私の新天地による精神構造の成立までの経緯(ランナー&チェイサー理論を含め)
読んでおいたほうがいい神話として、アダムとイブ。そしてリリスについてと、カインとアベルのケンカについてかな。
ツインレイ男性の担当は『子供世代』のことであり、ツインレイ女性の担当は『親世代』のことである。
ツインレイ女性が終わらせていく自己統合は『イブ・アダム・リリス』の世代にあり、ツインレイ男性が終わらせていく自己統合は『ルルワ・カイン・アベル』の世代にある。
この相関性がまず、ツインレイ男性とツインレイ女性の違いなのではないか——と思っている。
そして、ツインレイ女性は『人生』という個人による人生の歩み方のような、もっとも個人主義的なところにある軸を求め、ツインレイ男性は『共存』というふたりがツインレイのふたりがいっしょに生きていくために必要な精神を求めている。
ツインレイ女性はリリスという『女性が持つ主体性』を抑圧し、それを悪魔化させている状態だ。原因は男性性というアダムにより『男性による劣等意識』によりリリスは抑圧されている。その後、イブというアダムの理想による決定打により、リリスとアダムは離縁する。
ツインレイ男性はカインとアベルという兄弟による不仲にある問題にとりかかる。これはルルワというひとりの女性を競う兄弟であり、被害者と加害者による関係性である。ここには父という神が「どっちの味方か。」という親の取り合いのような問題があげられている。
このような神話の構造となっているが、重要になってくるのは、ここで『善悪思想が入り込むこと』にある。
リリスはアダムがイブを創り出したことにキレて、イブを唆した。そして、リリスは悪魔となった。
カインは神にキレて八つ当たりをアベルにして、殺人をした。
ここで何が起きているのか。どちらも責任転嫁が起きているということ。
リリスの『時間(命)が悪い』という結論は『タイミングが悪かった』っていう考え方で、『勇気が悪い』という結論は『意気地がないことが悪い』っていう考え方だ。いわば、これが我らがもつ言い訳。
さて、今回、ツインレイ女性は『待つ』ことがテーマで、ツインレイ男性は『待たせる・逃げる』ことがテーマだ。
ツインレイはタイミングが悪いから上手くいかなかったのか、それとも、ツインレイ男性が逃げ出したから上手くいかなかったのか。
考えねばならない。本当にそうなのか。
少なからず、私のサイレント期間の開始は『ブチ切れた私(いや、キレてはいないし話し合いを申し出た。関係性が不和になることを理解して、何も言わないでいるほど、私は穏やかな性質ではない)』『正義でキレた彼(キレてはいないけども、自分が正しいと正義に突っ走っていって見えなくなった)』というところがある。
いわば、ふたりの関係性は『リリスの暴走』と『カインの暴走』なんだが、どちらも責任転嫁をしないことにより生じたツインレイのサイレント期間である。
リリス(ツインレイ女性)「イブ(時間)のせいじゃない、問題は別にある。イブがいないことだ。」
カイン(ツインレイ男性)「ルルワ(心)のせいじゃない、問題は別にある。ルルワがいないことだ。」
っていう、噛み合っていない会話をしているのである。
ひらたくすると、全然違う話をしているんだけど同じ話だと思っている。これが男女の視点の違いかもしれない。
ツインレイの男女は責任転嫁をすることができなかった。いいや、もしかしたら責任転嫁したのかもしれない。
ツインレイ女性が欲しいものは『時間』である。その時間を探しにチェイサーとなる。その時間があれば、ツインレイ男性といっしょに過ごせるからである。
ツインレイ男性が欲しいものは『心』である。その心を探しにランナーとなる。その心があれば、ツインレイ女性と心を通わせることができるからである。
お互いがお互いの欲しいものを探すために、リリスという存在だったツインレイ女性はアダムの存在になる。これがサイレント期間にツインレイ男性になるということである。
そして、カインという存在だったツインレイ男性はアベルの存在になる。ランナーとなり、心を探しに行く。
サイレント期間のツインレイの関係性は『アダム(神・父)』というツインレイ女性と、『アベル(子・被害者)』というツインレイ男性になる。
ゆえ、ツインレイ女性は神にまで昇り、ツインレイ男性はフルボッコにあう被害者になるのである。
ツインレイ女性は、アベル・カインに出会い、そしてアベルの死後にやってくるセトと出会う。
つまり、アベルはランナーであるため、ツインレイ男性が逃げることをやめたとき、セトがやってくるのである。
ツインレイ男性は、理論上、アダムとリリスと出会う。そして、アダムは時間の概念がないアダムから、時間の概念(イブ)を吸収したアダムへと切り替えていく。
