親を愛しているがゆえに親の記憶を受け取って生まれてくる私たち(アイデンティティの出産)

2024年9月10日

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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過去に何度かトラウマ級の七転八倒するかの如くの痛みをレイキ中に感じることがありました。

ものすげェトラウマ的な痛みだなと思っていました。たいてい、レイキしている最中は『なにかしらの原因による痛み』です。

まさかこれが『陣痛』『生まれてくるときの痛み』だとは思いもよらなかったことでした。

道理で皆、悲痛の叫びをあげている理由がわかります。

 

私たちのごく一部の人たちは、胎児のときにお母さんが何を感じていて、何を想っていたのかを覚えていることがあると言います。

しかし、今回のお話は、お母さんが私たちを生んだときの記憶をそっくりそのまま、自分が経験したかのように記憶して生まれてきているというお話です。

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胎児だったときの記憶を覚えている人たち

私たちは『愛』を持っています。相手の気持ちを受け取る土台が出来上がって生まれてきます。

もうすで人間として何度も輪廻を繰り返してきた人たちは、自分のなかに心が出来上がっている状態で生まれてきます。

自分で自分の心を持って生まれてきます。ゆえに『愛そのもの』としての存在もいます。

輪廻のなかで魂が最終的に『愛そのもの』を形成しているとき、私たちは生まれてくるときにお母さんの記憶を受け取って生れてきます。

出産の記憶をリアルに自分が体験したかのように、受け取ってから生まれてきます。

これが子が親を愛しているということです。

相手の心を受け取る、初めて愛した存在が母だということです。母の記憶を自分のことのように感じ、母の心を受け取って生れてくるとき、私たちは自分で自分を産むという構造を生み出します。

自分で自分を産むようになる段階の人たちは『受け取る』のみならず『心(徳)』を持ち、自身のなかに愛を完成させている人たちです。

しかし、心がまだ一定にまで満たされていない人たちは、愛を完成させるために心を積むことのほうが重要です。そして、経験を受け取っているだけとなりますので、人生に母の出産経験が介入することはありません。(自分で自分を産む経験はしない)

産道を通ることで多くを忘れます

産道を通ることで、多くを忘れていきます。

私たちは前世の記憶や魂の記憶など、この人生に関係がないものを産道を通って生れてくることで忘れていきます。

しかし、産道を通らないケースがありますね。

つまり親の出産の記憶を継承しません。

未熟児として生まれてくるとき、向こうの世界や前世の記憶を持って生まれてきているケースが多いです。

向こうの世界で神だった人たちは、ほとんどが未熟児として生まれてきますので、大人になった姿をみられるだけで他の人に泣かれる——という『生きていることに泣かれる』だなんてこともあります。(ちょっとウケますね、でも彼らが大人になるのは奇跡であり、大人になれるだけで喜ばれるほどの存在なんですよね。存在が喜ばれるんです、神なので。)

なぜ、神が未熟児として生まれてくるのか——ですが、器的な問題で、母体のなかで育ち、育み、そして生まれてくる経緯で『人の魂の器』を形成していきますが、なるべく多くの記憶を持ち込みたい人たち(つまり神ベクトルまでの意識を持ち込みたい)は、母体のなかに留まらないようにして生まれてくると言うことですね。

  • 未熟児として生まれる・・・神の記憶を持って生まれたい
  • 帝王切開で生まれる・・・親に人生を左右されない、親による自我形成を受け取らない
  • 産道を通る・・・前世や魂の記憶を忘れること、親の出産の記憶を継承すること

というような感じでしょうか。

ほかにも見解はありますが、今回はこのようにします。

一応、帝王切開で生まれる子は親が親でないという風に言われていますが、私の感覚だと人に自分の気持ちが伝わらない経験が多い子のような気がします。

未熟児に近ければ近いだけ、向こうの世界とのパイプが強くなります。死に近いです。神は人としては未熟ですから。

彼らは『眠ること』が下手になります。そもそも起きていても向こうの世界と繋がれるので、寝る必要性もあまりないのかもしれません。

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愛により出産の経験を受け取ること

愛とは、相手の経験を受け取ります。相手の心を受け取ります。相手の心を受け取り、その心の経験に想い馳せ、人を想う力こそが愛です。

その愛が先ずは「自分を産み落とす母」であり、その母の記憶を自分の記憶として受け取り産まれてくる愛が成立している人たちは、自分で自分を産むという概念により先ずは形成されていきます。

