ツインレイが三位一体を2人で分離させるまでの経緯と闇の三位一体(サイレント期間の意味)

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイはサイレント期間へ突入するとき、暗闇の世にはいりこみ、闇と相見れることとなる。

ツインレイのふたりの三位一体は『くっついている状態』である。このふたつを分離させるため、私たちは暗闇の世で分離しなければならない。そのために必要なのが暗闇の世である。

図の説明:精神構造から三位一体構造

引用:マカバスターによる三元性の理論と三位一体の完成(ツインレイの完成『図』)

ツインレイのひとりにより構成される三位一体構造上記の通り、子—霊(無)—神により構成されているが、この三つは『ひとつ』として定義されている。

しかし、私たちはツインレイのふたりにより三位一体を構成している。

図の説明:ツインレイのふたりにより構成されている三位一体構造
図の説明:ツインレイのふたりにより構成されている三位一体構造

いわば、ツインレイたちはふたりで『ひとつ』というような状態で人生を構成している。私たちは『三位一体による一遍を構成している人生』を送っている。

図の説明:ツインレイの男女により送られている人生
図の説明:ツインレイの男女により送られている人生

この経緯で私たちは『ツインソウル』『ツインフレーム』『ツインレイ』という段階を経ていく必要性がある。

子の段階でツインソウルの学習により、男性性と女性性の理解。
霊の段階でツインフレームの学習により、他者という概念、そして犠牲と愛による理解。
神の段階でツインレイの学習により、無と心による理解。

各々がどちらかを担当し、どちらかを学習してくことにより、私たちは『二極のうちのひとつの側面性』による人生を送っていくことになる。

私たちツインレイは『ふたりでひとつの三位一体』をささえるような人生を送っているのである。しかし、ふたりが生み出した三つ目の世界線は既に『子—霊—神』としての存在がいることになる。それが『闇の刺客』である。

しかしこの闇の刺客とは、本来のツインレイが生み出している三位一体の裏側の存在である。いわば、私たちは『本来の三位一体』を構築すると当時に、闇の刺客は『裏側の三位一体』を構築することになる。

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闇の刺客による三位一体とは

闇による三位一体とは本来の三位一体と反転し、闇化している状態である。

子では、エディプスコンプレックスを抱え、自身の持つ性別を全うすることが出来ないでいる状態である。

霊では、他者の意見、他者の存在などを入り込ませ、またその意見を反転して捉えている為、本来のツインレイに対しての意見はすべて『否定的』に発言する。また、本来のツインレイが大嫌いである理由は、この霊が『自己』ではなく『他者』により形成されている為である。

神では、私たちが本来繋がるべき存在である『心の神』ではなく、『アクの神』である。

アクの神についてはツインレイの光と闇の抗争の終着点について(削除済み)で書いています。

いわば、アクの神とは『分断的な知識』であり、心によるつながりを持たない為、人に対して道理で殴り、正義で殴るような行いを続けるようなカタチとなっている。そして、心に対しての理解がないため、闇の使者は『攻撃性が強い』とも言える。

人の心を壊し続けている存在が闇の刺客とも言える。

図の説明:ツインレイによる光と闇の存在の三位一体の違い
図の説明:ツインレイによる光と闇の存在の三位一体の違い

光と闇のツインレイによる違いは、そもそも『自立的・自分の霊・本来の神』という三つの三位一体を構成しているのか。それとも『コンプレックス・他者・アクの神』による三位一体を構成しているのかの違いである。

この両者による争いが『光と闇の抗争』である。そして『本来の神』と『アクの神』による争いである。

さて、どんな争いとなるのか——。

闇による子の三位一体

闇は『子』が男性性と女性性のコンプレックスを抱えている状態である。ゆえに、本来の自立的な存在に対して『自立できていない』と言ってくる。それは『社会的な自立』や『生活的な自立』である。

しかし、光は本来側の神と繋がっている為『光として自立』をしている。闇では事実的な視点を持って光を攻撃してくる。それが否定である。

『あれが自立できていない』『おまえはニートだ』『人にやってもらっているのはおかしい』。というカタチでの指摘を受けることになる。また、自分自身へそれを課している闇の存在もいる。

いわば『自立って何?』っていうテーマに対し、他者へ意識がいく闇と、自己へ意識がいく闇が存在している。

エディプスコンプレックス全開で生きている存在である。親に対してのコンプレックスが強く、親を未だに追いかけ、自分の生き方をしない人たち。自立したいと当人たちは思っているのかもしれないが、精神的にはまるで自立していない。

自立とは何か? ということを今一度考えてみてほしいと思う。

 

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闇による霊の三位一体

闇は『霊』が他者により構成されている状態である。

いわば『自分』がいない。他者による意見が自分の意見であり、自分の意見を考え出すということがない。

『自分はこういう意見である』としたとしても、それは誰かの受け売りであり、またはその誰かの意見に対しての否定である。

知識の鵜呑み状態、知識に対しての否定による生まれた意見を自分の意見として捉えている為、そもそもの『自分の意見』がない状態となっている。

この霊は『無』であり、『意識』である。自分の人生を意識を持って生きていない存在である。自分の人生を『他者に預けている』のは、否定をしていようが肯定していようがどっちも同じことである。

