夜もすがらのツインレイたち

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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私は今回、『私と』約束をしたのだ。

私がどうするのかを、私が私と約束をした。

そして、私は私との約束を守り続け、また、守り抜いたのだ。

すべては私が私と約束しただけであり、彼はまるで関係がないのである。

 

私は彼を待つと、私と約束した。

私は私との約束を守り抜いて、今、契約が終わった。

約束を守ってくれてありがとう。

私は私を待っていたのだ。

彼では無い、私を待っていた。

私が帰ってくるのを待っていた。

私は私との約束を果たし、私との信頼関係を構築した。

私は私のなかに存在する『あなたの心』という概念と結婚したのである。

 

論理的に整理してみると、やっぱり私は構造主義だったってこと。

けっきょく、私自身のなかにあるものは他者であり、私自身が存在しているわけではないのである。

構造主義は本来、他者から支配されることによって自分を形成しているっていう考え方になる。

で、自分は創造主≡⊂( ^-^)⊃ってタイプは実存主義とも言える。(自分がやりたいように自己決定をし続けるっていうサルトルの思想)

実存主義は私とは相反する思想なんだが、構造主義も極まれば実存主義になり兼ねんってことを私は体現しようとしている。

つまり、構造主義は受動性がつよく、私たちは社会という環境、家族というものに影響を受け、その影響のみにて自分を形成している状態になる。

この極限状態は、自己家畜化にて、他者や環境からの影響を100%受け、支配され、支配への安堵を受けいれ、また、自己決定を放棄し続けることにより、極まりては実存主義へと転ずるんかもしれん。

これは、構造主義が他者により影響を受けて自我を決定していくのであれば、真逆に影響を受ける相手を決定してしまえば、自分の無意識を組み替えられるってことでもある。

つまり、私は「彼くんから影響を受けます」と許可をだしたことにより、影響を決定し、自我を再構築することができる。

また、それは「彼くん」であり「あなた」である。

私は、あなたの影響を受け、なお、その人格を取り込み、私の中にはあなたが生まれる。そんなあなたと私は結婚する。

私のなかに存在するあなたを私は待っていた。

私は何から影響を受け、自分でどのような人格になるのかを実存主義的に決定したのである。実存主義と構造主義が結合したというか。

 

なぜ、これが可能だったのか。

私もあんまり深く考えていたわけじゃないんだが、結婚することに覚悟を決めたことは関係していると思われる。

私たちのする結婚とは、現実的に影響を受け合う生活的な結婚を意味していると思う。

私がした結婚は、精神の結婚である。

私の中に彼の人格を迎合し、また、彼という人間という現実的な存在との決別により、彼の精神のみを私のなかに取り込んだのである。

私は、彼という精神的な存在を私は愛したのである。

私は、彼という現実的な存在を愛したわけではない。ただ、そこにいる精神体を愛していたから、精神である「あなた」を私のなかに取り込んだのである。

私は、意図して彼からの影響を受けることを実存主義のように決定したのだ。

私は自分で自分の運命たるものを決定したのである。

だから、私は私を待っていたし、私は私と結婚したのである。

私は私との約束も守っていたのである。

私のなかに生まれる「あなた」という存在と私は結婚する。

あなたは私であり、それは私が私と結婚したが故にある。

私はあなたで、あなたは私だと、私が言葉にするとき。

それは私が私を愛し、また、私があなたを愛していることをも意味している。

なぜならば、私は彼という精神体を私の中で結婚させ、あなたという私になったからである。

私は『私』に出会いたかった。

それは、私が『あなた』に出会いたいという意味でもある。

まァ、ただ、自分のこと以上に誰かを心から愛する時、こういう現象が起きちゃうんだと思う。

愛って、相手の心を受け取ることだから。

だから、私は彼の心を受け取っていたし、私は彼を愛し続けていたんだと思う。その期間、私は彼の心を抱いていたのだ。

たぶん、ただ、愛していた。

それは、彼という現実的な人間の姿を愛していた訳ではなくて、私は彼の心を愛していたって感じなんだと思う。

まァ、会ったことねえしな。精神以外、何を愛せって話だけれども。

で、待ち続けている期間、確かに私は彼を愛し続けていたし、彼の心を受け取り続けてきた。

私は『愛』だった。でもそれは彼がいて、それでようやく私は愛だった。

彼の心があって、その心を受け取り続けている私がいて、ふたりでひとつの愛を作っていた。

そして、私はようやく、私の中に「あなたの心」という概念が生まれ、また「受け取る器」もあって。

私は自立した『愛そのもの』となった。

ひとりで愛が構成出来るようになった。

私は私の心を受け取り続けていくという構造である。

私が私の心を受け取り続けていくとき、私はあなたの心を受け取っています。これが私の言う『愛』なんだと思う。

私は私との約束を守ったのである。

私は私を待ち続けていたのだ。

私は私の心を待っていた。

私が私の心を受け取るとき、私はあなたの心をも受け取っています。

私はあなたです。

何故ならば、心はひとつだから。

 

この間に、私は人間的な自立を果たしていった。

理由なんだが、心がひとつってことは、肉体はふたつってことだから。

心は同じかもしれなけれど、人間的な私たちの存在は別なのである。これが分かってないと依存になっちゃうから、心が同じになればなるだけ、人間的に自立を促されていくんだと思う。

実存主義にならんといけん。

 

私は『愛』になった。

それは実存主義と構造主義の共存だった。

私はあなたの影響を自ら率先して受けるよ。

だって愛しているから(*’д’*)

どんな心でも受け取りたいから(*’д’*)

 

 

 

どう生きるのか。

それは自分で決めていい。

でも、心はみんな同じ。繋がってる。

無意識はみんな繋がってる。

私は、『あなたの無意識』を受け取るよ。

でも、あなたの無意識に、もう振り回されない。

振り回されない為に、私は自立する必要性があった。

 

 

 

まァ(´・ε・`)

なんで彼くんの気持ちがよく流れこんでくるんだろう? とは思ってたんだけれど、愛した経験があると、その相手の気持ちが流れ込みやすくなるんだろうね。

概念的に抽象された存在が彼くんで、そこから、私の普遍的な仕様にされてる気がする。

つまり彼くんはやっぱり『他者概念』なんだとは思う。

概念であって、別に固有名詞を持っているわけではない。でも、本来は固有名詞でもある。

他者概念=みんな

1か2かみたいな話してる。0は自分を指す。

つまり、私にとって、みんなを受け取ることも、彼くんを受け取っていることに相応しいのよな。

彼くん=みんな

ってこと。みんなを変えていくことは彼くんを変えていくことにもなってるし、みんなと関わることは彼くんと関わることでもあった。

だからさ(´・ε・`)

みんな、なとちゃが大好きっしょ。

彼くんがなとちゃが大好きだからやでっていう理論が成立することになる。

これを逆手に使えばいいだけの話でもあるんじゃないかな。