自分が『現実に向き合えてない』と感じた瞬間と、投資。ツインレイに時間を与えること

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私は、ずっと自分を監視しているんですが、何を監視しているのかっていうと、自分の反応をよく見ています。

たとえば、人が「なんかちょっと会話でイチテンポ遅れて反応があったな」と想うとき、何か一回思考が回ったんだろうなと考えてるんですけれど、これを自分にもやります。

他者を観察するように、私は私を観察していきます。

すると、いろんなことに『反応』があるんですけれど、そのとき、どうしてそんな反応を示すのか——を自分のなかを探ってみたりして自己分析していきます。

その過程で、最近、ちょっと面白いなって思って見続けている投資関係のこと。

今まで仮想通貨しかやったことなかったんですけど、今回、FXの口座をつくりました。次は証券会社のとこで口座つくって株関係に手を出して観察してみようかなって思っています。

 

で、今回、私は少額を動かしたりして遊んでいるんですけど、その際にやっぱり私には反応があった部分です。

ほとんどの人が反応を示す部分として『損失』です。

たとえば、1ドルの価値が1円落ちると、その分だけ損失になる。その際、私たちがどんな反応を示すのか——。

慌てて損切り(1円は損するけれど、2円損するよりもマシ)って人もいるんだろうし、そのままほったらかして、先に「いつかあがるだろう」という楽観をする人もいる。

で、そんななか、私は「何も思わずにガン無視」っていう状態になる。

実際、私が投資している金額なんてハナクソみたいなものなので、減ろうが増えようが、そんなに変わらないものなんですが、自分の心理が「視たくないものに直面したときの反応」がどのように起こるのか——である。

損切りが私には出来ないし、なんなら、期待も出来ずに楽観も出来ず、ソッと見なかったことになる。そうやって、ほったらかされていた仮想通貨が10年越しに増えていた感じ。

この性格のいいところは、ある程度ほったらかしておいたら、チャートは落ちたら必ず上がるものだし、目先の利益を考えなければ最終的には『利益』というカタチになる。そのチャートが『生きているのか』『死んでいるのか』だけが分かっていれば大丈夫って感じだ。

でも、目先の利益的には不利益の状態になる。このとき、私たちがどのような反応を示すのか——はとても興味深いものだと思った。

「今」どのように判断をするのかである。

損切りする人は、未来をネガティブに捉えやすく。楽観する人は、未来をポジティブに捉えている。

でも、ここで『大きく損する人』は、未来を楽観している理由はネガティブを否定してポジティブに捉えるっていう認知のバグみたいなものかなと思った。

損切りする人は、ある程度のネガティブを受け入れていることになる。

で、私は「ネガティブのガン無視タイプ」で、もはや10年ほどほったらかしたという勇者である。これをガチホ勢っていうんだけれど、私はネガティブガン無視タイプなのでガチホによって利益をだしたのだ。

手法は見ないことにより寝かしておいた。見るとショックだからである。

でも、今回はみなければならないと思いました。

 

人は将来を楽観する。ゆえに、イナゴ買いみたいなことが起きるのかなと思いました。

今、日経平均株価が少々下落気味になってきたんだけれど、少し前に天についたと思うんだ。このときに『買い』に走ってしまう感じ。で、その後、暴落しちゃったりする。

このときの私たちは将来への楽観視がある。楽観があると買ってしまうというか。

ここで少しでもネガティブな意識を受け取ることが出来れば、楽観や軽視をすることなく、ネガティブというリスクがあるのだから——と手を引くことになるわけだ。

さて、このリスクをとってまで投資をするアホはいないわけだ。なるべく安全にやりたいと思うんだ。これはゲームかもしれないんだけれど『お金を増やして勝つゲーム』なのに減らしたら敗けなのだから。

なんとなく危険なにおいがするのに「イケる!」と思ってしまう。これ、ティーンがリスクを犯しやすいっていう脳の仕組みとよく似ていると思った。

 

で、これは人生においても言えることかなと思いました。

私は彼と別れを決断したのは『損切り』だったなと思いました。

関係性が悪くなっていて、この後、もっと悪化する予感がとれた。だからこそ、今こそ損を理解したうえで切ってしまう。これ以上に悪化するよりかはマシって感じ。

人生において、落ち目と上がり目がある。

落ち目のときに共にいるよりも、そばにいないほうがいいこともあるなって思いました。それは見捨てることなのかもしれないんだけれど、これは身の保身だとも思ったし、それが人生だと思った。

彼に私の人生の投資が出来なくなった。これは、私が私自身を彼に投資しきってしまったから出てしまった問題である。

たとえば、口座に100万円の貯金があるとして私は100万円のすべてを投資しきってしまったのである。本来ならば、安全を考え、50万程度の投資であるべきところをすべてをかけてしまった。これが私の大失敗なわけである。

安全を考えるのであれば、私は私自身にも50万円を保有させておくべきだったということ。それが出来なかったのは、私の未熟さだったんじゃないかな? と思った。

これは人生で自分をかけたっていうやつなんだが、それで大損しそうになってしまい、損切りをした。

で、とりあえず、自分にもかけておくべきなんじゃないかってことで、自分にも資金をかけ始めたところ。で、次は半分ぐらいの投資で相手にかけようかなって思った。そうすれば、落ち目にも付き合えるかなって思いました。

