風の時代ならぬ『音の時代』をスピリチュアル的に解釈してみる。
前回、風の時代として書いていたんだが間違えてて。根底から間違えて。それで記事の取り下げとか起きたんだけれど、ふと「そうか、私が新しい時代についてどうみているのか」についてを書かなきゃいけないんだって思った。
ので、私の個人的な視点を持っての『風の時代』兼『新しい時代』についてを書いてみる。
私は『風の時代』『音の時代』『光の時代』と三分割して理解してみるべきなのかな? と思っている。
風の時代>音の時代>光の時代——っていうイメージ。
光の時代は『神』たちの世界。
音の時代は『霊』たちの世界。
風の時代は『人』たちの世界。
それぞれ、私たちのベクトルによって受け取れる時代が違う。
音と光の世代の部分は『鳴神さまが玉座に座った件』がかなり関係していると思われる。
今回、地上では『風の時代』に切り替わっているみたいなんだけれど、同時に神の世界でも入れ替わりが起きているから、神の世界からも『時代の変更』が起きていると考えられる。
風の時代は、この世の物質的なものを孕むんだけれど、風そのものが『みえない』からこそ、上の領域にある『音』が垣間見えてしまう。だけれど、やっぱり『音』も視えないものだから、『光』まで到達してしてしまう。
つまり『神代の時代が筒抜け感』が感じられるんだ。
もう2020年からこの時代には突入している。無理が出来なくなったはず。
鳴神さまが玉座に座った『鳴神の世界』
そもそも新しい時代ってなんだろう? ってこと。これをスピリチュアル的な。なんなら、私が個人的に実感しているのは、一番偉い神さんが代替わりする時代——って感じだろうか。
それぞれの時代には神が象徴として存在している。その神が代替わりをする。
新しく玉座に座る神がいる、それが『鳴神さま』。
この神がなんなのかがわからないんだが、読み仮名は「なるかみ」。
風の時代と占星術では言われているけれど、私からすると、風の時代ではなく『音の時代』なのではないかと感じている。
ひとつの上の霊の領域では『音』が大事。
もちろん今までも音については重要視されてきたと思うんだけれど、それ以上に霊界では『音』が重要。
たとえば、言霊とかもそうなんだけれど言葉が霊界に通じやすいし、自然災害とかが増えると言われているのは『音』が関係しているのだと思っている。
自然災害には必ず音が聞こえる。地震が来る前には地響きが聞こえると思うし、火山の噴火もドーン! ってなる。津波もゴゴゴゴゴ・・・と音が鳴る。
こんな風に、自然災害には轟音が関わっている。絶対的に自然災害には『強い音』が関わっているからこそ、これからの時代に音は凄く重要なヒントになっていると思う。
天災が起きやすいとは、風による時代によって『神から全部丸見え時代』になっているから、天災も起きやすくなっている感じ。
音の時代とは
龍の字のなかでも『聾』と書くと、耳が聞こえないって意味になる。つまり、龍は耳が聞こえていないってことなんだけれど、龍には『声』は聞こえないんだけれど『音』は聞こえている。
私も過去に神の声を聴いたのは一度きり。その神の声も『機械音』と言ったんだけれど『音』なんだと思う。
ほかにも私がこのブログで文章を書いているときも、耳がキーンと鳴るときは、何かの忠告があるとき。何かを間違えている判断があるときは、基本的には耳がキーンって鳴る。無視すると、あとあと「やらかした。」だなんてことも多くある。
風の時代への適応が早かった人たちは、どんどんと霊の領域の音や神の領域の光に気づいてる。自分のなかがまっさらに何もなくなった人から、音や光に触れていく。
つまり、霊聴って『声』ではなく『音』でやってくる。神の声は音だし直感も音だし。全体的には『耳』が重要なヒントになってくる。
たとえば、地響きも「ゴゴゴ」って鳴ってたら普通は気づくものだけれど、気づく人と気づかない人がいる。気づきやすい人はやっぱり『耳』がいいんだと思う。それは音ではなくで『超音波』みたいな。普段ならば聞き取れない音も聞いている人たちがいる。
つまりテーマは『耳』でもある。
音の時代では『声の内容』『文章の内容』とかではなくで『話している内容に乗っかっている音』とか『文章に乗っている音』を聞いていく時代になる。
文章の中にある『音』を聞いて、その音を理解していく人たちがでてくる感じ。
つまり『内容』とか『意味』とかは、実際、あんまり深い他意はなくて「なんとなく」みたいな発言でも通じやすい時代ともいえる。
そこにある音が共鳴していたら繋がりやすいし、ふたつの音が異音になって不協和音になれば離れてしまうような。そんな時代かな。
本音の時代
風の時代でも、残るものは『精神的なものだけ』とか『視えないもの』とされている。私はみえないもののひとつに『音』としている。