自分で自分を産む人たちは、自分で自我を形成していきます。自我形成を自分で行っていくのと、親に自我形成を継承されていくのとでは、まるで違います。

先ず、最初に問題として「親が親ではない」ということがあげられます。母が母ではありません。母を母とは認識することが出来ません。それは自分で自分を生んできた経験を持っているが為に、親を親としては認識することが出来ませんので、自分のなかで、親を親として認めようと一生懸命がんばりますが、認めることがなかなかできません。

潜在意識的に、既に「親を親として認められない気持ち」がありますので、常に孤独であり、甘えることもなかなかできず、さびしい子供時代をおくることになります。

自立心が旺盛であり、自分で自分の人生を生き、自分で自分の人生の決定を持ちます。何者にも介入されない自我を形成していきます。私たちは私たちになるために、先ずは生まれる時に母を愛して生まれてきます。

 

そして、これがアダルトチルドレンとなります。

『自分が自分に成るために』

私たちは生まれてくる時点で『親を愛している』ので、出産の記憶すら、自分の記憶として生まれてくる人たちがいて。

そんな人たちは、神人、または人のなかでも人の輪廻を終えていく人たちになります。

「自分で自分を産む」ことは、自分で自分を育てていくことに繋がっています。

なりたい自分になれるということです。愛という相手の気持ちを受け取ることが出来るようになればなるだけ、なりたい自分になることができます。

自分で自分を構築していく人たちは、それなりの徳があり、自分らしさがあり、自分のなかに『自分を自分で構築する』ことになりますので、親から引き継ぐ、受け継ぐということがありません。

親からの影響を受けません、否定します。または逆に100%の影響を受けます、肯定します。

そして、肯定も否定もどちらも同じことですから『影響そのもの』になります。

親からの影響を否定しようが、肯定しようが、結局はどちらも同じことだ——ということです。

否定した側は影響を受けていますし、肯定した側は影響を受けていません。このような矛盾が生まれるので、正していく必要性がありません。

親からの影響を受けず、自分で自分の自我を形成してきたと思う人たちは、最終的には親からの影響を受けていることを受け取っていかなければなりません。

親の影響を受け、親により自我形成を阻害されてきたと思う人たちは、最終的には親からの影響を受けていないことを受け取っていかなければなりません。

私たちのなかには「親から影響を受けている部分」と「親から影響を受けていない部分」の2つの側面性を認めていくことが出来ます。しかし、自意識はひとつしか認識できませんので、どっちか——しか自意識では認識ができません。

人生のなかでふたつの人生を実感することができる。これがツインレイの面白いところなのかもしれません。

物事には両側面性を認識することができる、これが否定と肯定のロジックだからです。

どちらにしたって同じことです。親を愛しています。自分を生んでくれた母を愛しています。だから、同じような苦しみを背負って生まれてきています。

出産の苦しみを同じように背負って生まれてきた私たちは、すでに完成されています。

産まれた時点で愛が完成したんです。あなたです。

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地上の輪廻を抜けていくこと

最期には私たちは「自分になること」が出来ます。自分に成ることができた私たちは、これにて輪廻を終えていきます。

人生の終焉です。

理由は愛を完成させたからです。心を完成させることが出来ました。晴れて、人のベクトルの領域を抜けていくことができるようになります。

産まれた時点で愛が完成されました。親の出産の経験を受け取り自分で自分になる道が拓けました。このとき、私たちはオリジナルへの道へと進みます。

たいてい、向こうの世界の住人は親を愛して産道を通過してきます。またはそもそも産道を通過せずに、親を愛するのではなく、神を愛したまま生まれてくる人たちもいます。だから、神だったときの記憶を持って生まれてきます。

そうして、私たちがどのベクトルの意識にまで育つのか——が決まっていきます。

 

産道を通過してくる私たちは「親を愛し抜くこと」が運命付けられます。

産道を通過せず、子宮という社から取り出される私たちは「親に愛されること」が運命付けられます。

未熟児として生まれてくる私たちは「神を愛し抜くこと」が運命付けられます。

そして、産まれることがなく堕胎した私たちは「神に愛されること」が運命付けられます。

 

