ツインレイという縁を認めること。

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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たぶん、ツインレイの結合(100%の共依存状態)を起こすと、自分たちがひとつだったときの記憶を思い出すよ。なんか、夢見とか、ビジョンとかで視えると思う。

だから、自分がツインレイかどうかについては『自分だけがわかる』けれど『他者にはわからない』と思う。

だから、誰かにツインレイであることを認めてもらうことには意味がない。

私はずっと自分がツインレイであることを理解していたし、それを認めてもいた。だから私はブレない。

でも、途中で「ツインレイであること」に執着が生まれている時点で、このツインレイの概念からは手放しを行っている。

自分がツインレイであることに執着を示しているとき、話が先に進まないからである。

私はずっと「私の道」を進んでいるし、誰かに指し示されている道を進んでいるわけではない。

もちろん、ツインレイに関する情報なども読んではいるけれど、個人的にはそれも必要がなかったのは「私の道」を突き進んでいるからであって、その情報に自分の道を奪われてはならないから。

あと、私は自分の知性を信じているのもあって、私は自分が考えて考えて考えまくった結論が、いかなるものであろうが信じることにしている。それがもし誰かにとって間違っていたとしても、そのときの精いっぱいの知性を私はいつだってフル活用して本気で生きている。

いつだって、石橋をたたくかのように生きている。この思想でいいのか、この道でいいのかと本気で考えている。

その道を自分で考えて生きているから私は「ツインレイの道」ではなく「私の道」を突き進んできている。

個人的には、ツインレイが何かが明確に自分のなかで定義しきれていないうちに、ツインレイを自らだと語ることは浅慮に感じられたからあんまりやりたくなかった。

そして、サイレントの初期に私自身は「自分がツインレイである確証」があった。それはちゃんとビジョンで自分がツインレイであることを明確に視ているから。私はどんなにバカげたものだったとしても、それには『意味がある』と思っていて、もしかしたら、これが私の妄想かもしれない路線も思考には入れていたんだが、妄想ではなくて、霊体の記憶だったってことを今は受け入れている。(これも、執着から妄想や妄言が始まる人もいると思う。)

霊体の記憶は、彼と結合してひとつに戻すと、彼と一つだったときの記憶を取り戻すシステムみたいね。

 

途中で私は「自分がツインレイであること」を放棄しているけれど、それは、私が一番に自分がツインレイであることを認めているからこそ出来たってだけ。

誰かに認められてツインレイになるのと、自分がツインレイであることを認めてツインレイである実感があるのとではまるで違う。人に認められてツインレイである人たちにはなりたくなかったので、私は自分がツインレイであることを自ら語ることは良しとしないってだけの話しな。

つまり、自分がツインレイだってことを本当の意味で認めている人は「はいはい! わたし、ツインレイでーす!」だなんてことは言わないわけだ。言わなくてもアピールしなくても、自分が一番に認めているから他者を必要としていないだけ。

ツインレイであることに、個人的にはもう本当にこだわりがないのと、こだわりがないからこそ、理解できることも多い。そのことについてはちゃんと掲載し続けているつもり。

それから、今回、ツインレイであることが認められなかったと書いたんだが、それは『定義の明確化が出来なかった』ってこと。私は理詰めで攻めたんだが、マジ、この『視えないものを明確に定義しなさい』っていう課題はホント、ほとほと泣かされた課題だった。

最終的な結論は「自分がそうだと思うほどの出来事があり、自分がそうだと確信が得られたのであれば、それはツインレイでいいんじゃない。そのとき他人はそれを認めるかどうかを必要ともしない」ってこと。

だから、私は「ひとりツインレイ」みたいになってて、全然、これで空気が美味いから幸せだし、個人的には自分の背景が色々とわかってよかったって感じかな。たいていのこういった視えないものについては、そういう仕組みで出来ているものなのだと思う。

