ツインレイの時間の概念—前世と来世のタイムライン構造と縁の構成
題名からよくわからない感じになっているが、冒頭の通り『ツインレイの時間の概念』である。
私たちは時間が一方通行のように感じられている。
こんな感じで、前があって今があって次がやってくる。これが一般的な『感覚』かと思う。
この感覚が『4次元的感覚』であり、私たちは時間のなかを生きているという感覚だ。
いわば、私たちは前世で死を迎え、現世で生を受ける。また現世で死をむかえたあと、来世がやってくる。こんな風にして時間を過ぎていくという感覚を覚えているのではないだろうか。
この感覚は正しい。限って魂の感覚である。
魂が持っている時間は『前世』もあれば、『来世』もある。
ツインレイのステージのなかで私たちは『前世の縁』と『来世の縁』のふたつと出会うだろう。そして、ツインレイの相手は『現世の縁』として出会っている。
人の時間的概念はこのようになっている。
人の人生が『前世』を構築し、その後も再び人の人生が発生したとき、現世、来世と言う形で構築していく。これが『魂の時間』である。
私たちはそんな風に『魂』を認識している。これを輪廻といい、輪廻転生とは何度も魂を繰り返して生まれてくる構造となっている。
私たちの魂は『同じ人生』を何度も繰り返している。その繰り返しのなか、ツインレイとは何度も出会い続けている。
時代や、私たちの姿かたちは変われど、何度も同じ人生を繰り返し、人生をアップデートしていくのである。
そして、最終的に私たちは『今』という現世でツインレイとは何か? という思想を知ろうとしている。
いわば、ひとつの人生のなかで存在する運命ではなく、魂上で何度も繰り返しで会い続けている『魂のツインレイ』と向き合いたいと思っているのである。
そのために必要なことは何度も繰り返された人の時間により生まれた後悔をすべてまとめる必要性がある。
この経緯をたどるために、ツインレイたちは『アイデンティティ』を構築していくことになる。次に、ほかの自分の人生によるアイデンティティを構築し、その構築されたアイデンティティと統合することにより、魂の自己統合を構築することになる。
いわば、魂で生きるとは『前世をも内包すること』である。そして、これからの人生や来世に対しても『すべての責任をとる』ことにより、私たちは魂の自己統合をすることになる。
これが『人の時間』であり、次に『魂の時間』の感覚である。
そして、ツインレイたちはその上に存在する魂の時間の概念を理解せねばならない。
図は、2D図と3D図を書かせてもらった。(人の魂的な知性は次元的な理解があがっていくことでもあるから、ツインレイともなればこれぐらいは普通に脳内で理解できる範囲ではないかと思っている。)
生と死、前世と来世により、私たちは2Dのタイムラインを理解することが出来ている。
ツインレイは生から死にかけての人生をすべて自己責任とし、前世と来世に生じた人生をすべて自己責任としたとき『天』が生じる。
いわば、すべてにおいての責任を生じさせることが出来たとき、私たちは『1つの魂』という存在になれる。
もっともこの地球で言うところの『永遠』である。地球からみれば永遠ということだが、ただ魂の概念からすれば、まったく永遠ではない。ただ、時間の概念が地球では一方通行性の時間の概念のなかにあるゆえ、魂は輪廻をし続けているという概念のなかにあるゆえ、その上のひとつの魂として考えられたとき、永遠のように感じられるだけである。
この『天』が生じたとき、私たちは『ツインレイ』として完成し、そして、ふたつのツインレイ『地球に降りてきたときのたったひとつの魂』としてツインレイと向き合うことができる。
このとき、私たちは前世のツインレイだった自分たちを幸せにしたいと思っているし、来世のツインレイになる自分たちを幸せにしたいと思っている。いわば、『今生の自己』が幸福になるとき、前世も来世も幸福になっていくこと。
すべてをまとめて幸福にすることが「前世と来世の人生の統一化」でもある。
さて、そのすべてをまとめて『人生の統一化』をしたとき、私たちはようやく魂のうえに存在している天地のタイムラインで再会をすることになる。
この時間的な概念が『神の世界』のタイムラインであり、時間の概念である。
ツインレイは来世、神の世界へいくことになる。私はそのように定義している。
いわば、神の世界でツインレイとして成立しなければならないということでもある。そのためにはその次元にまで魂を乗せて置かなかなければならない。
生死による自己統合は『自分の人生の責任』により生じる。自分の死を人のせいにしないのかなども問われる。たまに神さん側もミスって人が死に至ってしまうこともある。
前世と来世による自己統合は『魂の人生の責任』により生じる。このタイムラインで出会うことになるツインレイは、魂による前世の自分や来世の自分とも出会うことになる。彼らの責任をすべて自分が背負うことができるのか——ってことも問われている。
そして、そのすべての責任を背負うとき、私たちは神のタイムラインへ乗っかる。
これは『神の人生の責任』となるが、これ以上、先のことは私にはまだわからない。神はやったことないから。だけど、これは『神の失敗を背負えるか』ってことなのだと思う。
神のタイムラインを『天地』とさせてもらったが、この状態になり、天地の統合を起こすことになる。それが『ツインレイの統合』ではないだろうか。
つまり、どのベクトルでツインレイの相手と再会しようが、どのベクトルで関わろうが個々のツインレイの自由である。
しかし、生死の統合等をしている、前世と来世の統合をしている、天地の統合をしているでは、そもそも視点のベクトルが違ってくるのと、精神的なキャパシティも違うし、考え方が違う。
責任のありかが違う。自分の人生におけるすべての責任をとるのが生死の自己統合である。
自分に関わる他者の責任をとるのが前世と来世の自己統合である。
天地は自己統合をすることはできない、天地はツインレイと統合するのみである。天地の自己統合は神の世で行うことではないだろうか。地上で出来るのか、謎である。
私は認識できない領域かな・・・・。
次元 | |
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生死の概念 | 4次元 |
前世と来世の概念 | 5次元 |
神(天地)の概念 | 6次元 |