私たちは人ですから、この世の法則性による否定と肯定のロジックに溺れます。

親を愛していることを否定し、肯定します。

親に愛されていることを否定し、肯定します。

神を愛していることを否定し、肯定します。

神に愛されていることを否定し、肯定します。

ツインレイは否定と肯定です、もうひとつの側面を私たちは愛します。ツインレイの相手を愛しているからです。

たいていがひとつの人生で終わります。しかし、自分の人生でふたつの人生を歩むことが出来たとき、私たちは『統合意識』になっていきます。

否定と肯定が自分のなかに共存し、定義が生まれます。

あなたにとって、否定し、肯定した存在の中心には定義が生まれます。そして定義は無に帰します。このふたつが成立するとき、私たちは運命を自分で拓くことが出来ます。

定義し、次に定義を無に帰し、私たちは運命を自分で決めていきます。創造の原理です。そして無から創造が生まれます。

 

多くの人たちが産道を通過してきます。親を愛しています、すべての人が。

これは『記憶に触れることができるのか』『記憶に触れることが出来ないのか』というふたつの側面性を持っています。

ふたつの人生があります。

親を初めて愛した記憶に触れることができる人たちは、オリジナルへとなっていきます。輪廻を抜けていきます。

多くの人たちが親を愛した記憶に触れることはありません。しかし、そんな私たちは子供を怖がることもなく産み落とすことでしょう。

私たちが親を初めて愛した経験を根っこの部分では覚えているからです。だから、愛されたいと思う人たちは子供を産みたいと思うのです。そして、そうされることが自分のなかに満たされる思いが生まれます。(これが子供が欲しいと思う人たちの意識であり、人が繁栄していくロジックです。)

トラウマ的な出産の記憶を愛していること

ものすげェトラウマ的な痛みだなと思っていました。たいてい、レイキしている最中は『なにかしらの原因による痛み』です。

まさかこれが『陣痛』『生まれてくるときの痛み』だとは思いもよらなかったことでした。

冒頭にこのように書きました、たびたびあります。

私たちは何度も子供を産むことが出来ますが、お母さんは出産へのトラウマを長くは保有しないらしいです。ですので、どんなに辛い出産経験でも、再び子供を産むことができます。

お母さんが忘れてしまったとき、子供側が出産の経験を継承しているように思います。

そして、出産の経験の内容がトラウマ的だったのであれば『自分で自分に成る』経緯で足を躓かせることになります。

まず『生まれてきた時点でトラウマを背負っている』ということです。自我が自分になることがなかなか難しくなりますので、オリジナルへの道が難しくなりやすくもなります。

大抵の人たちはそもそもオリジナルへの道へ進みません。子供を産むほうへ進みます。

しかし、この人生で輪廻を終わらせたい人たちなどは、オリジナルへの道へと進むことになります。

自我形成は絶対的に出来ないようになっている件について

自分で自分を育て、自分に成ろうとするツインレイたちは、自我形成を自分で行っていかなければなりませんが、それが出来ません。出来ません。

自我形成をすることすらトラウマとなります。

で、出産がトラウマではない人はいません。ので、ツインレイの人たちは皆アダルトチルドレンです。

理由は自我形成をすることがトラウマだからです。

すべての人にとって自分で自分の自我を形成することがトラウマです。トラウマには触れたくないので、ふたを開けない人の方が多いです。

彼くんのお母さんは「助けて!」という気持ちで彼くんが生まれてきましたので、自我形成では「助けて」がヒントになります。自我を構築するのに助けてもらうことが出来ません。ひとりでやらなければなりません、全部俺システムです。

私の場合はお母さんが「死ぬ!」という気持ちで私が産まれてきましたので、自我形成をするとき「死にたくなる」し「死を選ぶ」場合が度々あります。色々自分のなかにあるものを殺していくことで自我形成します。

ですので、私は生涯で『生きれば自我が成立しない』『死ねば自我が成立する』のどちらかでした。死ねば自我の形成もクソもありませんので、私はずっと自我を構成できないを選ぶしかない人生です、ウケます。地獄です。

自我は絶対的に成立しないロジックにありますが、否定と肯定のロジックを抜けると自我形成が出来ます。

ですので、私は『自我を喪失させた』んですね。生きながらにして死にました。喪失された自我を自我としました。私がいないのが私です。

 

