ツインレイの人生と男女の陰陽図の構成(ツインレイが両性性へと進むこと)

2024年8月27日

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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ツインレイって『両性』においての精神性の獲得の話のようである。基本となるリサさんが書いている文書に書かれていたんだが、今までチェックしていなかった。

私が彼を『抱きたい』と思って、自分にちんちんがないことに残念に思い。自分の性別が男なんじゃないか——みたいな感覚から、彼を抱きたいのと、彼に抱かれたいのと、何がなんだかわからねえんだが、彼くんがくっそ可愛くて抱きたいって思う本能が自分のなかでぐちゃぐちゃしていた記憶がある。

彼に「彼くんが女の子でも大好きだよ。」と言ったように。彼は呼応するように「どんななとちゃも受け入れるよ。」と言ってくれたように。特に性別が男の子でも気にしないでくれていた。私は私だということだ。

これがツインレイのことなのかもしれない。

そして、このふたりが『現実性』がないのも、それはひとつの事実なんだと思う。だって、ツインレイは魂の話であり、精神領域の話であり、また、それを『現実』にまで起こすのには現実での辻褄性を必要とする。

図の説明:ツインレイの性別によるステージ展開

同性性の成立となるツインレイは、地上のツインレイとする。このとき、自分のなかに『同性性(自分の性別)』を成立させることになる。

しかし、この同性性を獲得するまでは『無性』とする。つまり、自分の性別を持っていない状態を意味する。ようやく、地上のツインレイにて『自分の性別』を獲得するのである。

その後、両性性へとなるため、自分のなかにある性別を『異性性』へと切り替えていく。このとき、性別が『両性』もとい『異性性』という状態になりやすく、自分の性別はさておかれている状態になる。

楽園のツインレイと出会うとき、私たちは『異性性』を獲得する。相手に対しての想いは『異性としての自分により認識される』ことにより、自分のなかでこみあげてくる想いは異性としての自分による想いである。

この想いを手に取っているために、私は『男性的』でもあるのだが、サイレント期間に入っていくとき、私たちは『異性性の自分』が成立している。

この異性性の自分を持っているがゆえに、サイレント期間の間の出会いは『同性』ばかりとなる。同性ばかりの相手と地上のツインレイと同じようなステージを進ませていくことになる。

そして、そのステージにおいての見解である。

図の説明:人生における陰陽図

地上のツインレイの段階と、楽園のツインレイのサイレント期間に生じる地上のツインレイと同質の経験をイコールで結ぶとき、このような構造が生まれる。また、これは私が女性だからこそ、このようなステージ展開をしている。

地上のツインレイの最終的には『両性への移行』が始まる故、そこから地上のツインレイに女性として見られなくなる必要性がある。

楽園のツインレイでは、自分の性別が異性に思われ、両性的な視点を得る必要性がある。

サイレント期間の地上のツインレイと同質による経験では、同性の人に男性と思われる必要性がある。その後、最終的に『男』というカタチで成立するとき、男性には女性として思われない必要性がある。なぜならば、我等はすでに男性性の性質を獲得しているためにある。

また、楽園のサイレント期間にける男性のステージでは、ツインレイの相手による気質をとりこみ、その気質によるステージ展開をしていく。

ツインレイのふたりは先ず『地上のツインレイ』を経験し、自分の性別による恋愛を終わらせておく必要性がある。その後、性別を両性(というか、男性)へと切り替えていく必要性があるのである。

図の説明:楽園ノツインレイの期間の性別の件

楽園のツインレイの期間では『異性性』を育てることに意味がある。

異性性とは「ツインレイの相手の気質を内包すること」に意味があるため、自身がなぜかツインレイの相手のように感じられ、ツインレイの相手の感覚を理解することになる。

たとえば、私がこのブログを書き始める前まではここまで哲学的ではなかったわけなんだが、彼がとてつもなく哲学的だったからこそ、このブログが哲学や理論に溢れてしまったともいえる。

ツインレイの相手が育ててきた気質を、私たちは手に入れることができる。その気質を受け入れ、そして、相手になることで私たちは自身のなかに異性性を育てることになる。

ツインレイの相手と出会い、ツインレイの相手に「育てられるような感覚」がする。子供の自分がツインレイの相手に育てられ、愛され。そのようにして、私たちは私たちのなかに「ツインレイの相手の性別による人格」を育てていくことになる。

最終的に、ツインレイの相手による性別の人格が成立しきったとき、私たちは自身を『両性性』として認識することが出来るようになる。

 

つまり、ツインレイは、自身のなかに人格が「男性と女性」として、二個保有されることを意味する。

すくなかず、楽園のツインレイのサイレント期間には「異性的」であるがゆえに、特に何かしらのお色気シーンなどは認めることができない。

 

また地上のツインレイの経験や、地上のツインレイに対しての対応などがツインレイの相手へ向かうことになる。

たとえば、地上のサイレント期間に他の誰かとお付き合いするとか。別に付き合っているわけではない期間であったとしても、ほかの誰かと結ばれたりなどがあれば、ツインレイの相手は他の誰かとお付き合いしたりなどがあると思われる。

つまり、地上のツインレイの期間に、あなたがどのように生き、どのように存在していたのか。

そのすべてが『楽園のツインレイのサイレント期間』に対応されることになる。相手はまるで自分のままとなるだろう。

たぶん、類似する関係性のある記事はこちらである。

地上のツインレイの段階では、サイレント終了後、再会、そして別離へと進むとき『女性としての自我』が成立する。

そして、楽園のツインレイの段階では、サイレント期間中に『男性としての自我』が成立する。

こたび、私は「恐怖の克服」をしているのだが、その恐怖の克服後『自我』が成立している。どのように男性が現実化するのかを知った。それが法律だとか、そういった社会性を持っているものだったのだな、と。(従来の私には考えられないことである。)

いわゆる、女性としての自我と、男性としての自我はまるで違う——ということ。

そして、この両方の自我を成立させることで『女性サイドからの現実化』と『男性サイドからの現実化』という両性具有性のある自我意識を齎すことが出来るようになる。

 

ツインレイの結合のタイミングでは、こみあげてくる傷ついたツインレイの相手の心がやってくる。

その心を受けとるとき、そこには『異性としての怒り』が入っている。

その怒りに対して、自分自身が超自我的に抑圧することにより、怒りをコントロールするための『現実化という自我』が必要となる。

いわば、ツインレイの結合とは、異性性による現実化ともいえるのだが、ツインレイの結合そのものは『自分のことのように腹を立てているツインレイの怒り』を受け取ることでもある。

ツインレイ女性を怒らせるとき、ツインレイ男性も怒っているということ。

てめー、うちのかわい子ちゃんになにしてくれとるねんーってこと。

女性としての対処もあるが、それが男性的な対処をとることが出来るようにもなるとき、私たちは、自身のなかにツインレイ男性による自我意識を発生させ、その自我によりツインレイ男性がツインレイ女性を守る——ということになる。

つまり、ツインレイ女性側からすれば「なんかしらんが、彼くんが守ってくれている。彼くんが頑張れって言ってる。彼くんがどうしたらいいのかを教えてくれている。彼くんが背中を押してくれている。前進しようっていっしょに生きてくれている」みたいな感覚がこみあげてくる。

いかなきゃ、って感じる。

ツインレイの相手が応援してくれている自分を信じればいいだけ。そして、前進すればいいだけ。

やり方は全部ツインレイの相手に従えばいいだけ。

それが『ツインレイ女性の現実化』みたいなところがある。

たぶん、ツインレイ男性は「精神化」をさせていると思われる、しらんがな。たぶんやで。