つまり、ツインレイ女性がチェイサーをやめた瞬間に、ツインレイ男性はアダムの存在を組み替える。
そうすると、ツインレイ女性は『アダムとイブの合体』が起こり、ツインレイ男性は『アベルとセト』の合体が起きる。
ツインレイ女性はチェイサーをやめることにより人生へ時間を取り戻し、ツインレイ男性は勇気と心を取り戻すことができる。
ツインレイ女性は時間を取り戻すことにより『待たない』状態となり、ツインレイ男性は心を取り戻すことにより『傷つかない勇気』みたいな? ものを手に入れることができる。
ツインレイ女性の問題は待ち続けてしまうところにあり、ツインレイ男性の問題は傷ついてしまう心にある。しかし、ツインレイ女性が待たないと決意するとき、ツインレイ男性は傷つかない勇気を持つことができるのである。
次に『リリス(空間)』と『カイン(正義)』の問題がやってくる。
正義が悪になってしまっている事と、空間が悪になってしまっている事である。どちらも神話のなかでは『悪魔』であり『殺人者』というカタチに着地している。
ゆえ、このふたつを捨てる必要性がある。そのために、ノアの箱舟に乗る必要性がある。
それは『リリス(箱舟)』と『ノア(家族)』のふたつが必要だ。
私たちは、どのような人を家族とし、箱舟に乗せるのか。その判断をせねばならない。
この経緯のすべては、新しい環境をうみだすために、私たちがどのような判断をし、どのような結論を出すのか。それは、私たちの心に悪があるかどうかにある。
リリスという箱船に悪があるとき、ノアではなくカインという殺人者をのせることになる。つまり、悪は悪を呼ぶということだ。
さて。この内容を、ツインレイ男性とツインレイ女性として分離させて説明をしている。
しかし、私は『両方』を体現しているように思う。男性性と女性性の違いというよりも『世界観の違い』である。
当初、ツインレイ男性とツインレイ女性に分離して理解していた内容は、途中から『両方とも自分である』と理解していく瞬間がある。
そのとき、私たちは男性性と女性性を自己のなかに両方を成立させようとしている瞬間である。これを自己のなかに男性性と女性性の共存形態を生み出そうとしている状態であり、私たち人間はどちらかに偏っているわけではないということだ。
ゆえ『どっちがどっちの担当』っていうわけでもない。
ただ、表面的なものと内面的なものの違いである。
つまり、ツインレイ女性の精神がアダムとリリスにより、ツインレイ男性の現実を構築している。
そして、ツインレイ男性の精神がアベルとカインにより、ツインレイ女性の現実を構築している。
アウトプットとインプットの違いである。
以下、これが今の私の精神構造かな。
人生と時間が合わさると、空間と一致し、対等になります。
勇気と心が合わさると、正義と一致し、対等になります。
個人とは『勇気・心』=『正義』。
他者とは『肉体+時間=人生(正義の複数形)』=『空間』。
って感じだろうか。とりあえず、私自身が「こいつァ~人だァ~」と認識するには、弱さゆえの勇気をもつ心があって、それが正義となることが人って感じ。弱い自分を受け入れることが勇気。そして、そこに心があるとき、正義が生まれるって感じだろうか。
それって人を殴ることじゃないよね、自分を守ることではないってのは心あってこその判断である。
そんな人たちには経験と言う時間が存在している。
経験を持った複数人が集まることで、そこに『空間』が生まれる。
この繋がりは循環を生み出す。なぜならば、そこには心を併せ持った経験が集まっているからである。
私は自分の精神を、今んとこ、こんなカタチで定義した感じみたいだね。まァ、あんまり意識しているわけではないんだけど、理論で成立させる必要性があったのだと思われる。
ここでツインレイ男性とツインレイ女性を定義しなきゃいけないのであれば『アダムとイブ(XY)』がツインレイ女性の精神で『アベルとセト(XX)』がツインレイ男性の精神。
肉体は反転している。だからXY染色体が男性で、XX染色体が女性ね。
『リリス(船・YY)』と『ノア(家族・YX)』はツインレイのふたりを結ぶもの、真逆のものだ。
サイレント期間では反転世界にいる。私たちは自分たちを見つけ出すと同時に、反転した世界でしかツインレイのふたりの結びつきを見つけることが出来ないと言うことだな。なるほど、なるほど。。
私自身の精神世界といいますか。私の創造世界の基盤が成立しました。
ようやく成立したよー! マジ、ここまで長かったが、ようやく基盤の構造が成立しました。
ありがとうございました。ようやく、ノアの箱舟に乗り込むことが出来そうです・・・・。w