日月神示の岩戸閉めと岩戸明けは『原罪』かもしれない。
第六チャクラの課題なのかなと思っている、日月神示。ので、とりあえず、日月神示に傾倒しようかなと思う。
前に日月神示には触れたことがある。
懐かしいな、去年の5月に書いている。
- ナギとナミの岩戸閉め
- アマテラスの岩戸閉め
- スサノオの岩戸閉め
- 神武天皇の岩戸閉め
- 仏魔による岩戸閉め
とりあえず、流れを把握する必要性がある。
これは原罪が生まれる経緯かもしれない。
まず『男女の行き違い』がナギナミには生じた。一方通行な関係性となってしまった。(男女の世界観が違う)
であるがゆえに、アマテラスはスサノオがよくわからなくなってしまった。スサノオのことがよくわからないから、アマテラスは一方的に「スサノオ悪いヤツ」って思いこむことになった。ここで『罪』っていう概念を生んでしまった。(相手の気持ちがわからない)
罪が生まれたからこそ、スサノオは根の国へ向かうことになった。でも、男の子はとても優しいはず。でも、その優しさが『罪』に視えるのが私たちの大元にある『ナギナミ』の一方通行な関係性の問題。
そのうち、神武天皇が神武東征によって大和統一しようとするんだが、そのときに対立者がでてきた。そこでも『両立ができない』『一方通行』みたいな関係性。(対立したらどちらが勝つか負けるかの勝敗)
最終的には、仏教が入ってきた。ここでは『地獄の概念』が入ってきて、誰が悪、誰が善という考え方、罪や罰という考え方も生まれてしまった。ここで『定義』されてしまった。(罪や罰の概念)
これが暗闇の世界かな。
- 男女の世界観が違う
- 異性の気持ちが分からない
- そこに罪があると思う心
- 対立したら勝敗を決めなければならない
- 罪や罰の概念
大元には『火の神』を生んだことにある。火と水は相容れないだから、ふたつが分け隔てている。
ナギナミも水の神だよな。凪と波だから。だから、水なのに火を生んでしまったからこそナミは死んだ(火になった)。これが大元にあって、その後、ナミは黄泉で『雷の神』を生んでいる。
ナミの雷さまは『火』と『地』(落雷)により生まれるのかも。ナギの鳴神さまは『水』と『天』(ゴロゴロゴロ)により生まれる。
ナミは、黄泉の国で『地』を得ているから、ナミは死ななければならないのかもしれない。(精神の死)
男性は、水のまま生き、そのまま『成る』ことで『雷鳴』が成立する。音が鳴るようになる。これが「約束を守ること」。『言』と『音』の話。
女性は、水から(自ら)火へと転じ、『落ちる』『散る』ことで『落雷』が成立する。そうすると光るようになる。これが「地に足をつけること」だと思う。これが「約束を契ること」(リアリズムになる、自分の人生を受け入れる、現実性を持つなど。)
男性と女性はふたりで『約束』を作っている。それが『雷』になる。光って音が鳴るねん。当初は『殴られた衝撃』しかわからなかったけれど、今度は光って音が鳴るのかなと思う。(雷の衝撃を受ける話)
そうすると『雷様』が出来上がるんだが、ナギは雨を降らし、ナミは火を燃やしても、雷があるからふたりは共存することができるようになる。これが『神の世』なのかな? と思う。
だから「神鳴り(神成り)」になる。
- 男女の世界観が違うことを受け入れること
- 異性の気持ちが分からないことを受け入れること
- 罪を排除する意識を捨てること
- 対立しても勝敗を決めなくてもいいこと
- 罪や罰を持たずに生きること
これが原罪の克服だったのかな? と思う。
日月神示は『火』と『水』のことは良く触れてる。たぶん、このふたつを統合させることは『自分の中にある違う異質なものを受け入れる力』なんだと思う。
それは自分自身がどれぐらい「自分とは違うもの」を受け入れてきたのか? なのかもしれない。違うものを受け入れ続けてきたら、最終的には『自分が別物』になってしまうから、次は『自分』を受け入れることで完成する。
違いを受け入れるとは、少なからず「傷つけないようにすること」とかでもない。みんな違ってみんないいみたいな金子みすゞでもない。
そもそも違いなんてものはひとつもない。男女の世界観が違う、相手の気持ちは違う、罪があるから排除する、勝敗を決める、罰する気持ち。
全体的に『自分と人は違う』っていう感覚にある。みんな同じ、うんこして寝てる人間だってことを忘れてしまうのは、そこに『慢心』があるのかもしれない。そこに『自分を守る意識』がある。根源には『死』の概念。
本質的には「みんな同じだな」ってことを理解する。それが神の世界かも。
雷って『電気』だよね。電磁波? とか? あと霊関係もほとんど電気だよね。