ツインレイ女性の自己愛は無駄にあり、ツインレイ男性の他者愛は無駄を愛すること。『心』の手放し。

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私は自分がゴミクズである。とは何度か書いたことがあります。

私は自分自身がゴミでありたい。いわば、この世のゴミです、それは無駄でありたいという考えなのかもしれません。

そして、そんな意味のない無意味な存在である自分が私はどうしようもなく大好きです。

人は自分のなかに価値を見つけようとする。その価値があるから愛されるのだと思っているかもしれません。

しかし、私は逆です。私は自分に価値がないからこそ愛されていると感じます。

私は世の中にまるで何の役にも立っていない存在です。そんな自分が許されている、存在している。そんな自分がいるとき、私は愛を実感します。

このサイト自身も私のなかでは無駄のひとつです。価値などありません。

もしかしたら誰かは、このサイトのページたちに価値を見つけるかもしれません。しかし、私にとっては無価値です。

無価値だからこそ、私はそこに価値がみつけられる。価値がないからこそ、私には価値に思える。

価値がない私だからこそ、私は愛されていると感じます。

 

ツインレイ男性である彼は、私を無駄に感じていると思います。

私は鉱物が好きでよく石を並べて遊んでいますが(それがブレスレットなどであればまた違うのでしょうが、私はパワーストーンというよりも鉱物が好きみたいです、そのなかでも水晶の種類を集めていました。どこどこ産とか・・・・)、それも彼からすれば、まるで意味がない無駄のひとつのような気がします。

ゲームで遊んでは、箱庭に彼の名前を入れて「彼くんはこれだよ。」とか言っていました。

ほかにも、小説を書いたり、絵を描いたり。芸術的なことも大好きでしたが、本を読んでは無駄に理論を立てたりして遊んでいました。

なんの役にも立ちません。ただ楽しんでいるのと、ただの暇つぶしみたいなものです。

そのひとつひとつがお金を生み出すわけでもないし、なんなら石なんて買えば、金は消費されていきます。

そんな意味がない無駄を、彼はひとつひとつを受け入れていく必要性がありました。

私に鉱物を見せられて「じゃあ、ちゃんとケースにいれて保管しようね。」と言われましたが、私はそんなことはしません。

だけど、彼は彼なりに、私の無駄を愛そうとしていたように思います。

それは私が無駄を愛していたからのような気もします。私に価値がないこと、そして価値がない自分を堪能し、無駄を愛している私がいるから、彼はそんな私を愛していたように思うのです。

彼は私を否定しませんでした。私が大事にしているものを否定することはなかったです。

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私はやっぱり、自分を嫌いになることはありません。

このサイトを立ち上げ、やっぱり全部無駄だなァって思います。そんな風に思うとき、心に小さな灯がうまれます。

ぽかぽかと温かい心があります。私が私を『価値がない』『無駄だ』。そんな風に思っているとき、私は私を愛していると実感することができる。

そして、彼にとって私は無駄です。

合理的ではありません。結婚や恋愛も、彼らにとっては無駄です。合理的な判断ではないし、なんなら『価値がない』ですし、『無駄』かと思います。

だけど、ツインレイの男性にとってツインレイ女性は『無駄だからこそ価値がある』のだと思います。

ツインレイ男性は無駄を愛するようになる。そのとき、ツインレイ男性はツインレイ女性を愛します。

「無駄だなァ」と思うようなことを、ほほえましく感じられるようになる。

 

ツインレイ女性の自己愛は無駄な自分に気づくことではないでしょうか。

ツインレイ男性の他者愛は無駄に意味を見つけることではないでしょうか。

無駄なことのなかには多くの愛が存在している。

私は無駄が大好きです。このサイトも私にとっては無駄なことのひとつです。意味がありません。

このサイト自体にも意味がありませんし、ただ遊んでいるというか。理論をたてたりすることが好きなんだけなんですよね。

哲学が好きなんだろうなァと思うかと思います。私は好きなことを好きでやっているだけです。

これに意味などありません。

私は『何をやっているのか』について、この一日考え続けていましたが、私は『何もやっていない』です。

私は意識を持ってこのサイトを構築しているわけではないです。やりたいわけでもないし、やりたくないわけでもない。

ただ理論を立てるのが好きだから、ただいつの間にかやっちゃってることなんですよね。

なので私は何もやっていないです。意識が無いので、何かをやっている意識もないです。

意識もない、意味もない。ただ無自覚にやり続けていることがブログと思想です。そこに意識はありません。他意もありません。

マイワールドです。楽しいという感覚もないぐらいに没頭している感じです。

 

