神さんにお願いごと叶えてもらうコツ。

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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コツっていうと、正直、あれなんだけれども。

基本的には、神さんがお喜びになるものは、

である。徳ねえやってときは、酒を持っていく。

徳の献上が、まだ、私の中であやふやだったんですけれど、ちょっと明確になってきたので、それについて。

 

神さんたちにも、それぞれ特性がある。

先日は玉前神社に行ってきたんですけれど、玉前神社は玉依さんですので、玉依さんが欲しがる徳を献上するといいです。

例えばなんですが、めっちゃ人の子を可愛がる(人に尽くす)と、玉前神社(玉依さん)では神さんが喜ばれる。

徳を積むポイントなんですが、

  • 私利私欲なく実行する
  • あなたが嬉しいと私も嬉しい

が成立すると、徳が多めに積める。

例えば、いいことしたあと、文句を言う。これあかん。後ろ足で砂かけられる、だが、文句を言ったらいけん。

これが結構、鉄則かもしれない。

文句がないが私利私欲がない状態。たまに私が「なんかの修行なのかと思ってた」みたいなことを言っているが、これが私利私欲を抜いている感覚かも。(でも、辛いから修行だと思って私利私欲を抜き「自分だって辛い」っていう感覚を抜いちゃう)

あと、楽しむこと。何事もね。

親切にしたあと、相手がお喜びになられて、自分も嬉しい。これが出来るといいよね。

自分にひとつも利がないことに腹が立つのが人の性ってもんで、腹が立たんのが『徳』になる。

でも、腹が立っても、徳は徳で、1回の行いで最大に徳を積むなら、腹が立たない、本心から喜びがある状態がいい。

サイクル的に、この修行やってると、自分の腹が立たない代わりに後ろ足で砂かけられるようになってくる。それでも腹が立たなければ、最大の徳になる。

二段構えとか、よくあるんだよ( ̄▽ ̄;)

 

こうやって、徳を積んでいくわけなんだが、その徳が溜まると呼ばれまする。神社に。

やべぇ、神社いきてぇ_(:3」z)_

ってなってくるから、神社に行って徳の献上をしてくる。すると、ご利益があるっていうパターン。

ただ、私たちが受け皿として、受け取れないとき、教育される。

例えば、子供が欲しいのに、子供を受け取る器がなかったら、しばらく子供を受け取る教育が起きる。これが巷で言う試練とかいうものだとは思う。

子供が欲しいなら、人の子可愛がるといいんだけれど、隣の芝生は青く写って、人の子が可愛がれないものなのよ。

嫉妬がメラメラでちゃう( ̄▽ ̄;)

 

あと出雲大社は、神話にも残っているように、うさぎを助ける。つまり、困ってる人を助けるとき、相手に喜ばれ、自分も嬉しいに繋がると、徳が積まれやすい。

徳が積みやすいから、有名なんかな?と思う。人に親切な人は多いから、日本人。

あと、ちょっと気になるのは、困ってる人で俵紋がある人であるとき、大黒さまと通じているような・・・・・・気が・・・・・・?

とにかく、親切にしてると、人の縁とトレードしてくれるのが出雲大社さんっていうイメージかな。

スサノオさんとかは「人を守る」とかかな?

 

それぞれ、人の行動の中にある徳があって、その行動がとれているとき、また、喜びや嬉しい、感謝の気持ちがセットになっていると、相乗的な徳になる。

いい人に見られたいとか、徳がつみたいとかの意識があると徳は積みにくい。

徳が積まれると呼ばれるから、行けばいいと思う((・・*)コク

色々な神さんいるけれど、神さんの徳と繋がる瞬間が生まれると「神社に行きたい」って感じられて、行動に何故かうつしちゃう。

これが神社に呼ばれるっていう現象だなーと。

 

徳の献上すると、神さんがお喜びになられるから、ぜひに――と思いまする┏○ペコッ

とはいえど、私利私欲を抜いて善行って難しくて、私はそのあたりを凄く師匠にしこたま鍛えられているから、最初から出来なくても大丈夫です。

最初は、いい人に思われたくてもいいし、徳が積みたくても良くて、実際は何もしないよりも行動したほうがいい。

文句は言わない方が得策。マジで。

あんまり悪事と呼ばれることはしないほうがいい。日本の神さんって礼儀正しさを重んじるきらいがあるから。

例として手水舎でちゃんと手を洗えってことでもあるんだけれど、最初からはできなくてもいいんだ。

ちゃんとやろうとする意思があればよくて、最初から神さんも完璧は望んでないよ(;’ω’∩)

だから徳積みも、最初から完璧ではなくてもよくて、徐々に出来るようになっていけるまで少しずつ積み重ねていけばいい。

ちなみに師匠は、箸で水を掬うようなもの――と徳を積むことについて言っていた。そんぐらい難しい。

 

最近、気づいたこともあって。

なんで、寿命削ったりとかして、よくわからん契約? してる人とかいるんだろうって思ってて。

徳が神さんに献上ができんのだけれど、何かが得たいってときに、また別の何か? と取引することができるぽい。

あんまりするものではないっぽいね( ̄▽ ̄;)

魂が食われる? んかな?? そっちのことはよくわからんけれど、魂で契約してることが多いから、その分を持っていかれると思う。

つまり、今生でプラスが欲しいとき、徳をつむか、魂を売るか、みたいな感じかも。