覚醒の世界へ——ツインレイと結ばれるとは

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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自分のなかに『三つ』の世界線があった。

それが、

  • 二元論世界
  • 自己投影の世界
  • 他者がいる世界←ここにツインレイがいる

である。

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間違えた正義の世界『二元論の世界』

二元論の世界では、正しい——間違い、善——悪、否定——肯定というような二元論で意識が構築されている。ここにあるものは『奪う』『支配』『犠牲』というような世界観で、一方と一方の「どちらか」でしかない意識のある世界。

この世界に滞っている時、私たちは、正義の元に生きることができるかもしれないが、その正義は「じぶんのため」に他ならず、他者の為というわけではない。誰かを批難し、自分を肯定し、自分の安全を確保しようとする。自分が安全ならば、他者が危険にさらされてもいいという思想の世界観が、二元論の世界。

あなたが悪で、私が善。これがねじ曲がった正義。

正しい正義

正義は、二元論のなかから生まれるものではない。どちらかが正しく、どちかが間違えているという『どちらか』しか選べない時、間違えている正義である。私たちの正義がねじ曲がっているとき、私たちの世界には『悪』が生まれる。その悪とは、自らの中に存在している悪である。

正義とは、私たち自身のなかにある『どちらも』を選択することができる強さである。

あなたも、私も、正しい。この視点を得ることが正しい正義である。

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間違えた道理の世界『自己投影の世界』

自己投影の世界では、自分自身を相手に投影し、自分を押し付けるような世界。自分の想うあなたでなければならず、そうではないときに怒りが込み上げてくる。自分の想うあなたでなければ、自分の気がすまず、自分の想うあなたではないことに腹を立てる。そして、自分の思い通りのあなただと思い込み、相手をバッシングしたりなどもよくある。

自分のなかに存在する自己がポジティブな存在ではなく、ネガティブな存在であり、ネガティブな自己を相手に投影するとき、相手への批判が止まらなくなるものである。

ここにあるのは、間違えた道理。筋道の通っていない思想を語られる。

あなたは私だ。否、私はあなたではないのである。もちろん、同じように、私はあなたではない。この理解が至ることは自己投影という自己分離を終え、シャドウの統合も済まされ、自己統合された存在として語られている。

自己投影が終えることは、すべては自らの中に生じている問題を理解し、自分自身と先ずは向き合わねばならない。自分自身と向き合うことが出来ていないとき、自己投影が起こり、自己分離状態となる。

正しい道理

道理は、自己投影のなかから生まれるものではない。あなたは私ではないし、私はあなたではない。私たちが「私たちは独りである」という個という道理を踏まえることが出来ていないとき、私たちの世界には『私以外の私』が生まれる。その私以外の私とは、自らの中に存在している分離した自己である。

道理とは、私たちがひとりで生まれ、ひとりで死んでいくことである。また、精神においても、私たち存在は、個であり続けていくことを意味する。

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他者がいる世界、覚醒の世界

他者がいる世界とは、善悪により相手と自分を判断せず、どちらも正しい視点を明確に理解でき、尚、自分自身を投影することによる自分と他者の違いを認識できることにより、世界が現れる。

他者とは、悪ではない。他者とは、自分ではない。

もし、他者を善悪で判断せず、他者を自分だと判断しないとき、私たちは明確に「相手」を知ることができる。

私たちは、目の前に「相手」がいたとしても、その存在が自分にとって二元論のうち、どちらに属する相手なのかを思考するとき、正義を履き違えている。相手を審判するとき、私たちは明確に相手を認めることが出来ず、相手を知ることも出来ない。

他者を「自分」だと認識しているとき、私たちは常に相手に「私自身であること」を求めるようになる。これは道理を履き違えている。私たちの思い通りに他者をしてはならないし、他者とは私ではないのである。相手を自分であることを求めるとき、私たちは明確に相手を知ることが出来ない。

「相手を明確に知ることができない世界」とは、他者がいない世界というわけではない。そこには他者がい続けている。他者がい続けているにもかかわらず、他者を無視しつづけている世界が『未覚醒の世界』である。

未覚醒の世界では、相手を勝手に決めつけ、相手に勝手に期待と幻滅する。他者を明確に認識することがないから、相手の期待に応えることも出来ず、答えてもらうことも出来ない。

未覚醒の世界とは、私たちが目の前に存在する相手をガン無視しているような状態であり、眼を瞑り、この世の現実(相手そのもの)を理解することもままならない眠っている世界なのである。

眠りの世界とは、それが『未覚醒』なのだ。未覚醒の私たちは、私たち自身のなかにある精神を具現化させるように世界を創り上げるも、それの現実世界を受け取ることが出来ない。

今ある目の前の現実は、すべて自分自身が作り出したものであるが、そのすべてを受け取ることが出来ずに、癇癪をおこし続けているような状態となる。そして、他者が悪であり、自分だけが正しい世界に眠り落ちる。

