私が一年間レイキをやり続けたって話。
私は一年間、一日三時間以上。長いと八時間近くレイキを自分に当て続けていました。
レイキの本来の姿は『レイキのエネルギーをあてること』にあるのですが、私自身は精神の探求のために使っています。
昔の自分を繰り返して知ることで、私はより私を知ることが出来た。そんな感じでしょうか。
レイキのエネルギーを当てるとき、たいてい「ぼーっとする」ことにありますが、私はアニメを見ながら当てていました。
アニメもシーズンを一日でみたりもしますから、その間はずーっとレイキを当て続ける。
なんなら途中で、どんなにアニメがいいシーンに差し掛かっても、レイキが「寝ろ」と言わんばかりのリラックスモードにはいるならば、そのままアニメを放ったらかして寝ていました。
1時間ほどで帰ってくる(目が覚めるというよりも意識が帰ってきます)のですが、アニメはもうよくわからない状態になってたりもするから、もう一度、おなじ話数をみたりとか。
とにかく、アニメ見ながらもレイキは可能で、ずーっとアニメ見ながら一年間を過ごしました。
アニメで全く感動しないシーンで号泣してたりもするし、自分の中の誰かが話しかけてきたら、アニメよりも自分を優先する。
つまり、私は一年間アニメを毎晩見続けてたって話でもあるんだけれども。
レイキのエネルギーを当て続けていると、嫌でも涙が出てくるし、自分の感情が込み上げてくる。
ただ、当ててるだけなのに。
あるときから、自分から感情をさぐれるようになって、このときからレイキの提供と共に、みんなの感情をホイホイとさぐれるようにもなりました。
ちなみにレイキのシンボルってやつがあるんですが、エネルギーの質を変えていくシンボルなんですね。
こっちについては通年、使ったのは二十回も使っておりません。
エネルギーの変換をシンボルによって切り替える作業も、特にシンボルを描かずにも出来るようになりますし、誰かと一体化するにもシンボルは使わずとも同一化が出来るようになる。
なんなら、自分で新しいエネルギーを作り出すことも出来ます。
私がよく使ったのは『許しのエネルギー』とか出していました。
許してもらいたい、許せない。そんなときに応じて使いますが『許し』とか思ってると、エネルギーの質が変わるんですよね。
え。エネルギーって自分で作れるんだ。
新しい発見でもありました。
レイキのエネルギーの中身を私の『許し』っていうフィルターをかけてだしていくので、レイキのなかにある許しエネルギーだけを取り出しているだけになりますが、これ、シンボルと同じ仕組みなんですよね。
つまりなんですが、レイキのシンボルも自分で作れるってことなんですよね。
マジ、面白い。爆
レイキのエネルギーのなかにあるエネルギーにフィルターをかけてみたり、質を変えたり、量を変えたり。
色々できます。
分離人格さんなども、手でペチョッとくっつけて引っ張り出してきます。
引っ張り出せないときはしばらくレイキを当てて待つと出てきてくれます。
この分離が明確にできている人格さんの多くは、手でペチョッてくっつけて引っ張り出して、その分離人格に私がなってレイキをしていくんですが、この手でペチョッとくっつく感覚が面白い。爆
これもまた別のエネルギーを作って引っ張ってると思うんですが、ペチョッってくっつきます。
誰かを遠隔でレイキさせてもらってるときの感覚もなかなかなもので、私が誰かのレイキ中に自分のことを考えてるときはヒーリーが自分に集中ができていません。
逆に私がヒーリーに集中できるとき、誰かのことで頭がいっぱいになったりしていない方ですね。
他にもレイキ中に『私へ』言葉をくれる無意識さんとかもいて、そういうときは、ものすごく嬉しいですね( * ´▿` * )
たまーにあります。
他にも遠隔中、私は絶対的に悪さが出来ないんですよね。
どんなに嫌いな人でも、遠隔でレイキするとヒーリーになっています。他人の中で私は自分を保てません。
ゆえに精神構造で『絶対的なルール』があることに気づきました。
人って絶対的に自分を悪いようにしたいとは思っていない。
つまりなんですが、どんなに自己卑下したり、自虐的な人生や自己犠牲的な人生を送っている人だったとしても、精神内では『自分を悪いようにはしない』です。
例えば、わざわざ憎しみのエネルギーを出してみたりとかも絶対的にないし、自分を憎む意識もない。
改善しようとは思うけれど、悪い方にしようとは絶対的にありません。
これはまさに『自分を愛している』ってことなんだと思います。
人は皆、無意識層では自分を愛しているんですが、意識ではなかなかそれを受け取れません。何故ならば、私たちが肉体を持って生きているから。
