私がここにいること、孤独から逃げ出した私へ。
Kindle版
さよなら、ツインレイ
当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。
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私を見つけてほしい。そんな欲望があり、私はそんな自分を手放していくことになる。
だけれど、私がここにいること。そればかりは事実だということ。
私は、私がここにいることを私自身が認めていく。
ずっと喪失されていた私が「ここ」に存在し、その存在がようやく存在を受け入れられる。
なんだかとても自分のなかに虚しさのようなものが広がっている。
私がここにいること。
同時に、私が何かに囚われずに生きることを虚しいと感じる。
これは、彼の人生に参加できなかった私の虚しさだなと思いました。
私は彼に囚われることもなく生きることになる。
それを「虚しい」と感じます。
自立とは虚しいものなのかもしれない。
誰とも関わらずに生きる。
人は誰かと共に生きていますが、私の人生に誰かが参加することもないし、あなたの人生に私が参加することもない。
突き詰めるとこ、孤独なのだなと思います。
人と関わることはできる。だけれど、究極に私は孤独であり続けているのだということ。
人はそこにいるかもしれない。だけれど、私が孤独であることには違いない。
私は、私が孤独であることから逃げ続けてきたのかもしれない。
私が「ひとりでいきる」とするのは、誰かに寄りかかったり、自分の人生を誰かに預けたり。
そういった「ひとりではない」という甘えをすべて失い、私は究極に孤独になっていく。
私は「ひとり」になることを恐れていた。
もう一方では「だれかとともになること」を恐れていたものがあるのだと思うけれど。
私の根っこには、常に「ひとり」を拒絶していたのだと思います。
だからこそ、私は「ひとり」であることを虚しいと思う。
私は誰かと共に心を通わせながら生きていきたいと思う人だったから。
ひとりよりもふたりのほうがいい。そう思っている人だったからこそ、今の孤独が虚しいと感じられる。
だけれど、ふたりでいるときこそ、一番に虚しかったのは彼という存在だった。
彼の存在は孤独だった。その孤独は私にも孤独を与えた。その孤独から私は逃げ出した。
私は彼の傍にいればいるほど、孤独に飲まれたのだ。
そして、最後に行き着いたところは「ここ」である。
私は、孤独のまま生きていく。
私は誰かと心を通わせることもない覚悟を決める。
私は「ひとり」であることを受け入れていく。
なんてさびしい話なんだろう。
だけれど、そのさびしい存在になる必要性がある。
もし、私が孤独であるならば、あなたも孤独である。
だからこそ、共にありたいと思うからである。
私はここにまできて振り返って「今の私になるべきだったのか」ということ、はなはだ疑問だ。
私は、過去の私を否定している存在である。
それは「彼」である。私は孤独な彼になった。私が愛したものである。
私が愛したもの。それは「孤独」だったのである。
当時の私は、孤独を否定している存在だった。
しかし、今の私を過去の私は受け入れてくれていた。だから、私は過去の私の沿線に今の私が存在している。
過去の私は「虚しい」と泣いているし、今の私は淡々と「存在している」だけである。
不安も抱えている。
こんな私で、誰かに出会うことができるんだろうか、と不安が存在している。
そんな私へ彼が「大丈夫」と言ってくれているような気がする。
ふと考える。彼のことを。
彼はどうしているんだろう。今、何をしているんだろう?・・・・・・