ツインレイは肉体的欲求が精神的満足へ切り替わっていきます。
先日、ツインレイは性的欲求を失うわけではありません。という記事を書き、欲求の意味も切り替わっていくという話を書きました。
性的欲求が肉体的な欲求となる動物的なオス・メスの性別から精神的な欲求を満たす男性と女性へと切り替わっていくことになるのがツインレイであり、それは性的欲求を失うわけではない——と。
それは、すべてにおいて適用されている話となっており、それは食事を初めとしてこの世界では多くのごまかしが起こっていることを含めて、ご説明していこうかなと思います。
私が先日体験した、ちょっとした欲求についての事例を書かせてもらおうかなと思います。
『食欲』という欲求です。
私はAzさんと会うとき、友達にオススメされたお店やネットで調べていいなって思ったお店へいくようにしており、それはやっぱり「おいしそうなお店」で探しています。
やっぱり食事は、外食ならばなおさら美味しいものを食べたいと思います。
今回は、知り合いに教えてもらったチェーン店で、いつも昼時は混んでいるイタリアン。もちろん私たちもちょっと出遅れてしまったがゆえに、数十分ほど自分たちの名前が呼ばれるまで待つことになりました。
そのお店ではおいしそうな写真が並び、私たちも『おいしそうだな』と思う写真をもとにパスタとピザを選びました。サラダバイキングと飲み物も食べ・飲み放題がセットになっていて、メインの食事がでてくるまで私たちはバイキングを楽しむことになりました。
バイキングはとても美味しかったです。何回もお代わりにいってしまうほどに美味しい食事の時間でした。そして、メインも大きなエビがパスタのうえにのっている。とても美味しそうに見えましたし、もちろん美味しかった。
この時点でお腹がいっぱい、とても苦しい状態になるまでたくさん食べていますが、最後にデザートが待っています。
最後のデザートは自分で選んで食べることになりますが、実はこのときとても不思議な体験をしました。
デザートの見た目から私はこのデザートに期待をしていませんでした。見た目からして美味しくなさそうと思う気持ちがどこかにあったのだと思います。
見た目的に素朴。どこにでもありそうな雰囲気——でしょうか。
しかし、パクッと食べてみると、なぜでしょうか。期待を裏切るような美味しさが口のなかを支配していきます。
この違和感を覚えて、最後にレジのショーウィンドウを覗き、ケーキはホールで販売しているんだ・・・・・と確認してしまうほど、私にとっては美味しいデザートでした。
Azさんと車に戻り、ふたりして「苦しい。おなかいっぱい。」と言い合いました。そして、ふと「あのイタリアンのお店の料理が食べたい」と別のお店が脳裏に浮かびました。
目的地からは遠回りになるような形になりますが、Azさんとふたりで夕食に再びイタリアンを食べることにしました。
実は、この夕食が欲求への理解の要となりました。
私たちは2600円ほどのコースを頼みました。自分でパスタやピザを選ぶことができます。
イタリアンメニューの名前なんて覚えていませんから、スマートフォンで検索したりして私たちはアサリのパスタと分け隔てない普通のピザを頼み、半分こすることにしました。
このお店ではメニューに写真など載っていません。言葉だけが頼りです。
最初にやってきたサラダプレート。6つぐらいのメニューが一皿に少しずつ乗っかっている。だけど私たちはそのサラダプレートに乗っているメニューがひとつひとつ何を指しているのかもわかりませんし、味も想像つくことがありませんが「美味しいに違いない」と思いました。
見た目からして美味しそうなんです。
やはり一口食べるごとに、美味しい。ここに『見た目』と『味』の差がないんです。そして、一口食べるごとの満足感がある。
いっぱい食べたいなんて思いません、一口食べるだけで『満足』がやってきて、たくさん食べる必要性などなく、心が満たされていきます。
私たちはここでひとつのことに気づきます。
「味が薄い」ということです。
昼食のイタリアンでは多くのごまかしが起きていました。そのごまかしはスパイスです。スパイスが私たちの脳を刺激させて「もっと食べたい」という欲求を掻き立てるような形で仕上がっている。
そうするとそのうちやってくるのが『お腹いっぱい』、そして『苦しい』。
私たちは、お腹いっぱい食べて苦しいと思っているんですが、苦しいほどに食べていることの異常性を感じていませんでした。
欲求を満たそうとすればするほど、私たちは苦しい思いをしていたんです。
夕食では味が薄い前菜を食べていますが、どうしてでしょうか。心が満たされていく。頬が緩み、美味しいと言葉が自然に出てきますが「もっと食べたい」と思っていません。「これで満足」と思います。
これは心が満たされていくような感覚だったんですね。
もちろん、それはスープ、デザートも同じ。デザートなんてことさら「もっと食べたい」と思うかもしれませんが、夕食のイタリアンのお店ではそんな感覚が湧いてきません。欲求がわきあがってきません。
それよりも「今食べている瞬間が幸せ」という感覚があり、一口一口を食べていくことに夢中です。
スープにいたっては、Azさんが最後の最後まで大事に飲んでいました。(実際、冷めてもおいしいんです。ふたりしてスープをパンにしみこませて食べましたら最高に美味しかったです!)