知識は薄っぺらく、中身がない。そして追求すると『なにもない』ことがわかるため、深く追及されることをこばむ。しかし、自分の存在を問われる為、意見を言いたい存在である。

自分はこういう意見だ、とか。そういう意見を主張を『無駄にやっている』存在である。しかしその意見は『他人がこう言っていた』という言葉が必ず付け加えられている状態であり、本質的なものは何もない。すべてが自分の意見がない。

その存在を私は『白痴』と呼びたい。

 

闇による神の三位一体

繋がっている神は『アクの神』である。

いわば、神に対して『否定的』であり、また『肯定的』な存在である。自分の意見を神に預け『神がそういっているからそうする』と言っている、いわゆるスピリチュアルに多い、自分の意見は神の意見と同じであると言っている人たちである。

神は人に指示はしない生き物である。人は人で生きることができるが、神が『アク』と繋がっている人たちは神にお伺いを立てる。自分の人生についてを。

そして、否定的な存在は『神を否定する』ことでもあるが、そこに心がないことが一番の問題である。心がないため、人がいっている意味が理解できない、その裏側にある心を見つけることが出来ないのである。

ゆえにすべてを『心がない発言』として判断していくために『人が悪い人間に常に見え続ける』という悪循環を持っている。

私からすると、心がない人なんだなと判断されてる。

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闇の三位一体が光の三位一体に行っている攻撃の意味

闇の三位一体を持つ存在が、光の三位一体に行っている攻撃とは『自分を肯定して他者を否定する』ってことだ。

ちなみに光は攻撃されていることに気づかない。これはマジだ。そもそも『闇の意識』を持っていないから、その思考回路を認識しない。ゆえに、闇の思考回路を理解しないし、闇がよくわからない存在である。

それは闇も同じである。闇は光に対して理解を示さない。光の意識がないために光を理解しない。

相関的には最悪な状態である。そんな状態の両者が出会うのが『暗闇の世』であるサイレント期間であり、またその期間は空亡である。出会うはずがない相手と出会うことになる世界である。

図の説明:闇のよる三位一体の意識
図の説明:闇のよる三位一体の意識

彼らは『自分はツインレイと出会っている』と肯定的である。そして、同時に『擬態』をしている。

自分をツインレイに仕立て上げようとしているともいえる。これを『寄生』ともいえるんじゃないかと思う。

ツインレイは『自立的』である。元来、自分に対しての否定も肯定も持っていない。そして、自分の無に対して否定も肯定もない。自分の神に対しての期待もしていないし、期待を持っていないわけでもない。

というか『そのまま』という『ナチュラル』なのである。

ツインレイは別に『ツインレイと再会することに努力』をしているわけでもない。ツインレイと再会するために努力が必要ではないことを知っているというか。別に『何をしていてもよくて、その期間でなにかをしなくちゃ』っていう感覚はない。

究極に言うと、私からすると『暇つぶし期間』である。

そして、ツインレイの相手を『ツインレイ』という肩書きにたいしての意識もない。ツインレイの相手がツインレイでなくてもいいという意識すらあるだろう。かくいう私が『ツインレイの分析』を書いているからと言って、じゃあ、ツインレイを追いかけているのかというと違う。私が追いかけているのは『彼』である。

そもそもの論点が違っているのだが、この暗闇の世では闇と光が重なり、また融合していくことにもなる。

闇は光へ攻撃をする。

闇は光へ『自分を持て』という。しかし、光はそもそも『自分を持っているから何を言っているのかわからない、おまえこそ持てよ』って思ってしまうわけなんだが、闇は自分を持っていると思っている。しかし、光からすればそれは『自分ではない』のである。

闇は『自分の人生を生きていない』わけなんだが、光を見て『自分の人生を生きていない』と思う。

いわば、闇は光を投影して『自分』を見つけることになるが、それを受け入れることが出来ない。そっくりそのまま『自分』に対して攻撃をし、また、その攻撃対象は光の存在である自分である。

転に唾を吐くというような状態だろうか。常に他者へ唾を吐き続けているが、それブーメランだぜ? みたいなことがずーっと続いている。

闇がする光への否定の多さは、光の『存在としての大きさ』だと思われる。否定されれば否定されるほど、光は闇を内包していく。その内包が完了したとき、闇は『無』として認識される。

いわば、闇との関わりあいが『無意味なこと』に気づく。会話をしていても、闇とは会話が成立していないことにも気づくだろう。彼らは『他者に自分のことを押し付けている』状態なのである。自分が持っている『自立できていない自分』『空っぽの自分・主体性のない自分』『傷ついている自分』を光へ押し付けたいのである。

 

だからこそ、闇は光へ『自立できていない』といい、『おまえには自分がない』といい、『傷つけて自分の傷をなかったことにする』のである。

そしてもう一方では『自立している』といい、『あなたには自分がある』といい、『傷を肯定的に捉え癒そうとする』のである。

 