音とは心のことなんだ。
心のなかに生じる音は、言語化される前の音。言語化されると私たちは嘘を吐くことができる。自分の本心とは裏腹なことを伝えたとしても、その言葉を「本当」として捉えることも出来た。
つまり、嘘の関係性も出来上がったし、本心からではない繋がりも出来上がっていた。
その嘘の繋がりと本心の繋がりの違いは『音の違い』なんだと思う。心の音がしっかりと正直に出されているものだけが『音』として処理される。
嘘の繋がりは繋がれなくなってしまう。どんなに本心を隠そうとも、自分の本心は音にある。時代的に音を重要視する時代になってしまえば、音のままに関係性が構築されていく。
たとえば、ふたりの関係性が『本心を隠したもの』であるとき、本心による繋がりが重要視されるから、本心では一緒にいたくないのにいっしょにいるのであれば、ふたりは離される。
辛い、しんどい——とか。本心では隠していると思うけれど、その音を皆は瞬時に理解して、サッと離れていく。
いっしょにいたくないと本心で思っているのであれば、いっしょにいない。無理をしていっしょにいる必要性はないってこと。つまり無理が出来なくなる時代ってイメージ。
だけれど、いっしょにいたいって本心で思っているときは、必ず結びつくようになる。
自分の人生がより「本心に従う形でしか成立しなくなる」って感じかな。だから、自分が望む人たちとしか繋がれないし、望むことしか出来なくなる。
音の時代の努力とは
今まで『努力してきた人たち』も時代的にはいたわけで、その人たちは本心に逆らってきた。そうやって技術とか、何かしらの物質的なものを手に入れてきたかもしれないな。
本心に逆らってきた人たちは、本心を今一度手に取る機会に恵まれているはず。どんどんと「本当はどうしたかったのか」の答えを手に入れていくことになる。
その本当はどうしたかったのか——の本心を手に入れるための努力を今度は強いられていきながら、その本心を暴き出されていくようなシーンも増えるかもしれない。
たとえば無理して笑っていたら「悲しい」の部分を手に取らないと、笑っている自分をビンタしてくる人がやってきたりする。
これからの努力は「自分の本心を手に取る作業」のことになってきて、自分の本心のままに生きる——というのが正解。
だから嫌いな人とは「嫌いだな」って思ってさよならするし「好きだな」って思う人とは、ちょうどいい距離感でいっしょにいられる。
わざわざ嫌いな人と一緒にいる必要性はなくて、そこにある種ひとつの「さよなら」の機会もやってくる。そうやって、本心に従うことを求められる時代になる。
前の時代だと『嫌いな人でも関わらなければならない』から、無理をして関わったりとかもしたと思うけれど、今の時代は『嫌いな人は嫌いな人』として認識する必要性がある。
つまりこれ『認識する必要性』があるだけで、別に、当人に「嫌い」と言い放つ必要性はないんだけれど、嫌いな人と一緒にいて我慢することの方が多かった人は「嫌い」とか言われたりすることも多いかもしれない。自分が嫌いという感情を抑制しているからこそ、その感情をぶつけられることも増える。
音の時代の速さ『音速』
音は早いよ。もちろん光よりも遅いけれど、音は風よりも早い。つまり精神的な心の振動数を伝える速度と、精神的な関わり合いの繋がりを判断したり、離れてくっついても音速。もちろん、光よりかは遅いけれど、風よりも早い。
雷は『光』が生じて、その後に『音』がやってくる。つまり、光を神からの啓示としたならば、それから遅れて『心』がやってくるようなイメージ。ちょっと誤差がある。
ツインレイも、当初の出会いで『雷のような衝撃』を受け射ているんじゃないかと思うんだ。もちろん、そのあと「遅れて本心」がやってくる。その本心をちゃんと受け取れているかどうかは、とてつもなく重要だったりする。
音の時代による『言霊』の重要性
風の時代のエネルギーで「もうすべてがすっからかんの丸裸です。」みたいな人がいるとして。その人たちは言霊を使い始める。
この言霊を使うには『言』にエネルギーを持たせる方法で、つまりは「有言実行」を求められるようになる。
自分がどのような人になるのか——を口に含み伝えたとき、耳に伝達されたとする。このとき『願いが聞き届けられる』わけなんだけれども、その願いを『叶える』までには心の修行が必要で。
つまり、言葉を上手く使えば、自分の人生はそれなりに自分らしく、自分の生きたい人生を進むことができるようになる。
だけれどそれは、本当に『音』である必要性があって『話す』という気軽な会話ではない。
その言葉に心が通うとき、その心に見合うものを手に入れることができる。そんな時代になっているんだ。
神はすぐそばにいて、その音はすぐに天に届けられる。まァ、ちょっと音は遅いから時差があるけれども、すぐに願いが届けられる。
