふたりはサイレント期間に『自己統合』をせねばならないという考えが生まれる。

 

今までの恋人たちは、常に『相談相手』だったのだと思う。

ツインレイの相手とどのようになりたいのか、っていう相談をしていただけ、ツインレイの自我が。

だけど、話し合いが終わったら、それでさよならなんだと思われる。

最終的に行き着くところは『本体』である。本体の彼らは、私たちを結ぼうとする。

うまくいかないね。私たちは人間であって高次の自我をうまく使いこなせたりするわけでもないしね。

 

ツインレイは悲しい別れを遂げ、死別を迎えることになった『後悔の自我を内包している』存在のことである。

私は第二次世界大戦の終戦日に生まれた安寧を望み、かえらぬ人を待つ霊のもと、ツインレイとなった。

ツインレイは『前世の後悔の自我』と『今生の自我』の同梱をすることができる本体の器により生じる。

 

たまに、ツインレイがその後どうなったのかをほとんどの人が書いていないというのを見かける。

そうだと思う。だって、ツインレイは『ツインレイの自我意識』により生まれ、ツインレイが本当に自己統合を迎えてしまえば、ツインレイは自身を『ツインレイ』と思うことも無くなるだろう。

だから自分は『ツインレイだ!』とはなかなか思いにくい、それに『ツインレイだった』こともあったという感覚になるだろう。

いわば、ツインレイの自我と当人の自我がシンクロを起こし、同調したとき、私たちは『ツインレイを終える』段階になる。

ツインレイの自我は、私たちの意識のなかに溶け込み、同化する。ゆえに『自身はツインレイだ!』だなんて主張もいらないのである。

ゆえに、ツインレイはツインレイを語ることはなくなっていく。

だって、私たちはツインレイの自我じゃない。

ツインレイの自我に乗っ取られ続けている自我意識じゃない。

だから、立場が逆転したとき、私たちはツインレイという肩書きを捨てることになる。

私は私である。だけど、ときどき、ツインレイの自我が表面にでていることもあった過去がある。

それだけである。

私たちは、ツインレイの自我意識を御さねばならない。

 

去年だろうか。

私と同類となる戦時下における大量の別れの意識を持った魂が地上に大量投入されている夢を見ている。

年代別に、40代あたりにカミムスビ系の方々を大量に投入。

30代あたりにタカミムスビ系の方々を大量に投入。

アメノミナカヌシ系は全体的にといった感じだった。

ザーッと、この海原へ大量投入されているから、ツインレイが頻回なのだと思われる。

自分自身が「いつの後悔の意識なのか」ってのは直感的に知っていたり、ツインレイの自我に教えてくれつったら教えてくれるかと思う。