日月神示の岩戸閉めと岩戸明けは『原罪』かもしれない。

2024年8月16日

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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第六チャクラの課題なのかなと思っている、日月神示。ので、とりあえず、日月神示に傾倒しようかなと思う。

前に日月神示には触れたことがある。

懐かしいな、去年の5月に書いている。

  • ナギとナミの岩戸閉め
  • アマテラスの岩戸閉め
  • スサノオの岩戸閉め
  • 神武天皇の岩戸閉め
  • 仏魔による岩戸閉め

引用:日月神示の岩戸閉めと岩戸開けの精神領域による解説

とりあえず、流れを把握する必要性がある。

これは原罪が生まれる経緯かもしれない。

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まず『男女の行き違い』がナギナミには生じた。一方通行な関係性となってしまった。(男女の世界観が違う)

であるがゆえに、アマテラスはスサノオがよくわからなくなってしまった。スサノオのことがよくわからないから、アマテラスは一方的に「スサノオ悪いヤツ」って思いこむことになった。ここで『罪』っていう概念を生んでしまった。(相手の気持ちがわからない)

罪が生まれたからこそ、スサノオは根の国へ向かうことになった。でも、男の子はとても優しいはず。でも、その優しさが『罪』に視えるのが私たちの大元にある『ナギナミ』の一方通行な関係性の問題。

そのうち、神武天皇が神武東征によって大和統一しようとするんだが、そのときに対立者がでてきた。そこでも『両立ができない』『一方通行』みたいな関係性。(対立したらどちらが勝つか負けるかの勝敗)

最終的には、仏教が入ってきた。ここでは『地獄の概念』が入ってきて、誰が悪、誰が善という考え方、罪や罰という考え方も生まれてしまった。ここで『定義』されてしまった。(罪や罰の概念)

これが暗闇の世界かな。

  • 男女の世界観が違う
  • 異性の気持ちが分からない
  • そこに罪があると思う心
  • 対立したら勝敗を決めなければならない
  • 罪や罰の概念

大元には『火の神』を生んだことにある。火と水は相容れないだから、ふたつが分け隔てている。

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ナギナミも水の神だよな。凪と波だから。だから、水なのに火を生んでしまったからこそナミは死んだ(火になった)。これが大元にあって、その後、ナミは黄泉で『雷の神』を生んでいる。

ナミの雷さまは『火』と『地』(落雷)により生まれるのかも。ナギの鳴神さまは『水』と『天』(ゴロゴロゴロ)により生まれる。

ナミは、黄泉の国で『地』を得ているから、ナミは死ななければならないのかもしれない。(精神の死)

図の説明:ナギナミが相抱き合うには雷必要でないか

男性は、水のまま生き、そのまま『成る』ことで『雷鳴』が成立する。音が鳴るようになる。これが「約束を守ること」。『言』と『音』の話。

女性は、水から(自ら)火へと転じ、『落ちる』『散る』ことで『落雷』が成立する。そうすると光るようになる。これが「地に足をつけること」だと思う。これが「約束を契ること」(リアリズムになる、自分の人生を受け入れる、現実性を持つなど。)

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男性と女性はふたりで『約束』を作っている。それが『雷』になる。光って音が鳴るねん。当初は『殴られた衝撃』しかわからなかったけれど、今度は光って音が鳴るのかなと思う。(雷の衝撃を受ける話

そうすると『雷様』が出来上がるんだが、ナギは雨を降らし、ナミは火を燃やしても、雷があるからふたりは共存することができるようになる。これが『神の世』なのかな? と思う。

だから「神鳴り(神成り)」になる。

  • 男女の世界観が違うことを受け入れること
  • 異性の気持ちが分からないことを受け入れること
  • 罪を排除する意識を捨てること
  • 対立しても勝敗を決めなくてもいいこと
  • 罪や罰を持たずに生きること

これが原罪の克服だったのかな? と思う。

日月神示は『火』と『水』のことは良く触れてる。たぶん、このふたつを統合させることは『自分の中にある違う異質なものを受け入れる力』なんだと思う。

それは自分自身がどれぐらい「自分とは違うもの」を受け入れてきたのか? なのかもしれない。違うものを受け入れ続けてきたら、最終的には『自分が別物』になってしまうから、次は『自分』を受け入れることで完成する。

違いを受け入れるとは、少なからず「傷つけないようにすること」とかでもない。みんな違ってみんないいみたいな金子みすゞでもない。

そもそも違いなんてものはひとつもない。男女の世界観が違う、相手の気持ちは違う、罪があるから排除する、勝敗を決める、罰する気持ち。

全体的に『自分と人は違う』っていう感覚にある。みんな同じ、うんこして寝てる人間だってことを忘れてしまうのは、そこに『慢心』があるのかもしれない。そこに『自分を守る意識』がある。根源には『死』の概念。

 

本質的には「みんな同じだな」ってことを理解する。それが神の世界かも。

 

雷って『電気』だよね。電磁波? とか? あと霊関係もほとんど電気だよね。