報告|精神的自立が終わった件と、彼は逃げたわけじゃないって話。

2024年10月3日

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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大人の自分と子供の自分がそれぞれ統合された結果。

大人の自分は『子離れする』ことになって、子供の自分は『親離れ』することになった。

このふたつは愛の循環により成立していたんだけれど、もう「愛される必要性」も「愛する必要性」もなくなったので、愛は必要がなくなった。

これが『精神的自立』だった。愛は子供が持つ幻想世界で、自立した大人に愛は必要がない。

これが理解できたら、次に、彼は逃げたわけじゃないってことが理解できる。

彼との音信は途絶えたままではあるんだが、あのとき、彼は「何かから逃げた」ために、音信が途絶えたわけではない。

私が今、精神的に自立しようとしているように。彼も経済的自立しようとしていた。

向き合ったんだと思う。

 

元々私は精神的に自立していたし、彼も経済的に自立していた。

だけれど、ツインレイの出会いによって、私は彼の精神的に自立していない部分を請け負い、彼は私の経済的に自立していない部分を引き受けた。

私はまるで経済的に自立が出来ていない人なんだが、彼は私との出会いで実家に引きずるように連れ戻された。

私は彼との出会いで、どんどん精神的に自立ができない人になっていった。

たぶん、私が出来ていないことを彼が克服し、彼が出来ていないことを私が克服した。

そうすることで、お互いが背負っている課題を終わらせたのかなと思った。

半分しかこなせなかったというか、未熟なもので(´・ω・`)・・・

でも中途半端にしなかったから、最後の最後に自立までたどり着けたんだと思う。

つまり誰が課題をやろうが、正直なところ、あんまり関係がないというか。誰が何しようが、この世では「誰かがやればいい」わけで、それが「誰なのか」はあんまり関係がない。

私のレイキも人の感情やトラウマを私が代理で背負って処理しているけれど、それもやっぱり「誰がやればいいのか」についてはどうでもいいのだと思われる。出来る人がやれば良くて、出来ない人は出来ないでも全然いい。

出来る人が二倍に背負えるのであれば、二倍せおっても全然問題なし。

私は経済的自立が出来ないし、彼は精神的自立が出来ない。

できないっていうか、そういう課題の克服をすることが苦手。苦手ならば得意な方がやればいいって話だったんだと思われる。

経済的自立ですか、興味すら湧きませんって感じかな。

彼も共感できない人だからね。精神的な部分に興味がないのかも。

お互いに「できないことはできない」って認める必要性があったと思う。

代わりに私は精神的自立を二度経験し、男性バージョンと女性バージョンで行っている。彼は経済的自立を二度経験し、男女のバージョンの両方を経験する。

これによって自分自身のなかに両性性を構築しているみたい。

つまり、男性が経済担当、女性が精神担当ではなくて、経済的自立にも男女の概念があり、精神的自立にも男女の概念があるということ。そうすると両性性が成立する。

 

この自立の段階に差し掛かるには「相手のすべてを受け入れること」に意味がある。

私の場合は、彼の心の傷を全て受け入れる。

彼の場合は、私のお金の問題を受け入れる。

つまり、私は彼の心を全て責任をとり、彼は私の経済のすべての責任をとることにしたんだと思う。

それは私が自分の心の全責任をとっていて、彼が自分の経済の全責任をとっている人だったから出来た。

そうしたら、本当に相手のものまでとらされた。自立が出来ていない人間に逆戻りさせられて、真逆の性別の自立を求められてくる状態になる。

 

だから、私は彼として精神的自立を目指し、彼は私として経済的自立を目指したのだと思われる。

これは別に逃げたわけじゃない。逃げたように見えるかもしれないんだけれど、逃げたってよりも、自立の為に戦いに勇み出てきたようなものではないかと思われる。

逃げる——とは。逃げるとは、自立以外のことにかまけることなのだと思われる。

現実的には逃げたようにみえるけれど、自立しようとしている姿は、それは逃げではないと思われる。

自立できていない段階で結婚なんて出来ない。責任感があればあるだけ、自立できていないなって状態では出来ない。

で。元々、自立できていない状態から自立していた段階にまで持ち上がってきていた人たちにとって「できている」「できていない」って明確にわかるものであって、天から地に堕ちたら、天に戻そうとするものなんじゃないかなと思う。

出来ていない状態ならば、出来ている状態に戻そうと思う。

 

逃げたわけじゃない。彼も私も、逃げたわけじゃない。

ただ、向き合った。自分が何をするべきなのかに注目し、自分がするべきことをしようとした。

そのとき、お互いがお互いの足引っ張りになる。まずは自分だった。

自分がなんとかなってなきゃ相手を何とかしようだなんてことはできない。

だから、先ずは自分だった。

これは逃げたわけじゃないと思う。向き合ったんだと思う。

向き合ったとき、それは私と彼ではなくて、私は彼の問題と、彼は私の問題と向き合った。

だからサイレントっていうか、離別だったんだなって思った。

でも、それは私の問題だし、彼の問題でもある。なんか、投影なんだよね。けっきょく、本当に問題をひっくり返したのかっていうと、違くて。ただ、投影がなされて、浮き彫りになった半分を終わらせなくてはならなくなった。

両性性へ進むために、自立は片方の軸だけでは困るから。