上記、ティーンだと「リスクを冒してもイケる」と思ってしまうって書いたんだけれど、私に置き換えれば、彼との関係性が冷え切っているのに結婚してしまったりすること。

 

上記のように、私はすべてかけて損切りした自分もいるんだけれど、同時に、今もかけたままの自分もいる。

つまり、彼の落ち目にずっと付き合っている自分もいる。これは、私が今も彼に投資している状態で、それを「彼を見ないこと」によって寝かせている状態の自分もいるってことだ。

そして、あがってくるのを待っている。というか、私はその時期を気づくことが出来ないかもしれないんだが、私は彼が「私の知っている単価」にまで戻ってくるのを待っているのである。

それは、私たちの関係性である。私たちの関係性がお互いによくなれる時期を待っている。

人生において、賭け事のようなものかもしれないんだけれど、人にも運気の流れと言うものがある。その流れが落ちる時もあれば、あがるときもある。その荒波のなか、私は彼の落ち目を無視して、みないようにしているのである。

遠巻きに見守っているけれど、ずっと私は投資したまま。

これは『楽観』なのかもしれないし、もしかしたら『ネガティブを無視しているが故のポジティブ』にも見えるなと思った。

でも、どうなんだろうなと思いました。

彼があがるのか、それとも戻ってこないのか。それでも、まだ私は彼を「切り捨てていない」のである。

また仲良くなると思ってて、またいっしょにいられると思っている。

 

損切りした私たちは、相手があがっているところなんて見たくないし、

損切りができなかった私たちは、相手が落ちてるところでいっしょに過ごしたくない。

まァ、そんなもんなのかな? と思いました。

損切りした部分の私たちは、相手が幸せそうにやっているかもしれないことを受け入れられない。

損切りした部分の私たちは、相手が不幸なことに目を向けることができない。

サイレント期間の私たちは、相手が幸せなことを受け入れられないし、なんなら相手が不幸になるとき、共に過ごすことができない。

人は不幸にはなりたくないし、でも、捨てたものが幸せそうにしているところなんて見たくない。

私は人は根源に「倖せになりたい」という絶対的な欲求があって、これは人類共通だと思っている。

そして、その反動として「切り捨てた人間が幸せになるところなんて見たくない」から、その様子を見に行くことはないわけで。

切り捨てられない人が不幸になるのも、身の保身からいっしょに落ちることも出来ない。

 

彼は、いっしょに地獄に落ちる覚悟のない人だったし、

私は、切り捨てた人が幸せになることが受け入れられない人だった。

でも、そら彼は全額投資しない人だし。私は全額投資派だからである。

人生でギャンブルやってた感じだな~。
でも、ある種全額投資のほうが効率はいいんだよ。心理的なレバレッジが増し増しされて学習量が増えるから。

今回、私を切り捨てた人もいるだろうし、私も多くの人を切り捨てたし。

それでいいやって思いました。誰と共に生きるのか、誰に沿いたいのか、どんな人になりたいのかは自分で決めていい。

投資先は自分で決めていいし、その方向性へ私たちは向かっている。

そして、もう投資ができないって思ったら、切り捨てていけばいいと思う。

私のことも同じ、切り捨てていい。

あなたの人生を、時間を大事にしていい。

そうやって私も彼に損切りさせたのかもしれない。

「今は自分の時間が大切ならば」と思ったから。

これは私たちの時間が有限だからである。

時間が有限だからこそ、お金の使い方、時間の使い方。大事にねって思います。

いっしょにいたくない人といっしょにいるよりも、いっしょにいたいって思う人と共にいる時間を増やす方が大事なことだと思う。なぜならば、ひとりの人生の時間は限られているから。

そして、今は自分に時間を使いたいのであれば、それは自分に時間をつかえばいいと思います。

自分と一緒にいる時間もすごく大事だと思うから。

 

もしかしたら、私は彼に投資をしたのかもしれない。

彼に彼の時間を投資した。だから「かけたまま」になっているのかも。損切りできていない。

そう思ったら、少しは視えてくるものが変わってくるかもしれないね(^▽^)/

サイレントはマイナスだけど、あがってくればプラスになるかもね。

 

FXとか投資ってお金の奪い合いなんだけれど、時間もまた奪い合いなのかもしれない。限られているものだから。

でも、時間は投資するものであって奪うものではないのかも。

時間は与えるものであり、奪うものではない。まずは与える、次に受け取る。

与えてもいない時間がかえってくることもないのかもしれないね。

 

あと、時間は増えるのかって話になってくるんだけど、この辺どうなんだろうな~

理論上だと「増える」んだけれど、これは体感での増減であってこの世の時間軸では増えることはないと思う。

体感的に「増える」だけとして、時間は増えて戻ってくる……かな。

だって、24時間は24時間だし。でも、体感的に48時間できなくもない・・・・・・。