メインディッシュとなるピザ、そして、パスタはとても素朴な雰囲気のある——。取り分けて素晴らしい雰囲気があり、インスタ映えなんてすることのない普通のパスタとピザです。
本当に普通なんです。ただ混ぜてあるだけ。だけど、もの凄く美味しそうなんです。ナチュラル。
お昼のパスタにはエビが「わたし、おいしそうでしょ?」と主張するようにパスタのうえに鎮座していましたが、夕食のパスタにはアサリがパスタに絡まっているだけ。
お昼のエビは確かに「食べてみたい」という食欲をそそります。だけど、夕食のアサリは「美味しいに決まっている」ということを私たちは知っていました。
食べてみると、やはり美味しい。良くも悪くも期待を裏切りません。
だけど、アサリがアサリの味をしていません。ほんのりとアサリの味がします。私たちが今まで食べてきたアサリは「アサリの味」がしていたことに気づきました。それが食欲をそそりましたが、夕食のアサリは食欲をそそりません。
食欲はそそりませんが、心を満たしていく。
ちょっとだけ、品はないけれども私はスプーンでパスタに残った残り汁をすすりました。
味がしませんでした。パスタの麺と同じだけの量の味がしただけでした。パスタの麺の味なんて考えたことがありませんでしたが、麺と同じだけの味です。ほとんど味がしません。
だけど、これが最高に心を満たす食事でした。
私たちは、欲求を満たすような世界に生きているのだと思います。
この夕食後、私たちは「苦しい」とは言いませんでした。おなかいっぱいになりましたが全く苦しくありませんでした。ただ、心がポカポカとするんです。「おいしかった」って心から思える。
そして、その美味しい食事は食べた後も尾を引き「また来たいね」とふたりで言い合いました。
欲求を満たす食事のほうでは「苦しい、しばらくはこないでいいかな。満足した。」という気持ちでした。
肉体の欲求を満たすような食事と、心を満たすような食事。私たちはこの二つを一日で経験することになりました。
これはちょっとだけわかりやすい食事の話、欲求についてを対比させてもらえる良い機会となりました。
この欲求問題はツインレイ情報にも言えることではないか——と思っています。
ツインレイ情報は、多くインターネットにはびこっていますが、実はどの情報を手にとっても『満足感』を得ることが出来ない故に、ツインレイたちはあちらこちらに情報を探して飛び回るような事態となっています。そして高額のお金を落とす。
それは『自身の肉体による欲求』を刺激されているがゆえでした。
ゆえに、どの情報をいっぱい手にとっても『身にならない』んです。なんなら身体を壊すようなことにもなりかねないような情報でもありました。
私たちの『欲求を満たすための情報』は、どれだけ手にとっても『苦しい』んですよね、だけど苦しいことに気づかないでいると次から次へと情報を探し続けることになる。
その苦しい思いをしながら『精神的満足』を探し続けている。
ツインレイ情報のなかで『精神的満足を得る情報』にたどり着くことが出来れば、ツインレイたちは精神的に落ち着き、安心ができます。しかし、どの情報も『欲求』が混じっていて、自分の脳を刺激するような形でしか情報が得られません。
だから『もっと』、もっと情報が欲しいと思い、ツインレイ情報を追い求めてさまようことになる。
ツインレイ情報のなかには多くのスパイスが組み込まれてもいました。
それは情報の持つ『刺激』です。その刺激は脳へ働きかけ『自分は間違っているのではないか』という不安感を持ち出されたり、『自分はどうしたらいいのかがわからなくなってしまった』という情報があるからこその、自分の道を進むことができない混乱と迷子になりかねません。
わけがわからなくなってしまうのがツインレイ情報になっている。
