人格統合(自己統合)の領域を終わらせていきます。
私が導きだした自己統合とは自分のなかに存在している複数の人格たちを統合していく作業であり、自分のなかにいる人格たちを癒していく必要性があったんだなと思いました。
完全に『トラウマ治療』『PTSD』『トランス状態』みたいな治療タイムが自己統合でした。
その手本のようにいてくれた存在が伊藤さん(人格統合の本の著書)ってことになりますね。
この方が自己統合の導き手として存在してくれていました。
昔に読んでいましたが、当時はわかったようなわかっていなかったような・・・・・・って感じでしたが、今はばっちり理解ができる。
今はある程度の自己統合が終わったのだと思います。
自己統合も完全にはなかなか到達するのは時間がかかります。
私自身もまだまだこれから自己統合は続けていく予定ですが、この領域にどっぷりハマるというのも違くなってきました。
朝から晩までがレイキをあてる100%の自己統合をするような一日を昨日、送りました。
今日も起きたら自己統合のレイキ。
つまりほとんどの生活が自己統合となり、私は自己統合を全肯定しました。行動により、私は自己統合を肯定しきったのだと思います。
昨晩はクリフォトの樹という投影同一視を自己統合をしました。
ふと、これで終わりかな? と予感しました。
そして、今日は「あなたの存在に助けられた」という母の意識を浄化しました。
自己統合をする経緯を私はほとんど――実はここにも記載しきれていないトラウマの解消したものなどが結構あります――をここに書き記しました。
きっと自己統合をしたいと思っている人たちの助けになるのではないかと思います。
私は『存在で誰かの助けになる』ことを無自覚にも望んでいました。
私はブロガーという私の存在で『助けたい』という思いがあったようでした。
自己統合は特にどうしたらいいのかが分からないことだと思います。私自身も何を言われているのかがさっぱりわかりませんでした。
自分と向き合えと言われても、今まで自分と向き合ったことがない人に指南ひとつもつけずに「やれ」という暴挙。
私は自己統合を探らなければならなくなりました。
私はこうやったよっていう記録だけでも遺して置くことは、どんな副人格がいるのかなどの気づきに近づけたらいいなと思ったのです。
これは私という書くことが生活の一部だからこそできる私というブロガーの存在により誰かを助けたかったという気持ちでした。
でも、もう助けなくていいんだなって思いました。
私はこれから自己統合をしなくなるわけではありません。
これからも自己統合はトラウマが見つかる限り、解除していくと思います。
だけれど、今、必要な自己統合が全部終わったのだと思います。
なんとなく伊藤さんの本が私からすると波長がズレてきたように興味が向かなくなりました。
もう自己統合は必要な分が終わり、私はこの領域を抜けていかなければ――と感じています。
ここにはもういちゃいけないんだなーって。
自己統合領域から抜け出して次の領域へと進んでいかなければならないというか。
それは自己統合を全肯定したからだと思います。
私はこれから自己統合の必要のない、自己統合の全否定の世界へ進んで行きたいと思います。
なんだか胸がいっぱい。
ありがとうございました。