音の恐怖をレイキする——聴覚過敏の副人格が音にビビってた。

| Ⓒ なとり

sponsor link

ツインレイステージまとめ

私のステージが進むごとに更新していくステージをひとつの記事にして販売しています。


さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

kindleの読み放題Kindle Unlimited30日間の無料体験』では、ほかの三冊も同時に読み放題


その日は朝から、人の声が不快だった。不調だった、身体がだるいし、熱っぽい。動けない。

連日のレイキでトラウマ解除は甚だしい。人格が統合されるたびに人格が背負っている問題が体の中に戻ってきて、そのなかに入り込んでいるトラウマを受け入れていく作業を続けている。

私の場合は筋肉痛が激しくなる。身体がだるいのではなく、筋肉痛のような状態となる。だけれど、それはリラックスもしているし、違和感のある肉体になる。けれど、本来はこれが普通なのではないかと思われる。

体を引きずりながらソファーで横たえていたのだが、その日の朝から人の声が不調だったし、日中はひとりで過ごしたけれど、夕方、姉から母へかかってきた電話で一気に聴覚過敏がお出ましとなった。

姉の声、母の声。ヤバい、脳に突き刺さるが如くにシンドくてイライラする。

あまり人の声にイライラするような感覚をもっているタイプではなかった。あるとしたならば、食器がカチャカチャと洗う音が苦手。あきらかに聴覚過敏がでる時間帯も決まっているようで、夕方6時~7時に起きる。

しかし、その日の私の聴覚過敏は激しく人の声に反応をした。

レイキを充ててみたんだが、その場でやっても意味もなし。軽いパニックを起こしたかのように驚き続けている私は、逃げ込むようにお風呂へ入った。

お風呂につかり、ふぅと息を吐く間もなく頭のなかで「うわァアアア!」と叫び声があがる。肩までお湯につかり、目をつむり、トラウマを認識する。

何か私にあったんだろうな——、と。私の脳裏には耳をふさいで縮こまっている私が視えた。

 

お風呂からでてくると、聴覚過敏がデフォルトとなっていた。

違った。本来の自分が持つ聴覚に戻っていた。これが『普通』なのだと理解した。

解離していたのである。私は「聞こえない」状態に解離していた。

なぜか、人の声は半分程度にしか聞こえておらず、人の話も半分程度にしか聞いていないぐらいにしか常に解離させていたようである。

聞こえていない部分を繋げてみると、そりゃ『全部聞こえる』わけで、ものすごい音が大きく聞こえ、それがストレスに感じられる。聞こえていないものがある日突然聞こえたら「!?」ってなる感覚で、それは脅迫的に感じられる。

聞こえていることに耐えられていなかったみたいで、音に強迫観念を持っていたようである。

音が怖いのだ。

音が怖くて、私は「聞こえているものを遮断させている」ようだった。そのなかでも、人から発せられるものは集中中はほとんど遮断していたみたいで、認識が出来ていないようだった。

この解離人格が原因で『聴覚過敏』という状態になってしまうことがあるみたい。

 

トラウマが認識され、今は着実に統合されつつあるんだが、まだおっかなびっくりのような状態が続いている。

音が聞こえるのである・・・・・。

テレビを見ているとき、横から話しかけられれば、話の内容を理解することはなかった。だけれど「話している内容が分かる」状態になり。パソコンで文字打ちをしている今も遠くで電車が走っている音が聞こえる。

今まで気にもしなかったことが気になり、頭のなかでふたつのことに関する処理が出来るようになっている。

 

つまりなんだが『自分の作業』と『外部の音』または『他人の話』が一度に処理できるようになった。スロットが二個になっている。

 

すべての音が入ってくる感覚。これが私のなかでは正常であり通常である。これが私の『普通』というものなのだと理解した。

子供の頃に「すべての音が入ってくることによって聞きたくないものまで聞こえていた」ということでもある。それら、聞きたくないことまで聞こえているから、自分のことに集中ができないのは当たり前だし、人のことが気になるのは当たり前。

何か外部から入ってくる音を遮断して自分に集中することも出来ないから、音に対して『恐怖心』を抱いたとき、私は解離させたのだと思われる。

なるほど、音が怖かったんだな。

 

今朝、空気圧の影響でドアが一気に閉まって驚いた。

身体が「ビクッ」と反応はしたけれど、心までドキドキはしなかった。

恐怖は感じられなかった。今までは音が怖かった。音が怖いのもトラウマだったんだな。

 

 

も、もしかして。

これは、私が『自分のこと』と『他人のこと』をやってきたからこそ、頭のなかに同時進行のスロットが出来上がったのかもしれない。

人って適応能力高いもんね。確かに人のことをも含めてやるには、頭の中のスロットを2個にすれば時短可能だもんね。

 

恐怖からすべてを聞くことを止めるというか。だけれど、恐怖を除去すると「全部聞こえる」ようになるんだと思う。

私の場合、テレビの音を聞きたくなかった人かな。

色々と観たくないものもあるし、聞きたくないものもある。子供の頃から恐怖が強かったのもあって怖いものは観たくもなければ聞きたくもないのである。

このときに解離させたような気がしている。人の話し声が嫌だった、話す内容を聞きたくなかった。

テレビのニュースの内容を頭のなかで理解したくなかった。怖いニュースも聞きたくないし、怖いドラマも聞きたくない。

それは頭のなかで恐怖を連想させるものに耐えられなかったみたい。

恐怖は理解の先に合った。理解することが怖かった。

だから私は耳からの学習能力がケタ外れて低かったかもしれない。学校の授業、先生の話はよく聞いているが、よくわからない状態になっていたと思われる。理解に対しても恐怖があったから。だから私は読んでいた。

 

人の話は聞こえているけれど、聞こえていない状態へ解離。

同時に、解離は聴覚過敏を生み出した。