レイキの伝授を受けた自分への感謝が込み上げてくる。自己信頼の構築。

Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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元々レイキに全く興味のなかった畑違いの私がレイキを伝授してもらい、ここまでずーっと自己ヒーリングし続けてきた。
正直なところ、今んとこ、そんなにレイキのお客さんもいなくて、商売人としては閑古鳥が鳴いている。
あ、常連さんはずーっと通ってくれてて本当に嬉しい(´;ω;`)ウッ…
それでも本来ならば、ここぞとばかりにアピールしまくって宣伝しないといけないと思うんだ。
でも、全くやらない。あんまりにも客足が少ないことに興味が無い。
なじぇ? そう思った。
全然、お客さんが来てくれててもいいし、でも、来なくても全然いいみたいな感じかな(;’ω’∩)
したらば、気づいた。
私、レイキの伝授を買ったのは、自己ヒーリングのためなんだなって。
自分の為にレイキを習ったっていうか。人の為にこのエネルギー療法の伝授を受けたわけではない。
ここにあるのは動機。
私が私をレイキヒーリングするために、レイキを習った。そして私は約一年半に渡り、自己ヒーリングを毎日しまくり、エネルギー療法そつつ、自己カウンセリングをしまくったわけである。
私はおかげで地獄を抜けた。
そのことに気づいたら、過去の自分に感謝が込み上げてくるのだ。
あの時、自分の為にレイキの伝授を受けてくれてありがとう(´;ω;`)ウッ…
私は私に感謝している。あのときの決断が今の私を形成している。
未来の私のために、あのとき、自己投資をしたのだ。それがちゃんと実を結び、今の私は最高にハッピーである。
過去の私がいてこそ、今の私がいるんだ!
そして、あのときの自己投資と、それから動機。その結果が実を結び、その結果が『今の私』なのである。
あのとき決断した過去の私よ、マジ、サンキュー(´;ω;`)ウッ…私の人生の救いの神。
正直、あのとき、彼と決別したことは、本当に大きなショックだった。でも、レイキに出会い、自分を地獄から救い出すためには彼との離別が欠かせないトリガーだった。
あのときの私にも「離れるんだ、このままじゃいけない」って強く感じた。
この言葉を囁いた私も救いの神だったのかもしれない(´;ω;`)ウッ…
そして自分の中に強い欲求があることにも気づいた。
『人のためにありたい』
私はレイキを自己ヒーリングのために伝授を受けた。
でも、同じ分だけ、人にも純粋に還元したいって思っている自分がいる。
人のためにありたい。
この欲求が募りに募りすぎてひっくり返ったのだと思われる。
よって、自分のためにレイキを伝授してもらう。
で、今回、自分の為に自己ヒーリングができている。やれている。受け取れている。自分に感謝ができると同時に、人にもヒーリングをすることを受け入れていく。
つまりなんだが、あなたにやるか、私にやるかっていうと自他のやりとりがあった。
あなたにヒーリングするとき、私にヒーリングできない。しかし、私はあなたにヒーリングすることもやぶさかではなかったから気にしていなかった。(やぶさかではない理由は下に書いた)
私にヒーリングするとき、あなたにヒーリングできない。全然、お客さんがこなくてもかまわなかった。
別にどっちにやろうが、あんまり変わらんかったのは、あなたは私だよっていう感覚が強かったから。
『どっちか』でしかなかった。
あなたを選ぶか、私を選ぶか。
でも今は、純粋にあなたに奉仕することができる。
あなたにヒーリングするとき、選べれない私がいるわけではなくて『私は私』なのだ。
私は私で私をちゃんと選んであげることができるし、私は満たされている。
満たされていないから『どっちか』になってしまう。
満たされているから、あなたに与えることができる人になる。このとき『どっちも』選べるようになる。
簡単に言えば、姉妹で母親の取り合いが起きてしまい、ここで「お姉ちゃんばっかり、ママにかまってもらえてズルい( っ ‘ᾥ’ c)」みたいな意識が生まれる場合、満たされていないからなんよな(;’ω’∩)
自分に置き換えると「お客さんばっかり、なとちゃにかまってもらってズルい( っ ‘ᾥ’ c)byなとちゃ」みたいな構造が生まれていたんだけれど、なとちゃ自身もいっぱいかまってもらえて満たされているとき「いいよ( '֊’ )なとちゃを分けてあげるbyなとちゃ」っていうおおらかななとちゃになれる。
そんな状態で、なんで他者ヒーリングができたのかっていうと、実際、お金以外のメリットがあったからとしか言いようがない。
それがなかったら、やってなかったと思われる。
他者の刺激以上に自己発展に貢献出来る刺激は無いと思うから。(つまり人をみて自分をみないと分からない部分があって、その部分ではお客さんがいないと自分と向き合う場所がわからなかったりするから、すごくお客さんは有難かった。色んな意味で)
つまり、なとちゃにカマってもらってるお客さんズルいではなくて、なとちゃがお客さんに向き合うと、なとちゃもカマって貰えるっていう構造が生まれていた。
人に向き合った分だけ、私は私に向き合えた。だから、私の中にいる自己たちも、そこまで騒がしくなかったのだ( ˇωˇ )・・・・・・
(´-`).。oO(お客さんきた・・・・・・そのあとに、なとちゃはかまってくれる・・・・・・ソワソワァ…┌(^o^≡^o^)┐じゅんばん・・・・・・
人に与えたものは自分にも与えていい( ˇωˇ )ってことになっていたから。
順番はあった。でも、順番を待てば満たされる構造をとっていた。人に向き合ったら自分にも向き合う。
自己ヒーリングが主体なのは、自分が一番だから。
お客さんがくるとお客さんが一番になるんだけれど、必ず次に自分へ順番が回ってくる。ここが『自分との信頼関係を構築する』だった。
でも、自分が満たされていって、自分との信頼関係も構築しきると、お客さんが一番のときでも大丈夫になれる。
お客さんが一番でも、なとちゃが愛されていないわけじゃない( '֊’ )ってことがわかるようになる。
お客さんが一番の時も、なとちゃも一番なのである。とっても嬉しい気持ちになれる。
これが自分との信頼関係なのだなーと。
で、自分との信頼関係が構築できると、異性との信頼関係も構築が安定するようになる。
依存が抜けると思われる。
支配は信頼を壊す。愛=支配という概念で育った人は、信頼関係の構築が難しい。
つまりは自分との信頼が構築しにくい。
自分との信頼関係は、他者になにかを与えるとき、自分が裏切られないことなんだと思う。これが裏切られると『ズルい』になる。ズルくないけど、羨ましくてズルいって思っちゃう(;’ω’∩)
つまり、お客さんとインナーチャイルドは、私の取り合い状態になっている構造が、取り合いではなくなり、ちゃんと「どうぞー( ^-^)⊃」が出来るようになった。
それぐらい、自分と向き合えたんだなって。
あのとき、私にレイキを伝授するように行動した過去の私に感謝。愛してるよ⊂( ・ω・ )⊃!!
ちなみに、彼が私を一番最後に回して尚、私には何もなしのことが多くて、そのことに私は怒っていた( ˇωˇ )
なとちゃ、頑張って我慢してて「次はなとちゃ( 'ヮ’ )ちゃんといい子で待てるよ」って我慢してたのに、なとちゃの順番は回ってこなかった( ˇωˇ )
なとちゃとっても可哀想だった。
うちの親がそうだったのだと思われる。
姉だけ( ˇωˇ )
なとちゃ、とっても可哀想だった。