けっきょく、ツインレイ情報が『情報としての役割』を果たしているのではなく、ツインレイの肉体的欲求への刺激の役割を持ち、ツインレイ情報が足引っ張りとなって時間と金を浪費するようなことでもあったような気がします。(これは私にも思い当たることでした。残念ながら、そのように情報網をさまよったときに得られた情報はなにひとつ記憶に残らず、身にならずに過ぎ去っていきました。)
情報が欲しいと思い、さまよっているとき。私たちは苦しい思いをしています。
しかし、その『苦しい思い』を認識できないのが『欲求へのスパイス』であり、もっと情報がほしいとお金を落とさせていくメカニズムなども生じていました。(ボロ儲けの仕組み。)
これが『欲求へ働き掛けてお金を儲ける』というメカニズムかと思います。
従来では、このような仕組みを持ってお金を稼ぐことが出来ました。
それが仕組みであり、それが肉体的な次元を重要視し人の持つ欲求を利用するような形で得たお金です。
無意識に働きかけるような形で人の気を引くことが出来るんですね。これを支配とも呼びますし、操作とも呼びます。
そして私たちはその支配や操作に動かされ、勝手にお金と時間を使うような形になっていましたが、ツインレイたちは『精神的な満足感』を重要視していくために、支配や操作に気づいていくことになります。
ツインレイは、支配されていない・操作されていないときは苦しくないことを知っている——ということです。
私たちは欲求の世界で、本当は苦しい思いをしていることに気づかない生活をしています。だけど、心の声を聞くようなことが出来るようになると『苦しい』と思っていることに気づきます。
本当は欲求を満たすことが苦しいことだったんですね。
本当は心を満たしたいと思っているのに、欲求でごまかすような生活は特に苦しい思いをし続けることになる。
私たちにとってツインレイもそうでした。
ツインレイと出会うまでに多くの恋愛をしてきた方々も多くいらっしゃるかと思います。そのなかで『肉体的な満足感』を覚えることができる恋人もいたかと思いますし、『人から羨ましいと思われることによるステータス』を手に入れることができる恋人もいたかと思います。
だけど、どちらも満足が出来なかったのがツインレイへ進む人たちなんです。
私たちは肉体的な——。スパイスでごまかすことが出来ないところにまで、心を重要視するようなところへと至っています。
そうしてやってきたツインレイは『自分にとってまるでなにひとつ価値のない存在』として現れます。(ましてや私はニーマーになっているところまで落とされましたが、ツインレイの彼にとってはニートは価値がない存在でした。)
価値のないツインレイの相手こそが『自分の心を満たすことができる存在』です。それは見下したりするわけじゃなく、愛することで自分の心が満たされていく関係性の相手がツインレイです。
二極化世界がすすむことにより『肉体的な欲求』の道へ進む人たちと、『心を満たす』ことを重要視する道へ進む人たちに分類されていきます。
ツインレイたちは『身の丈に合う』という言葉が重要であり、心を満たすことを重要視しているが為に、欲求に振り回されることが少なくなっていくことになります。
ネガティブ世界へ残るツインレイたちは、自身の持つ欲求に呑まれ、そして苦しんでいることから目を逸らすことになった人たちが残ることになりました。
心を満たす食事は排泄が整います。心を満たす人は循環が整います。
心はすべてを知っています。
心が話す言葉を汲み取ることが出来ずにいれば、苦しい道へと進んでいくことになります。
世明けのツインレイの方針も、ここでようやく定まりました。
私たちは刺激を持たせ欲求を満たせるようなサイトを創るのではなく、心を満たし満足が出来、ここでようやく『ツインレイの欲求の足止め』ができるような形に仕上げていくこと。
そして、私たちもお金を稼ぐ形となりますが、そのとき『お金を払っても申し分がない』形にしたいと思います。お金を払っていただくときも肉体的な欲求を刺激するのではなく、心を満たす形でご提供できるように心がけようと思います。