マジョリティーは地上のツインレイの出会い、マイノリティーが楽園のツインレイの出会い

2024年11月16日

| Ⓒ なとり

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ツインレイステージまとめ

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さよなら、ツインレイ Kindle版
さよなら、ツインレイ

当時はこれでおしまいなんだ・・・。そんな風に思いながら書いた『さよならツインレイ』。結果的にさよならしたのは、神交法の相手であるツインレイの霊体だった件。今更振り返って読んでみると納得がいく一冊だが、当時はよくわかっていなかった。

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マイノリティ―の人たちは『精神発達』に合わせて結婚相手がやってくる。楽園のツインレイ。自分という確固たる価値観を持ち、過去の自分と未来の自分を比較している。

マジョリティ―の人たちは『人体発達』に合わせて結婚相手がやってくる。地上のツインレイ。社会的な価値観に依存し、人と自分の比較により優劣を決めている。

 

私はすごくマイノリティーな存在らしい。

私はずっと自己定義をし続けてきているんだが、本来、人はここまで定義をしてモノを考えることはないとのこと。

そして、私がタワーマンションがまるで羨ましくないことも、マイノリティーなのだという。

本来、人はタワーマンションに住みたい生物らしい。それが社会的には『良い』と思われているものだから。(トランプさんがアメリカの大統領になる理由)

人とは優劣において判断し優位に立ちたい生物であり、優位に立ったとしたら自慢する。

私に多くの方々が自慢してくれたんだが、それは「自我の芽生え」なんだそうな。なるほど。他人と自分の違いによって自分が優位であることを自慢する。自我の芽生え。

たいていの人は、この段階にとどまり、それを『俗人』とする。人と自分を比較して、人よりも優位に立つ社会に生きていきたい。これが社会大多数の思考回路にあたるらしい。これがマジョリティーな。大多数の人間、多数派って感じだろうか。

人が社会的に羨ましいというものを手に入れる。これを有頂天っていうのかな? と思っている。そして、その状態になりたいと思い、羨ましいと感じるのが多数派。

マイノリティーな私は「タワーマンションが羨ましいとは思わない」わけで、もっと別の視点を持って生きている存在。これが少数派。大多数の人間とは考え方が違うらしい。

私は地に足つけた家じゃないと生きていけないと思う、庭がないと無理な人。布団が干せないじゃん。

この本来、人が社会一般的に羨ましいと思う人生を歩むのが地上のツインレイなのかな? と思った。

ここには、裏にある悲しみと支配の影が見え隠れしているなと思っている。だから苦しみが介在している。苦しみをチラチラと私には感じられているが、表には出てこないものではないかと思っている。

楽園のツインレイってどのように定義しているのか? っていうと、社会により定義された幸福ではなく、自分により定義された幸福を手に入れていく人たちなのではないかと思っている。

この『自己定義による幸福』とは、自分とは何かをよく知り、自分が何が好きで、自分が何をしたいのかをよく理解している人たちにとって、タワーマンションに住んでても、全くもって気持ちは満たされないということ。

私的に言えば、庭のある家に住みたいのにタワーマンションに住まわされたら不満しかない。枯渇するわけ、自然に。見上げる空に。

レイキを仕事にしたいのに、年収1億の仕事だからと仕事やらされても不満なわけ。レイキがやりたいから。

つまり、自己定義が明確にされているとき、私たちは「自分の幸福」を見つけていくことができる。この自己定義とすると、なかなか難しいんだけれど、自分が取り戻されていくと(自己統合されていくと)最終的には、自分の幸福がわかるようになる。

というのも、なんで社会に由来した幸福を手に入れたいと思い、人から羨ましい人生を歩みたいと思うのか——の理由は、そこに『不安』『恐怖』『トラウマ』などの向き合いたくないものが存在しているからである。

自分の望みをかなえることは、不安だし、恐怖だし。なんならトラウマが介入して夢の前に何重にも壁が隔たっている。わざわざ、いばらの道を進むのか!? というと、進みたくないわけだ。努力したくないから。

だったら誰かが自分を助けてくれるような王子様を期待したほうが楽って感じかな。でも、期待した分だけ裏切られる。

有頂天の世界の人たちは、夫に裏切られ続けているような気がした。

一番に人生を生きる上で難しいことは「自分の人生を生きること」なんだと思います。

 

この優劣の問題を克服していくことで、人は「ひとまずの大人」になっていく。とはいえども、これを『大人』として定義しきるのは危険だなと思う。

私の場合、この優劣の概念を抜け、人よりも優位ある生き方をしたいという人生観を終わらせたとき「ようやく結婚が出来る」と思った。理由は、そうでなければ、好きな人が誰なのかわからないからである。

人よりも優位ある存在(王子様)と結婚することは、本当に好きな人と結婚することなのかが不明である。わからないものだなと思う。

本当に大事なのは、自分の気持ちだと思う。だけれど、私たちはいつも社会的な評価というものに左右され、より良い不安や恐怖の少ない人生を歩みたいと願ってしまうものだなと思う。

その段階は「自我の芽生え」なのである。他者と自己の比較の世界にいる。

そして、他者と自己の比較のない世界に存在している人たちは、マイノリティーな少数派ということ。

 

つまり、社会でたくさんのお金を稼ぐことよりも、自分がやりたいことをやることのほうが幸福感が勝っている人種がいる。

お金を稼いでいる=凄い、ではなく。やりたいことをやっている=凄い、なのだと思う。

前者は社会の優劣にあるけれど、後者は個人の成長のみにより構成された感覚にある。

やりたいことをやり続けている人は、やっぱりスペシャリストだよなと思う。そして、比較できるものではないオリジナリティがある。

自分が自分になるとは、比較の世界観を抜けていくことなんだと思う。

 

マイノリティ―な人は結婚相手が見当たらない。理由はマイノリティーだから。

個人的な感覚だが、人格の発達段階において出会うべき人は出会っている。

マイノリティ―の人たちは『精神発達』に合わせて結婚相手がやってくる。楽園のツインレイ。自分という確固たる価値観を持ち、過去の自分と未来の自分を比較している。

マジョリティ―の人たちは『人体発達』に合わせて結婚相手がやってくる。地上のツインレイ。社会的な価値観に依存し、人と自分の比較により優劣を決めている。

とはいえども、神はどんな存在をも愛しているわけである。すべてはこれに収拾される素晴らしい観点である。