過去の自分を裏切れなかっただけなのだな、と。(過去と現在の自己統合)

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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彼と結婚しようと思ったこと。

彼を待つと決めたこと。

私は、自分と約束をした過去の自分を裏切ることが出来なかったんだなと思いました。

他にも色々と「こうしたい」と思っていた未来のことがあって、そんな自分をも裏切ることも出来なくて。

今日まで私は、その自分が決めたことを守り抜いてきたんだなと思いました。

よく言えば、我が強く。悪く言えば、融通が利かない。自分の生きる道を譲ることができない。

妥協することができない自分の未来があって、妥協したくないからこそ、今、選択せねばならないことがあるんだなと思いました。

過去の自分を裏切れないように、それは未来の自分をも裏切ることができないということなんだと思う。

過去に自分が決めたことを覆すことが出来ないし、未来にこうするんだって決めたこともやり抜く。

それは、過去に彼と出会ったことも消すことが出来ないし、結婚しようと思ったことも消すことができない。

もしかしたら、私の独り善がりだったのかな? とも思ったんだけれど、そうでもなさそうなのかな、、とか思いながら。

 

過去に存在している『事実』は消えない。

そして、過去の『願い』や『想い』も消えない。

なんかこう、消えてしまうのかな? と思っていました。

彼と共に過ごしたネット越しの私たちがいた事実。

彼と結婚したいって思った願い。そして、そうしようと決断した覚悟。

好きだと思ったこと、愛していると思った想い。

これらもすべてなかったことにはならないはずなのに、

どうしてか消えてしまうと思っていた。

月日と共に私たちの時間が流れていくと共に、瞬間だけがここにあるように。

過去を取り出すことが出来ないように、再び経験することが出来ないように。

私は、過去を喪失し続けているように感じていた。

でも、過去に存在している事実が私に自信を与え、

私の願いは今も私のなかでスクスクと育ち続け、未来を探している。

想いは未だに枯れることなく、胸のなかに秘められている。

私は『今』という瞬間のなかに、過去のすべてを凝縮させて存在していること。

過去と今の自分が統合されたこと。

 

私は、過去の自分の一瞬一瞬を、なかったことにすることが出来なかった。

私が持ち得ている私の過去のすべてを持って、私が今、ここに存在すること。

これこそが「私の証明」である。

そして、私が過去の私を裏切れなかったように、私は彼を裏切ることも出来なかった。

私が彼を好きだと思ったこと、愛していたこと。だからこそ、私は離別を迎えた。

私は「私のなかにある愛」を裏切ることが出来なかった。

私の身の保身以上に、私は愛を裏切れなかった。

そして、今まで彼を好きだった気持ちも裏切ることが出来なかった。

結婚するならば彼とがいいと思う私をも裏切れなかったし、

彼といっしょに生きる未来を思い描いた自分も裏切れなかった。

 

私にはできなかった。

できなくて、何も先に進ませることが出来なかった。

 

大人になることが虚しいと感じるのは、子供だったときの自分を裏切ってしまっているからなのかもしれない。

自分のお願い事、自分の想い、自分の感情。それらがすべてを未来を構成しているけれど、

結局はそのお願い事を叶えることができない私たちは、大人になることが虚しいと感じられる。

だけれど、本当は叶えるために大人になるのである。

子供の願いを抱えたまま大人になって、私たちは『大人でなければ叶えられない願い』を叶えていく。

 

私は子供だった時の自分を裏切ることが出来なかったけれど、

でも、裏切らなくてよかった。

それは自分との信頼関係を壊すからである。

そして、自分の自信をも失う。

 

なかったことになどならなかったです。

私が彼を愛したこと。彼と結婚しようと思った覚悟も。

すべて、なかったことになどなりませんでした。

それは、私が私を裏切らなかったからでした。

想いや未来もまた『事実』として私は受け入れていきます。

私のなかで見えないものもまた『事実』なのだと思いました。

そして、それを『存在している』と私は認識します。

ので、消えてしまったり、失ってしまったり、なくなってしまったものも、

時間と共に過ぎてしまったものも、すべて存在しています。

みえないからってないわけではない。あるからこそ、ここに体感がされている。

 

私は私の子供だった時の自分を裏切らなかったし、

私は、自分の子供を裏切らずに済むと思いました。

 

でも、私を裏切った人もたくさんいました。

それもまた事実です。

私を裏切った人たちは、きっと「子供だった時の自分」「過去の自分」を裏切ったのだと思います。

 

彼は「未来の自分」を裏切れなかったのかなと思いました。