自我形成をするたびに「死にそうになるぐらい辛い」と思う感覚がします。出産の感覚です。破壊される感覚がします。

自分のなかにある自分が破壊されていく感覚は、私たちが私たち自身のなかに『わたし』を生み出していく出産の痛みです。

死にそうになるぐらい、叫びたくなるほどにぐちゃぐちゃします。そして絶望するのは、私たちがトラウマと直面したあとの疲労のようなものかなと思います。出産後の疲労困憊状態です。

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子育て中の方やお母さんにこれからなる人へ

あなたはどうやって生まれてきたのかを、

あなたを生んだとき、どんな風に感じたのかを、お母さんに聞いてみるべきです。

あなたがどれほどお母さんを愛したのかを理解するべきです。

あなたのお母さんが生きているうちに自分の生まれたときのことを、そして、自分がどんな子だったのかを、お母さんに聞いておくべきだと思います。

子育てをする前に聞いておくべきです。親からの愛を受け取っておくべきです。

 

そして親になるのであれば。

どんな風にして生まれてきて、それがどんな日だったのかを子供に伝えるべきです。

いつか、自分が自分で自分を産むがためにです。

あなたが母を愛してくれていたことを、何度だって伝えてあげることが出来ます。あなたは愛されて生まれてきたわけではなく、愛するために生まれてきた存在であることを伝えてあげることはできます。

それが生まれてきたときの記憶を話してあげることです。当人は覚えていないかと思いますが、覚えています。

人を愛する力があれば、その子は育ちます。愛される子に育ちます。

人は必ず間違いを犯します。

そのとき、ただ『母を愛して生まれてきた記憶』を忘れてしまい、愛した経験を拒絶したいからかもしれません。お母さんを嫌いになるかもしれません。

それは、お母さんに「生まれてきたときの経験」のお話を聞かせてもらっていないからなのかもしれません。

何度だって立ち戻ればいいと思います。

何度だって産まれたときにはじめて母を愛した経験に立ち戻ればいい。

人生はやりなおせないわけじゃない。

 

親は子になにもしてあげられません。親としての立場を弁えなければなりません。

ですが、母が初めてあなたに愛された経験を伝えてあげることは大事なことだと思います。それが私の思う親の愛です。

話して伝えるだけで「愛されていた」と、子は感じます。

愛したとは思わないと思います。

しかし、母のなかに経験として自分が生まれてきた記憶があることに愛を感じます。

自分がここにいる実感を覚えます。自分はここにいていいんだって思える子に育ちます。

私たちは生まれてきて存在した瞬間を覚えていません。だから覚えているお母さんが伝えていかなければなりません。

「あなたはここに存在した瞬間がある」と。

自分の存在を知った子たちは、誰かを愛していくことが出来ます。

愛されて生まれてきたと気づくことは、愛することに繋がっていくからです。そうやって、自分が母を愛した経験である潜在意識へアクセスしていきます。

だから、何度だって生まれた日の話はしてあげていいのだと思います。

子供の時からお話してもらったことがある子は、愛することに長けている子です。相手を思いやることが出来ます。

 

多くの人に子供の時は抱いてもらうといいのかもしれません。

いつか、赤ちゃんだった時の記憶を多くの人に話してもらえることが、その子の幸福につながるからです。

世界を愛する子になれるように、そして愛したものから愛を受け取れます。

世界のなかで愛を循環させることができる子に育つように。

 

おかあさんは、産まれた日の記憶を絵本にして自作して、読み聞かせをしたらいいと思うよ。

子供の成長記録を、ちゃんと写真を撮ってアルバムを作っておくこと。

自分の存在を許し、人の存在を許し、人を愛し、愛されるような関係性の基盤はここにある。

 

子供がいない独身の人とかは、子供が生まれた友達の子を抱いてあげること。

そして、子が育ったときに赤ちゃんのときの話をしてあげること。

あなたが記憶のないときから見ていたよって教えてあげること。

「忘れちゃっている記憶」のほうが大事だから。それを呼び起こして、この世界に繋げてあげることが大事。

 

そして、あなたがここに存在しているということは、必ず、誰かの腹を通過して生まれてきている。

それがあなたが「初めて誰かを愛した経験」であることを忘れないでほしい。それは「大好き」って感情らしい。

愛は「大好き」なんだって。一個になるのは大好きだからなんだって。

ツインレイも同じ。大好きだから一個になる。大好きだからひとつになりたい。

それを私たちはちょっとだけ大人びたように見せかけて「愛」とか言ってるってだけ。

 

生まれる前から胎児はお母さんが大好き。だから一個になって生まれることにした。