ツインレイによる霊体の記憶と、ツインレイの目的と課題『愛しきる』

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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肉体の記憶と霊体の記憶のことについて。私自身の体感からの説明。

図の説明:記憶媒体の違い

記憶するには、いくつかの種類があるのだと思われる。

それが、

  • 知性としての記憶(暗記みたいなもの)
  • エネルギー上の記憶(アストラル体など)
    • (臓器の記憶)
  • 霊体の記憶

という形で4つ提唱する。

知性としての記憶とは、脳みそで管理している記憶である。何度も何度も反復することで記憶することができる。ツインレイの記憶も何度も反復することで「忘れない」ことができる。

エネルギー上の記憶とは、アストラル体などに仕舞われている記憶である。レイキなどで処理したりなども出来るし、瞑想状態で取り出すことができる記憶などで「忘れているけれど覚えている」記憶である。

霊体の記憶では、経験したものを純粋に受け取っている記憶であり、生まれる前からの記憶などもこのなかに入っている。霊体は出し入れ可能なために、記憶がここにあったり、なかったりの状態となる。

 

ここで『肉体としての記憶』と『霊体としての記憶』が存在していて、肉体としての記憶は、一生持ち続けていくものであるが、霊体としての記憶は途中で消えたりするし、入れ替わったりもするから、途中の記憶がなかったりなども度々あると思われる。

霊体にある記憶を肉体側で認識するには、霊体を自覚するしかない。しかし、たいていは霊体を自覚することが出来ないから、霊体の記憶に触れることがなかなか難しい。

体内記憶とか向こうの世界での記憶は霊体の記憶に属するもので、霊体の記憶を思い出せる仕組みを持っている人たちは、霊体の記憶を取り出せる。

とはいえ共、生涯、霊体の記憶を持った存在がずっと一カ所に入りっぱなしってわけでもないから、たまに出ていってたりもするから、自分の霊体=自分自身とは捉えることは出来ない。

つまり、霊体の記憶=自分自身の記憶として捉えると、体内記憶を持っている自分を『自分』として認識していて、霊体が優位の構造となっている。

私はツインレイである——と言い切る場合、この霊体が優位ある存在として認識されている状態となる。霊体ではなく、肉体が優位ある状態であるとき、私たちは「ツインレイは私のなかに存在する霊体である」という感覚がある。(この認識が明確に出来ている人たちがツインレイともいえるとは思う、理由は、ツインレイは『霊体の話』だから)

肉体が優位ではなく、霊体が優位である状態になるとき、私たちは現実を放棄しているとも言える。

私たちは『生きている』のである。それが明確に認識されないために、私たちは『存在している』という状態になってしまうと思われる。なかなか難しいんだが、肉体が優位であれば、その人はとても能動的に生きている、生きることを実行する状態になるんだが、霊体が優位であれば、その人は存在しているだけとなる。存在としてそこに「いる」ことが出来ているだけ。

私たちが現実として生きていることを放棄することが「私はツインレイである」という認識になる。だから、ツインレイであると思っている期間は「いるだけ」であり「生きている」とは違う状態になっている可能性がある。

 

さて、執着の話がツインレイにもあるわけなんだが、この執着は『記憶』があるからこそ、執着が生まれる。

この執着に対して『脳みそから生まれた執着』『霊体の執着』『エネルギー上の執着』の3種類に分類することが出来る。

脳みそから生まれた執着とは、何度も反復することで忘れない状態に陥ることによる執着である。そして、エネルギー上の執着では、経験により生み出された感情を受け取り損ねた内容に対して生み出される執着である。

ツインレイの霊体の執着とは「ツインレイと共にいたい」という執着にある。

基本的には、ツインレイの霊体の執着は自立により執着を外すことができる。次に、脳とエネルギー上の執着では、自分の経験や思い出などを反復したとき、何か取りこぼしたものがあるから、それを回収することで解消することができる。

図の説明:記憶と向き合い自立する

記憶から生まれる執着については『肉体レベル』で起きている。精神によるテーマによる向き合うことで解消される。

霊体の執着は『霊体レベル』で起きている。肉体によるテーマによる自立により解消される。

この『記憶』『霊体』のふたつは、同時進行で並列的に進んでいる。精神により向き合うことで解消されると、自立が促されるし、自立が促されれば、精神と向き合うことを余儀なくされる。

最終的には、エネルギーが浄化され、霊体は自立する。この状態が最終的には完全な状態と考える。

 

では、ここで『ツインレイの目的』について考えてみる。

なぜツインレイの霊体は、このようなことをしているのか。霊体が自立を迎えるために必要な過程であることも一理あるわけなんだが、他にも、ツインレイの霊体が私たちの肉体へ受肉することは、そこにある『問題』が浮き彫りになると言うことである。その問題とは過去の浄化すべき問題である。

それが先祖から代々の因縁や、自分が生み出した因縁。因縁と言うか、カルマである。このカルマを私たちが回収しそこねるほど、私たちは大人になることが阻害される。

私たちがもし一人前と呼ばれる状態があるのだとしたならば、それは『自分が背負うカルマをすべて解消しきること』により、現実での一人前となる。この一人前の状態に向かうとき、ツインレイの霊体に縁があるのではないか——と思われる。

ツインレイの霊体は、双子の霊体への強い執着と依存心を持っている。否、それは『愛情』であるはずなんだが、肉体である私たちに受肉した際、その愛情は偏愛へとなり、執着へと変換される。いわば、私たちのなかに存在している愛が歪んでいる部分が赤裸々に歪み切って対象に提供されることになる。

ツインレイの霊体が受肉したとき、その純粋な愛が愛ではなくなるとき、私たちの肉体の中には『歪むカルマ』が存在していることになる。このカルマを浮き彫りにさせるには、ツインレイの霊体が受肉することで明確化されることになる。

いわば、ツインレイの霊体が入っている人は、カルマが浮き彫りになっているし、その浮き彫りになった変質された愛を純愛にまで切り替え戻す必要性があるとも言える。

ツインレイの課題と目的。

それは家族のなかに存在した虐待を持つ人たち、愛が愛ではなかった人たちに対して『愛とは何か』を追求するように——との話だったのではないかと思うんだ。

それはツインレイが霊体としての双子であり、その双子が愛し合う家族だからこそ、現実での私たちの愛ではない愛を明確に教えてくれる。

だからこそ、ツインレイの課題が『愛』だとされているが、その愛を受け取るためには、私たちが「ツインレイの相手を愛しきる必要性」があるのである。そして、愛しきった暁には長い年月を経て、最後の最後に私たちは『真実の愛を知る』わけである。

ツインレイ、それは愛の探求。そして愛の旅路である。