私がこの理論を必要としたのも、個人的には『確証が欲しかった』んだけれど、それは私が視たものとか感じたもの、経験とかに自信がもてなかった自分のせいなんだろうなと思っている。

最終的には、自分の視たもの、感じたこと、経験を信じることができる状態にもなれたし、霊体を認識しきれた。だから、私はこれで「ツインレイ」を理解したって状態になる。

つまりなんだが、個人的には、霊体を認識することが出来ていなければ、自分がツインレイであることを自覚することは難しいと思われる。だって、霊体がツインレイなのであって、肉体がツインレイなわけではないから。

だから肉体の課題が終わらねば、霊体の課題には入らないと思う。

 

そして、このツインレイとは『縁』として書いているタイトルの理由なんだが。

ツインレイは霊体で、肉体ではない。

霊体が肉体に入ってて、肉体のなかにはいる霊体は、わりかし、出たり入ったりとか頻繁にしてて、入れ替わったりとかもしているわけだ。

この入れ替わっていることが多いから、正直なところ、ツインレイは『霊体が双子だった』ってことは、それは『縁がある相手に出会えた』程度でしか肉体側は認識していないと思ったほうがいいと思われる。

霊体からすれば、生き別れた相棒に出会えたスペシャルな出来事かもしれないんだけれど、肉体が双子なわけではない。

でも私たちは、肉体が主体だよね。だって霊体は入れ替わるけれど、肉体側の記憶はずっと一貫性が保たれている。

途中で、ツインレイの霊体が抜けて他の霊体が入ってきたら、相手のことを好きじゃなくなるの? っていうと、そういうわけじゃないと思うんだ。

だから、ツインレイともし出会うようなことがあったら、ツインレイの霊体たちが肉体の私たちに縁を与えてくれている。そんな風に捉えたらいいんじゃないかって思っている。

 

ツインレイという縁結びがあった。ありがたいことである。それは双子の愛を経験させてもらったってこと。たしかに家族だったし、この世で一番大切な相棒だった。

これほどに強い結びつきってあるんだなって思うほどの愛情でした。強烈だった。私にはそういう情熱を持った相手は存在していないし、家族関係でここまで強い愛情を向けることもない。だから、霊体だからこその『愛』だと思う。

個人的には、気合と根性でした。

そして、彼という存在を知ったのもツインレイのおかげでした。ツインレイ霊体ちゃんのおかげ。

私の肉体だけで成し遂げられることではなかった。そもそも肉体だけだったら彼とは出会えなかった。

私のツインレイの霊体ちゃんがいてくれたからこそ、私は人を心底愛するという経験をすることができた。

確かに苦しかったし、つらかったし、頭から離れないし、マジで辛かったけれど、それでも、愛するって苦しいことだけれど、本当はとっても素敵なことなんだよってことをも教えてもらえたのも、ツインレイの霊体ちゃんがいてくれたこそ。

だから、私のなかにいる霊体ちゃんと私の縁があったことにも、私自身は感謝しているし、霊体ちゃんがここにいてくれたことにも嬉しい。そして、彼との縁を結んでくれたことにも感謝している。

縁はここにあった。たしかに「ここ」あったよ!

そして、私はツインレイの霊体ちゃんを愛しているし、大事にしたいと思っている。

 

 

 

どこかで私は「わかっていないやつだ」って思われているらしいんだけれど、私は、私のことを一番にわかっているし、理解できているって思えた。

私はちゃんとやっている。やれている。できている。

それを私が一番に認めているし、一番のそばで見続けている。私が一番に知っていればいいし、私が一番の理解者であればいい。他者を必要とはしないし、誰かを利用して自分の心を満たそうとも思わない。

これが『自信』だし、『自分を信じること』だと思う。

そして、いつか、頑張り屋さんの一番の理解者になりたい。

 

それでも、わかっていないやつに見下されて「おまえはわかっていない」って言われるのはうんざりだ!