報告|ツインレイの相手を自立した存在として受け入れること
自立した関係性にも色々あるのだなと思いました。
まず『自分が自立すること』を成立させたあと、『相手を自立した存在として認識すること』がやってくるみたいです。
自分が自分として自立をすると『自分がやりたいこと』へ突き進むことが出来るようになっていきます。そこに理由や言い訳もありませんし、ただ「やりたいからやっている」という動機のみで行動することが出来るようになる感覚がします。
そして、自分が自分として自立が出来ていると「相手を自立した存在として認識する」ようになり、ここで『関係性の課題』がでてくるように思いました。
関係性とは『自立』と『自立』の両軸により構築されますので、自分というものが存在している人は特に『相手を自立させていく』『相手をひとりの人間として認識する』ようになるかと思います。
つまり、自分への依存は許さない——ということですね。
自分へ何かしら弱みに付け込むことも許しませんし、自分に対して甘えてくることも許しません。
自分への依存を許さないとは『相手をひとりの人間として現実的に処理していくこと』なのだと思います。
相手を自立した存在として認めるとは『相手の行動は相手が決めている』ことを認めることです。
相手もイイ大人なので「ツインレイだからこのように行動している」等のことでもなく、単純に「自分からの影響はゼロとして捉え、相手は自分がしたいように行動していることを認める」ということです。
たとえば、ツインレイの彼が私を無視し続けた経緯につきましても「彼がそうしたらそうしていることを受け入れる」ということです。相手がどのような行動をとろうが、その行動による結果を当人が背負います。
もし、私を無視し続けた結果にいかなる結果となろうが、彼はそれを受け入れる——ということです。
たとえば、相手へ影響を及ぼしたとしても、影響を受けた内容を受け取るかどうかは当人が決めていますし、もし、誰かのブログを読んで「嫌な気分になった」としても、自分で嫌な気分になった行動をとったのは自分なので自己責任です。相手をとがめることは出来ません。
自分の行動を自分で決めていくことは当たり前でもありますが、同時に相手の行動は相手が自分で決定している——ということを認めていく必要性があるのだなと思いました。
スピリチュアル的に解釈していくのであれば、これは『連動を断ち切ること』でもあります。
相手と自分が何かしらの連動をしているとき、私たちは自立することが出来ていません。お互いがお互いへ無自覚なる影響を及ぼし、その影響を受け取ってしまっている——ということ。
この影響を受け取ったとしても、それは自己責任です。自分が受け取っている状態にあり、その行動をとったのも自分なのですから。
ツインレイに関しましても、連動します。多くの連動が生まれますが、その連動は「影響を及ぼし合っていること」に意味があり、その影響がツインレイを『ツインレイにしている』のではないかと感じます。
しかし、私たちは自立していく。
自立していくとき、私たちは連動しなくなるのだと思います。
共通要項も無くなるかもしれませんし、シンクロニティーをも失います。影響を持たなくなるので。そして受けたい影響だけを受け取ることが出来るようになっていく。
連動が立ち切れていくと、ツインレイの相手が自分へ影響を及ぼしたものすべてが消えていき、同時に相手と自分の関係性が連動しなくても、関われるようになっていくかと思います。
私たちは『同じ』であることにこだわりがあるのかもしれませんが、ツインレイの相手は『同じ』ではありません。その事実を認め受け入れることが『相手が自立した存在であることを認めること』でもあります。
認めてみると、私たちはようやく対等な関係性へとなることができます。
私たちが対等になるとき、相手の行動の責任はすべて相手が背負い、自分の行動の責任はすべて自分が背負います。発言においてもそうですね。
すべてにおいて『自己責任』となります。その責任を押しつける側と、押し付けられる側により構成されていた関係性も終わりを見つけることが出来るようになっていくかと思います。
ツインレイのふたりは『まったく違う人生』になるかと思います。連動もしません。
しかし、本質に気づくことが出来ているかと思います。
まったく違う人生でも、いっしょに過ごすことやいっしょにいることは出来ます。重要なのは『相性』なのではないでしょうか。
そして、私たちがどれだけの歩み寄りをみせるかどうかの話し合いにより、関係性は構築されていきます。
私たちは「相手に歩み寄りたいと思う人」といっしょに生きていきたいと思います。
歩み寄れない人や歩み寄りたくないと思う人もいます。
歩み寄りたいと思う人は、必ず自立していると思います。お互いがお互いにどこで影響を及ぼすのかを自分で決定し、自分で責任をとっていきます。自分で自分が成立しているからこそ、歩み寄る場所があります。
自立していない人は『歩み寄る場所』がありません。自立が成立していないからこそ歩み寄れないのです。
もし歩み寄ってもらえたとき、私たちは感謝の気持ちを感じるかと思います。
自立した関係性とは「歩み寄り」にあるのだと思います。相性も重要ではありますが、相性が悪い相手だと、もし、どこかの占いででたとしても「歩み寄り」がどれぐらいできるのか? によって違うのだと思います。
自立した関係性は、私たちを二倍、三倍にも大きく広げていきます。相手の世界を少しずつ取り入れ、自分の世界を拡大していきます。この世界の拡大も搾取ではありません。
自分を維持し、自立することが相手を自立させることにも繋がっていきます。
これは、投影をやめることでもあります。
誰かのなかに自分を見つけないことでもあり、ツインレイの相手を誰かのなかに見つけないことでもあります。