覚醒のヒント

私たちは、覚醒世界に挑むとき、必ず『自己統合(道理)』と『シャドウ(正義)』と向き合うことになる。

シャドウとは、私たちが正義のよって切り離した『悪の自分』である。これは自らの意思である。

自己統合とは、私たちが他者によって切り離した『影響を受けた自分』である。これは他者の意思である。

私たちのなかには『自分の意思』と『他者の意思』が存在している。

もし、シャドウが統合されることがあれば、私たちは世に存在する悪を悪だとは認識することが出来なくなるだろう。少なからず、私たちの世界に悪人が存在しないことを理解する。

もし、自己分離が統合されることがあれば、私たちは世に存在する自分を自分だとは認識することが出来なくなるだろう。少なからず、私たちの世界に私と同じ人間が二人も存在することはないことが理解できる。

いわゆる、ツインレイとは『他者により影響を受けた自分』というものが、異性として存在する。いわゆるこれをアニムスやアニマとするが、この自己分離と結合することを目的とされたものである。

そして、他者により影響をうけた自分である『自己統合』が率先して望まれている。それは、ほとんどの人間が他者から影響を受けることからツインレイは『道理』によって生じていることがわかる。

また、シャドウとは、私たちが意志を持って生きているとき、自ら率先し、自己分離を果たすことで『悪の自分』を構成することができる。悪の自分を自己統合する際、私たちのもとには新しい世界観が訪れる。

ツインレイの覚醒

ツインレイは「自分ではない」ことを理解すること。そのために、私たちは私たち自身のなかに存在する依存心をはらう必要性がある。そのとき、私たちはツインレイのことを考えることが無くなる。

なぜならば、私たちは自分自身のことしか考えていないからである。ツインレイのことを考えている時、私たちは私たち自身のなかに存在する依存がある。思考のなかに他者が存在するとき、そこには私たちの未消化たる「何か」が存在し、それは依存している何かが存在する。

もし、ツインレイに覚醒があるならば、私たちはツインレイは「自分ではない」ことを知り、ツインレイという双子を「双子として生まれたけれども、同じではない」という事実を受け入れることになる。そのときの私たちは、ツインレイの相手を本当の意味で知ることができる。

自分の感覚が相手と同じわけではない。自分のペースが相手と同じではない。自分と同じ人生ではない。相手の望み通りにしてはならないし、自分の望みだけにしてもならない。

だけれど、どこかでは必ず『同じ』ものがある。それが何かを探す旅。私たちは必ず「どこかでひとつ」の部分がある。それでも、私たちはこの世では別の存在であることも明確な事実なのである。

別の存在であるツインレイの相手を受け入れることが『現実で繋がれる』ことに繋がっている。

 

ツインレイの相手が『霊体の分離』をしているから、霊的にはパパが同じで同じ遺伝子から生まれてきたのは事実なんだけど、この世でも『現実でも双子』と思ってて、同じ人生生きてるし、相手を自分だと思っているし、相手が思っている事や感じていることもすべてあたいと同じ! みたいな——現実で培ってきた、この世で培ってきたものすらも『同じ』だと誤認してしまうきらいがある。

だから『現実で培った部分は別なんだよ』『遺伝子は全く違う人間なんだよ』とか。そういう現実の部分で違うものを受け入れていく必要性がある。

そのためには、霊体と肉体が『別のもの』として認識しないといけない。

×霊体=肉体(従来)
〇霊体肉体(今)

で、この認識ができると『肉体(現実)』を受け入れることがようやくできるようになる。相手のことはわからん、それでいい。だからこそ、人の世界は拡大する。

この正義と道理のなかで、正義が危ぶまれている人は「誰かが悪だという話をしている」ことになる。道理が危ぶまれている人は「つじつまの合わない話をしている」ことになる。

でも、自分のなかに正しい正義と道理があれば、それが理解できる。ないと判断できないかもしれない。。

正義(シャドウ・悪)は『霊体と肉体を分離させる』役割を果たし、道理(自己統合)は『霊体と肉体を接続させる』役割を果たしている。(ので、シャドウとはさよならをするし、自己統合した相手とは繋がれる)

ツインレイとは何か——だが、霊体と肉体が分離し、また、結合を果たした存在となる。

この分離と結合を果たすことにより、私たちは、霊体の感覚と肉体の感覚が分離される。

霊体での結婚と、肉体での結婚は別ものだと判断する。

霊体での結婚とは、精神的な自分のなかに存在している「永遠の恋人」であり、肉体での結婚は、現実的に存在する「婚姻の相手」である。

今まで私たちの初恋は実らなかった。だから、永遠の恋人=婚姻の相手は成立しなかった。

で、ツインレイはこれを果たす。

『永遠の恋人=婚姻の相手』

まだ、永遠の恋人=婚姻の相手の方程式が成立している人と出会ったことないから、私はまだツインレイのカップルの人と出会ったことがないんだと思う。