だけれど『お願いごとの仕方』とかもよくわかっていないと、天には届かない。
神を犠牲者で「自分のお願い事を叶えてくれる道具」と思っている人たちのお願い事は聞き届けられない。その心のなかに風に吹きさらされるような自分がいるかぎりは届けられない。
そこに『自分』がある限りは『言霊』が使えない。だから風にさらされてしまう。本当の本心を大事にするように、その本心はどこにあるのか——を重要視される。心のままに生きるんだけれど、感情のままに生きるのとではまるで意味が違う。
言霊は『自分で自分にお願いごとをする』ようなもので、自分がどんな人生を歩みたいのかの決断をさせられる。その決断を言霊にするとき、神はその願いを聞き届けるが、代わりに「自分は自分で努力をしなければならない」こともでてくるんだけれど、その努力の結果「なりたい自分になる」ことができるようになる。
この言霊を上手く使えるようになっていくことが私たちの風の時代のひとつの目標かもしれない。
風の時代と音の時代の比較
風の時代では『情報』とか『インターネット』って言われている。
そのひとつ上の領域の音では『情報に乗っている音』『インターネットに乗っている音』が大事。耳が重要になってくる。その情報のなかにある心の音を聞き分けて、インターネットのサイトにある心の音を聞き分ける。
そこにある心の音に惹かれて結びつく。そんな関係性が生まれてくる。なんなら、相手の心の音を聞き分けているのに、その音が気に食わないとケンカが勃発するだなんてこともあるかもしれない。
大事なのは『文字列』とか『その内容の信ぴょう性』とかでもない。その人が書いた『本音の部分』が重要になってきていて、多くの情報を判断する動機が『そこに音があるのか』『そこに心があるのか』っていう考え方。
それが『本音なのか』っていう部分。
本音であればあるだけヒートする。そんな情報社会にある。大事なのはその内容の信ぴょう性じゃない、情報に乗っかっている音に人が飛びついてくるような感じ。
ただ、その本音が実際、裏腹な本音を『本心』だと思っている人たちもいるんだけれど、こっちは総すかんにあうのかもしれない。
大事なのは、そこに『心は通ってる?』ってところがテーマになってくる。
たとえば、情報をリライトしただけのサイトとかに「そこに心はあるの?」っていうと、そうでもなさそうって感じで処理される。
人の心をつかむには、自分の心をつかわなきゃいけない時代で、その心というものに多くの人が敏感になる時代がやってきた! って感じかな。
新しい時代についてを書き纏めると
新しい時代は「なりたい自分になれる時代」。だから「なるかみ」さまの時代。
でも、自分がどんな人間になりたいのか? を本心のままに認識することがなかなか難しい。自分は本当はどうしたいのか——。それが分からなくなってしまっている人が多くいる。
本心の意味は『エゴ』とか『欲求』とかではなくて、もっと純粋な感情的部分にある。
たとえば辛いことがあって「本当はこうしたかった!」みたいな本心がそこにあるとき、私たちは神へ言霊を飛ばすことができる。そのまま、神が願いをかなえてくれるけれど、それってあなたに見合うものですか? 見合わないなら少々修行が必要な模様です——みたいな話にもなる。
つまり「未来をどうするのか」を本心で理解し受け止め、どのような自分になるのか——を成立させていく機会に恵まれる。
それがもし「本当に本心ならば」、多くの願いは叶えやすいけれど、それが本当の本心とは限らないことも多い。
実は本心って奥が深いんだ。本音の部分でどのように感じているのかをしっかりと理解して受け入れていく必要性がある。その本音のままに生きる必要性があって、そのとき、私たちは言い訳すら出来ない。
言い訳や愚痴があるのは、けっきょく、自分の本音のままではないってこと。
本音のままでいいのに、本音を語らないから自分の思い通りの未来が描けなくなる。
どうしたいの、どうなりたいの? っていう問いかけに『自分の弱さ』とか。そうものも付け加えていく必要性があって、等身大の自分によって本音を探してみたらいいのかもしれない。
だから、風の時代に多くの立て直しが起きると思う。その立て直しのなかで『本音』の部分に触れることができないでいると、天災とか、争いとかに巻き込まれやすくなる。
なるべく本音の部分に触れておくことで『争い』や『災い』からは遠ざけられる時代。
でもさ、本音ってマジで難しい。けっきょく、風によってすべてに自分だと思っていたものが丸裸にされてしまう経緯をちゃんと受け入れていかなければ『本音』を探すことは出来ない。
すべてはあなたの本音のままに世界が構成されている。その本音は『あなたの環境』にあるから、その環境をよく見て観察してみれば、少しずつ組み替えることは可能だと思う。