もし、肉体がなくて生きていないのであれば、私たちは自分を愛していることを受け取れている存在なんだと思います。
常に無意識さんは『自分を愛している』んです。
これは個人的にはすごい発見でした。
みんな自分を愛していますが、肉体を持つ側にたつだけで自分を愛せなくなる。
肉体があって、他人がいるから。
つまり意識側で愛情深い人って無意識側ではズタボロなんですよ。
他人を愛している分だけ自分が愛せない。これが二元性のルールなんですが、自分が愛せていないっていう意識がエゴなんですよね。
無意識さんはいつも自分を愛しているからですね。
じゃあエゴって何? っていうと、無自覚にも意識的でもいいんですが、誰かを愛してきたっていう傷ついた心ってことになる。
じゃあ、その傷を癒したらどうなるのか。
エゴが手放されていくんです。無意識さんはちゃんと自分を愛しているってことに気づいていくから。
めちゃくちゃ面白いシステムだなと思います。
ツインレイでも『浄化』っていう期間があると思いますし、エゴの手放しとかもあると思うんですけれど、単純に『無意識さんは常に自分を愛している』ってことに気づいていくってことだけだったりする。
だから私がやっているのは『エゴの手放し』ってことでもあるし、『無意識さんが自分を愛したい部分を活性化させる』ことでもあります。
つまり無意識さんの愛を受け取ろう。そんなことでもあります。
でも無意識さんの愛が何かを受け取るのはなかなか難しい。それはエゴがあるからなんですよね。傷ついたハートがエゴで、傷ついたままじゃ愛は受け取れないんですよ・・・・・・。
愛が何かがわからないし、愛されていることにも懐疑的で誰からの愛も受け取れないんですよ。
ツインレイにメロメロに愛されるって話もあるけれど、そもそもメロメロに愛されてても、傷ついたハートだと「嫌なことされた」っていう方へ認識したりする。
愛が嫌がらせにしか感じられないんですよ・・・・・・
メロメロに愛されてるとかも、ズタズタに傷つけられたとしか認識されません。誤解にしたって最悪だよね。
だからエゴを手放さそう、つまり自分のハートを癒していきましょうって話になっている。
レイキって体調を治すとか。神秘的な能力とも感じられるけれど、私自身は「無意識さんとの対話」に使ってて、無意識さんがどうして欲しいのかを受け取れるツールだと思っています。
というか、そういう使い方が一方でできる。
エネルギーを理解したりするのも、一年間もやり続ければ、それなりにわかります。
結局はやり続けるしかないんですけれど、やり続けた結果に、ちゃんと結果はついてくると思います。
ただ、この期間。個人的には「力の見せびらかしの為に」という気持ちは、よろしくないなと思っています。
人にレイキで何とかしてあげたいって思う気持ちも、またエゴであり。もし、そんなエゴがあるならば、人知れずこっそり内緒でやるべきだと思いました。
レイキはすごいエネルギーなんだ。それはもうレイキをやっている人ならば皆わかってはず。
それが一番に自分が信じられていないと、誰かに自慢したくなる能力だなとも思いました。
創始者になる臼井先生も、病気を治しても、同じ病気になって人が戻ってくる、心をちゃんと保たねば――ということも遺していらっしゃる。
人間性の問題ってことだと思う。
レイキをやるって、人が人である為に、自分はどうあるべきなのか――という探求でもあるように思います。
どうすることが正しいのかが分からなければ、その心の間違いにすら気づきません。自分のエゴに、自分の心の傷付きに気づきません。
こういうことも、探求なのだろうなと思っています。
多くのレイキヒーラーさんがいらっしゃいますが、レイキのエネルギーは変わりません。爆
どんなにクズみたいな人間性でもレイキの質は変わりません。レイキの力を信じていようが、信じていなかろうがレイキのエネルギーが変動することはありません。
だけれど、レイキヒーラーさんの性根というものが臼井先生に近ければ近いほど、力を本質的に理解が出来て、使いこなすことが出来るのだと思います。
レイキの量が変わると言われていますが、目指したいですね≡⊂( ^-^)⊃
レイキをフル活用してピカピカのなとりになって、レイキを全力で放出してみる。
自分の弱さと傷に向き合い、つるつるハートになってピカピカに輝くんだァ・・・・・・( ≖ᢦ≖)
そしてフルパワーのハンドパワーを手に入れる。
なんの為にかは不明です。
私は過程が好きなので、ハンドパワーを手に入れる過程を楽しみたいのだと思います。
そして考えたい、自分についてを。