私は無駄です。無駄なことしかやっていないです。

この無駄なことを私はずっとし続けていて、そんな自分が好きなんです。

私が私を好きでい続ける限り、彼も無駄を好きになるんだと思います。

意味がないこと、無駄なこと。そのなかにある『真価』について、ツインレイの彼は気づきます。

価値をもとめて生きているツインレイの彼らにとって、ツインレイ女性は眩しいんだろうなと思います。

価値のないことをし続けることがツインレイ男性には出来ません。

意味がないことが出来ません。

 

だけど、人生とは意味がないことの連続です。そして無意味のなかにしか意味を見つけることが出来ません。

私のツインレイの彼は、私が持っている無駄や無価値に気づいていました。しかし、その無駄と無価値を大事に抱えている私をどのように感じていたのか思うと、今の私の心に問えばわかること。

愛してくれていました。それが私の自己愛です。

ありがとう。価値のない、無駄な私を愛してくれてありがとう。

 

私がゴミクズなのは、彼に愛されたいからです。

ゴミならば、彼に愛してもらえるからです。

こんな関係性も、もう終わりですね。

 

私には価値がありました。

これだけの文章を書き続けると言う結果をだしました。

私はこれからも書き続けると思います。

私が私を好きになるために、私は書き続けていくんだと思います。

それが『いかなるものになるのか』はわかりません。筆を変え、品を変えてはいつだって私は書き続けていきます。

私は『書く自分』に価値を持たせたいと思っています。そんな自分を好きになりたいと思います。

だけど、私はそれにより生まれた作品を価値があったりなかったりもさせると思います。

消したりもするし、再構築することを何度も繰り返して私は『完成』させたいと思っているんです。

私はずっと未完成です。そして未熟です。そんな自分を私は好きになります。

私は私を認めたいと思います。

無自覚でした。私は『書き続けている自覚』があまりにも薄かったです。

没頭しているがあまりに『意識がない』んですよ・・・・・・。

そんな自分がいることに気づき、そんな自分を好きになれると私は思います。

 

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もういいんじゃないか。なにが? そう思うけど、もう充分じゃないか。

無理をしなくていいんじゃないか。もう考えなくてもいいんじゃないかって思っている。

自分を愛さなくても、好きにならなくても。いいんじゃないかなって。

それってシンドいから。自分に対して何かを想わなくてもいいんじゃないかなと思っている。

何も思わなくても、別にそれって悪いことではないはずなんだよな。

だけど、私たちは『自己愛が必要』で『自分を好きになろうとする』けど、それがないとどうなってしまうのかってこと。

自己愛がなかったら自分を愛せていないわけでもないし、好きじゃなかったら嫌いってわけでもないよね。

何も思わない無風空間で、いいんじゃないかと思っている。

心を定義しなくていい。そもそも心は存在しないもので、私たちは行いや発言で心をみている。

事実だけしかそこにはない。その事実が『そこ』にあるならば、心には無風空間でいいんんじゃないだろうか。

自己愛故の行動もおかしいし、自分を好きだからこその行動もおかしい。

どうして心の動機がなければ、私たちは行動や発言ができないと思い込んでいるんだろう。

 

そんなものがなくても、私たちは優しい動物だったような気がする。心が意識下にあるからこそ、私たちは本当の意味で偽善者になってしまったのである。そして、偽悪者となったような気がする。

 

うーん。どこかへ繋がりたいんだけど、私はそれをまだ『無』としかとらえられないよ。

その無を捉えたい。その無を定義したい。でも、その心さえない無風空間を定義したいけど、それがまだ出来ない。

私はまだ未完成。

だけど、私は『心』を手放す。それは決まっている。

自己愛も自分を好きになることからも、私は逃れていく。もっと軽くしよう。いいんだぜ、別に善人にならなくても悪人にならなくても。愛せなくても好きになれなくても、私たちは『そばにいる』ことが出来る。

でも、きっとその無風空間の言葉にできない何かを持ってそばにいることで私たちは、なにかが変わる気がする。

うーん、なんだこれは。どこと繋がっているんだ。

この無風空間は、なんだこれは。うーん、うーん・・・・・。