私の闇は天使と悪魔として存在していた。

さて、私はそのふたりから『現実的な自立』『自分の存在』『傷ついていること』を学んだ。

光である私は『現実的な自立とは何か』ということを教えられ、私は『心で自立している事実』を知り、『自分の存在とは何か』ということを教えられ、私は『自分の意見があること』を知り、私は『誰にも傷つけられていないこと』を知った。

いわば、彼らは闇の世界で『否定』と『肯定』で私を責めていたのである。(責められている事にも無頓着ではあったんだが、攻められていた。)

そして、そのふたつにより、私は『自分の三位一体』を構築していくことになった。

私は否定も、肯定も、どちらも手に取ることがない。

私は天使も、悪魔も。どちらをも私は手に取ることはなく、私はふたりともによる『自分』を形成することはないし、ふたりにより求められている『自分』を形成することもなった。

ツインレイの三位一体を構築することとは

暗闇の中で私たちは『ツインレイと分離』しようとしている。

いわば、この三位一体構造であれば、ツインレイの相手を『食うか』または『食われるか』なのである。

ゆえ、私たちは出会ってから、自分の人生がどのような人生だったのかをツインレイの相手へ与える。

私の場合、女性性を発揮し、ツインレイの彼を愛しぬき、そして空っぽである自分を見せた。何も持っていない自分を曝け出した。

彼の場合、男性性を発揮し、私の犠牲者となり、そして傷ついている自分の心を見せた。すべてを曝け出した。

プライドなんてあったもんじゃない、お互いに『すべてを曝した』のである。

そして、相手を『自分の人生として抱き合わせた』のである。

そうすると、私たちはサイレント期間へ突入する。相手の『三位一体』となって反転をするのである。

図の説明:ツインレイが反転し、その後真実なる三位一体を構成する順序
図の説明:ツインレイが反転し、その後真実なる三位一体を構成する順序

その反転したサイレント期間で『暗闇の世』で、真実なる三位一体を構築していくことになる。

ツインレイの相手が持っている三位一体による裏側にある闇により、私たちは最終的な三位一体を導き出すことになる。

最終的な三位一体を構築するために必要な材料とは、

  • ツインレイの相手となった自分
  • ツインレイの相手の天使的な存在
  • ツインレイの相手の悪魔的な存在

の三つが必要であり、暗闇とは『肯定と否定』により構成されている為、そのとき天使と悪魔が発生するのである。

最終的に、この三つがそろうとき、私たちは『真実の三位一体』を分離させて生み出し、ツインレイのふたりは三位一体が自立した状態となるのである。

ツインレイの再会段階の三位一体構造の為に必要なこと

まずは『子』の部分を『両性性』へと切り替えていく必要性がある。

そして『霊』の部分では、『他者』という概念と『自己』という概念の両方を統合していく必要性がある。いわば、他者とは自分であるということだ。そして自分とは他者であるともいえる。

この感覚を『ワンネス』ともいえるわけだが、自他同一性という。

 

そして、最後に『神』である。最近私がおこなっていた『神の座席を生み出すこと』である。

私たちの旧来の神とは『ひとつの象徴に対して、ひとりの神』というような形で存在していた。

しかし、新しい世の神は——。いわば、ツインレイが生きる新しい世界では『ひとりの神はふたりで行っている』というカタチに着地することになる。

いわば、旧来の世ではひとつしかなかった座席へ、もうひとつの神の座席を生み出さなければならない。

ここで『神の分離』が起きている。そのために私たちは神の意識を思い出すことになる。

神の座席を生み出す経緯は『二本張れ足し、二本張れ』である。記事としては富士は晴れたり、日本晴れ。日立神社に二本立たせて新しい神の座席が完成しました。で説明をしています。

この神の座席を二つ設けることにより、私たちはツインレイとして神の分離をすることができる。

このとき、私たちは『子としての分離』『霊としての分離』『神としての分離』をすることができる。

そして、最終的な三位一体構造は『三位一体』となっているが、内容においては『分離していたもの』が内包されているような状態である。

図の説明:ツインレイの相手の存在が『分離してやってくる』からふたつを統合する

このような状態となるのだが、もう少し掘り下げてみようと思う。

図の説明:

暗闇の世ではツインレイたちは『四つ』に分離してしまう。ゆえ、そのうちの『相手のもの』と『自分のもの』をふたつ手に取って自分の三位一体を構築させていくことになるのである。

そうすることにより、ツインレイは『同じだけど違う』という『同一だけど同一ではない』。といったり、だけど『もともとは自分だったけど、自分ではなくなった存在』という形になるわけである。

当初のツインレイはこうである。

図の説明:

いわばふたりで『ひとつの三位一体』を構成していることになる。しかし、相手の気質を分離させ、分離したものを生み出すことにより『ふたつの三位一体』を構築することになる。

図の説明:ツインレイが分離することにより生まれる意識状態

ツインレイの三位一体とは『自己同一性』をツインレイのふたりで形成し、『自他同一性』をツインレイのふたりで形成する。そして『真の自我性』をもツインレイのふたりで形成していくのである。

いわば私たちは、この経緯で『否定』と『肯定』を繰り返し、最終的に『真実なる自我』を構成していくと言うことだ。