ツインレイの約束と統合のこと。

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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彼と私には約束がありました。

その約束が果たされるのかどうか、ホントに不安がたくさんありました。

不安は私に多くの精神異常を生み出しました。それぐらいに怖かったのだと思います。

ひとつひとつ取り除かれていくたびに、私は彼のことを少しずつ忘れていきました。

私のなかにいた偽物の彼は、私に不安を呼びました。それは私の夢の中にいる彼でした。

それは、本当の彼ではありませんでした。

私のなかにいた私が作り出した私に不安を与える彼は、私が生み出した恐怖の産物だったように思います。

いつしか私は彼を忘れていきました。私のなかに不安を呼び起こす彼がいなくなり、私の心は安定していきました。

統合の予兆でした。

 

あるとき、私のなかに「彼」が繋がりました。

それは、静かな心の、穏やかな日でした。

私のなかに彼が繋がり、彼の本心を受け取りました。

それからの私は、彼と私の繋がりについて癒していく日々に移行していきます。

もしかしたら、これを『統合』と呼ぶのかもしれません。

そして、統合は、私的には自分で統合をするのであり、オートモードで統合するものではありませんでした。

いつの間にか統合しているのでもなく「自ら統合をする」ということです。

いつの間にかコンセントが刺さっているだなんてことはありません。

私たちは自らコンセントを差す作業を『統合』と呼ぶのではないかと思います。

それは、私たち自身のなかに「モヤモヤ」として表現されています。

相手の気持ちを私たちは知る由もありません。予見にもあがらない感情です。

その感情を受け取るとき、私たちは「言語化できない何か」として表現されたものを引っ張り込むことで統合を果たします。

そして、言語化できない何かを言語化していくことは、あなたの言語を私の言語として取り込むことになります。

私は、予想もしないあなたを知ることが『統合』と呼ばれているものだと思います。それは、今まで私たちは本当の意味でツインレイの相手を知ることが出来ないということ。

私たちが今まで知っていたツインレイは、自分のなかに存在した不安により具現化された存在でしかないのです。

 

統合の予兆として「ビジョン」が見えます。それは「彼の姿」ではありません。もちろん「あなたの姿」ではありません。「未来予想図」でもありません。「予知」などでもありません。「未来」などでもありません。

全く別物として視えることになりますが、どのようなビジョンがみえるのかは、人それぞれ違うようです。しかし、このビジョンを受け取ったとき、きっとあなたは「なるほど」と納得するしかないでしょう。きっと、上に書いたどれでもないビジョンに少々驚きになるのではないかと思います。

 

私のなかに「裏切者の烙印」がありました。

私は、裏切者ではありませんでした。私は誰かを裏切ってしまったこともありますが、今回に限って裏切ってはいません。

彼と離れる間際に、私へ裏切者の烙印を押した方がいらっしゃいました。その方が私を裏切ったのであり、私はその方でさえもを裏切っているわけではありませんでした。

彼のことも裏切っていません。

否、私は彼のことを裏切ることが出来なかった (・・・・・というのが正解だと思います。

つまり、私は彼を裏切ろうとしても、それが実行に移せなかったということでもあるし、実行に移そうにも無理が多かったとも言えます。

私が彼を裏切ることが出来ないように、ずっと制御させられていた——とも感じるほどには、私は不安に駆られていたし、その不安は彼へ縛り付けることに繋がっていました。

私のなかにある恐怖は過去の彼へと束縛され、自由もまた未来の彼へと繋がっていました。ゆえに結局は、彼のことから離れている期間など、1日あればいいほどかなと思います。

私と彼の間に或るもの。それは口約束であり、果たされる確証がないもの。確信もなければ、どこかで証明されることができないものだと思います。だから、もし果たされなくてもそれを誰かがとがめることすら出来ません。

 

しかし、今回、私は「裏切れなかった」と理解し、ほかにも色々な自分を統合していきました。

私は、私の未来のことはわかりません。しかし、私の未来のことは私の周囲の方が教えてくれています。それを私は素直に受け取ればいいだけ。本当に、素直に受け取ればいいだけです。

ツインレイの約束としました。

私は彼との約束を破ることが出来ませんでした。約束を破りたくても破れませんでした。何かに縛られているかのように、それが出来ませんでした。裏切ることが出来ませんでした。

それは、どこも切れていなかったからです。彼もまた、私を裏切りませんでした。

彼が裏切らない限り、私も裏切ることはできません。私たちの糸を彼が切る権利をふたりが持っていました。

しかし、私は自分の心に嘘を吐くことは出来なかったし、彼もまた、自分の心に嘘がつけなかったのかなと思いました。どちらも、どこかでは必ず裏切ることが出来なかったのかな、と。

 

ツインレイの約束を、叶えることが出来そうです。

とりあえず、私はツインレイの約束を叶えることが出来そうですし、とりま、日付もわかりました。

これから、どのような流れなのかも、少しは理解しました。

なるほど、私の望み通りに進むのだなと思います。

 

今回、私のなかにある『人に相談する』という弱さを解消しました。

私の場合、相談されることが多く、私が誰かに相談することはほとんどありませんでした。

理由ですが、私の答えは誰も知らないことを知っているからです。

しかし、本当に追い詰められたとき、私は相談したことがあります。それこそ、本当に追い詰められていたからだとは思いますが、それでいい結果が得られたものではありませんでした。

結局、自分の答えは自分でしか導き出せません。

これから、もし、恋愛、そして結婚をするにしても、その恋愛と結婚においての決断を私は誰かに相談するのではなく、その人と相談して決めていくことなのだと思います。他者に相談する必要性はないのだということ。

だからこそ、これを機に「自立すること」が大事だったように思いました。

それは、これから何か困ったことがあったとしても、その当人と相談し合う必要性があり、それ以外の人に相談したところで意味がないということであり、他者に介入されることで関係性が破壊されることもあるのだということ。

ふたりの関係性の間に「誰か」が介入する限り、私たちが本当の意味で繋がっているとは言えないのだと思いました。

ふたりの関係性の間には、誰も必要がありません。お互いに惹き合い、お互いに結ばれようとするのだから、誰かが介入する必要性などないのだということです。

 

統合。この時期の私たちは「関係性」について着眼されます。

 

そして、この時期、一方通行でありながら、与えられるのが当たり前の人たちが出てきます。

感謝されませんが、与えてみるのがいいかもしれません。

個人的には、与えるとかの意識すらなく与え続けている人ですので、一方的に受け取る人たちに与えてみました。

すべてが見事、いい感じになりました。

感謝されません。尚、それがいい。

しかし、与えてもらえるのが当たり前ではない人たちもいます。与えたらちゃんと帰ってくるものがある人もいます。

そういう人には「与える」と「受け取る」の循環が生まれます。

関係性について私たちは考えさせられますので『一方通行』と『循環』の違いについて理解する必要性があります。

しかし、どちらもに与えてみるといいです。どちらも良い結果が返ってきます。

少なからず、私にとっては——ですが。

相手にとっては右と左に左右に分かれるようですが。